ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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百万円と苦虫女

d0153627_21325479.jpg2008年公開
監督・脚本 タナダユキ
出演 蒼井優 森山未來 ピエール瀧 佐々木すみ江 笹野高史


ごく平凡に、人に合わせておとなしく生きてきた若い女性、鈴子。彼女は友人の誘いに乗りルームシェアを始めようとしたのがきっかけで、思いもかけない深淵に転がりおちることになる。予想できないことが次々と起きたあげく、鈴子は友人の元カレに告訴され、刑事事件の被告として拘束されてしまうのだ。
「前科者」となった鈴子は家に戻っても居場所がなく、家族とぎくしゃくした末に叫ぶ。「百万円たまったらこの家を出て行きます!」
鈴子が家や近隣で針のむしろ状態のとき、年の離れた弟は学校でひどいいじめに耐えている。互いにつらさをわかちあって、そっと手をつなぎ歩く姉と弟。そして宣言どおりバイトで百万円をためた鈴子は、弟に手紙を書くと約束して家を出る。

彼女の決めたルールは、次の居場所でまたバイトをし、そこで百万円たまったら、また別の街へ行くこと。「誰も自分のことを知らないところに行きたい」。淡々と百万円で区切る旅を続けながら、それでも働くかぎり、生活するかぎり、人との関係ができてしまう。鈴子に親切にしてくれる人、好意をもつ異性も現れる。でも彼女はするりと抜け出して次の街へむかう。鈴子は人を信じたり、信じられたり、したくないのだ。つながりあうことの喜びより、怖さを骨身にしみて知ってしまったから。彼女の起伏のすくない表情の奥にはいつも用心と恐れと、そして底なしの無常感がある。
はたち前後のころ、私もある時期、人を遮断してひとりで旅ばかりしていたころがあった。人と関係するのがわずらわしいだけでなく、怖かった。
でも、そのころの自分も、この映画の鈴子も、そうやって旅を続けていくこと自体、ほんとうには人を遮断してはいないのだ。ほんの少し触れ合った手をぱっと放して別れていくやりかたで、何かを得ようとしている。ちゃんと生きたいと、どこかでその方法を探している。

鈴子は、やがてある街で、大学生の男と恋におちる。それはいじらしいほど古風な、お互いにそっと心をかさねあうような恋だ。はじめて鈴子は自分のこれまでのことを彼に語る。そしてそのことに自分でおびえて、それでも彼が差し出した手を握りしめる。
しあわせがやってくる。でも人とつくるしあわせは、いつ壊れるかわからない。いつひっくり返るかわからない。スクリーンのこちらから見ている側も、その緊張感に裂かれるようなひりひりした一瞬一瞬をすごす。
彼を信じる。うたがいの心が生じる。鈴子はこれまでのように、ぱっと手を放すことはできないのである。鈴子はどうするだろう。彼ははたしてどんな人間なのだろう。鈴子の心の奥底にすみついた孤独と不信を見てきた私たちは、息をひそめる。

これは若い女性の自分探しのロードムービーではない。鈴子は言う、「自分はもうここにあるから。探すんじゃなくて、逃げてるんです」と。
百万円という区切りをもうけて、持ち重る自分をかかえて、鈴子は逃げる。家族から、世間から、評価から、あらゆる関係から。そうしながら旅の中で彼女の見る風景は光をおびて透明で、移り住むたびお守りのように部屋にかける手縫いのカーテンは、かろやかでやさしい。そのカーテンのすきまから、鈴子はそっと世界をうかがっているのだ。
そしていつかたぶん鈴子は気がつくのだろう。人に合わせていた過去の自分を捨てさって、逃げていく自分は以前よりずっと強いのだと。旅の中で忘れなかった弟の存在と、この旅の先にあるちいさな光にも。

私にとってははじめて観たタナダユキ監督の映画だった。きめこまかく、すみずみまで緊張感がはりつめ、ありきたりの展開が次々に裏切られてゆくここちよさ。映像はあざやかで、しっとりと美しい。
鈴子を演じる蒼井優、大学生を演じる森山未來、ふたりは呼吸するように演技をする。演技をしていることを忘れさせるように自然に。その注意ぶかいたくみさが、この作品を生きたものにしている。文句なく、最近観た邦画のなかで一番、心を揺られた。
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by higurashizoshi | 2010-04-14 21:42 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(4)
Commented by きのこ at 2010-04-16 18:27 x
今まで見ようかどうしようか迷っていたのですが、この感想を読んで、今日借りてきました。
多分、心に響くところは似ていそうな気がするのですが、
感想などを、higurashizoshiさんのように言葉や文章にうまく表せません。
このブログは一日一日が作家さんのエッセイのようで、
映画の紹介もすぐに「観てみたい!」と思ってしまいます。
これからも楽しみにしています。
Commented by ゆっこ at 2010-04-19 19:09 x
お元気ですか?
などと、ちょっと妙なあいさつの書き出しでゴメン。

この映画、とてもよかった…。
何が良かったか言葉で説明しづらいけど…。
21才どうしという設定の蒼井優と森山未來の心の中の息づかいが
年令をこえてこちらにまでじんわりと響くようにたたみかけてくる。
そして彼女をとりまく幾つかのモチーフも、
世の中ってこんな感じかも…っていやみなく説得される感じがしたなぁ。
シビアなはずなのに、さりげなく元気になれる映画だった。
いい映画紹介してもらってありがとう。
Commented by higurashizoshi at 2010-04-21 15:59
きのこさん
私の文を読んで、観る気になってもらえたなんて光栄です。
ここにレビューを書くときは、たまに批判もしますが、
基本的には読んだ人がその映画を観たいと思ってくれる文を
書きたいと思ってるので。。。
あたりまえだけど書く作業ってひとりだし、ここで外に出して
こうして反応をもらうと、はじめて世界とつながったなって
感じがするんです。
うれしい感想ありがとうございます。
Commented by higurashizoshi at 2010-04-21 16:10
ゆっこさん
おぉ、ゆっこさんも観てくれている…!
なんだか背中がこそばゆくうれしいです。

自分のいる場所になにか違和感を抱いている人や、
はっきりことばで言いあらわせないけどなんか
スムーズに生きづらいんだよね…という人。
世代としてはこの主人公たちよりずっと上でも、
自分のこととして感じられる深いものがこの映画には
あると思います。
ところで、題名のイメージと、中身がかなりちがう感じ
するよね?
私、それでしばらく二の足踏んでいたの。
観て、書けてよかった。

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