ひぐらしだより
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このむなしさの塊を
ずっとずっと前から、このときが来ることはわかっていた。
完治することのない、遺伝性の病をかかえた彼は、初めて会ったときはまだ青年だった。
まだ走っていたし、運転もしていたし、飲み歩いて、旅をして、人の輪の中にいて、きらきら笑っていた。
それから長い年月のうちに、彼は杖に頼って歩くようになり、何度もの手術があり、転機があり、そして車椅子で暮らすようになった。
終わりはいつも、彼のすぐ前にあるように見えた。
彼の母、二人の弟たちが同じ病でこの世を去ったあと、彼はそのことを刻みつけながら生きていた。あきらめと、怒りと、捨て鉢と、悲しみ。
それなのに、単純なくらい純粋で、明るくて、いつもたくさんの人に愛された彼。
何度も倒れ、重篤になり、みんなが彼のために祈り、そのたびに生還してあの笑顔を見せた。
「狼中年」、と私たちは呼んだ。もうだめだ、もうだめだとみんなを心配させ、そのたびに生き返る男。
だから今度も、そのはずだった。
意識をうしなったあと、飲んだり食べたり、少し話したりできるまで回復したと聞いて、「まただ、狼中年め」と思っていた。
それなのに、まるでふっと出かけるように、いってしまった。
新幹線を乗り継いで、群馬の、何度もたずねた家に着いた。
いつも彼が「おー、来たなぁ」って笑っていた部屋に入ると、彼はもう命をなくしてベッドにいた。
延命治療を拒み、入院も拒み、その望み通り自分の家で、最愛の息子にみとられて逝った彼。
でも望み通りだったのはそれだけ。
死にたくなんてなかった。もっと生きて、病に邪魔されずに、立って、歩いて、走って、大好きだった酒と煙草をたくさんのんで、大好きな人たちと会って、話して、広い世界をもっと見て、読んで、書いて。
息子が言った、「おやじは最後、うわごとで『チクショウ、くやしい、くやしい』って言ってた」と。
そしてしきりに何かを書くしぐさをして、「書きてぇ、書きてぇ」とも言っていたと。
物書きとして、体のきつささえなければ、病さえなければ、もっと、もっと、書きたいことがあった。書ける作品があった。ふんばって、そこまで、どんなにいきたかったことだろう。
彼の顔はとてもきれいで、亡くなったお父さんにそっくりだった。
「男前だね」って言っても、彼はじっと目を閉じていた。
私と誕生日が同じで、十いくつも上のくせに、「ひぐらしとオレは同い年なんだぜ」と人に言っていた。
毎年誕生日には、「おめでとう」と言い合った。「おおそうか、オレたち同い年だったよな」と懲りずに言ってた彼。
お互いに《書く》人間として、必ず書いたものは見せあい、批評しあった。
私の初めての詩集を昨秋届けたとき、間に合ったな、って本当にうれしそうだった。
ずっとずっと前から、このときが来るのはわかっていた。
それなのに、何も、ひとつも、受けいれることができない。
かなしみではない。このむなしさの塊を、どうしたらいい。
完治することのない、遺伝性の病をかかえた彼は、初めて会ったときはまだ青年だった。
まだ走っていたし、運転もしていたし、飲み歩いて、旅をして、人の輪の中にいて、きらきら笑っていた。
それから長い年月のうちに、彼は杖に頼って歩くようになり、何度もの手術があり、転機があり、そして車椅子で暮らすようになった。
終わりはいつも、彼のすぐ前にあるように見えた。
彼の母、二人の弟たちが同じ病でこの世を去ったあと、彼はそのことを刻みつけながら生きていた。あきらめと、怒りと、捨て鉢と、悲しみ。
それなのに、単純なくらい純粋で、明るくて、いつもたくさんの人に愛された彼。
何度も倒れ、重篤になり、みんなが彼のために祈り、そのたびに生還してあの笑顔を見せた。
「狼中年」、と私たちは呼んだ。もうだめだ、もうだめだとみんなを心配させ、そのたびに生き返る男。
だから今度も、そのはずだった。
意識をうしなったあと、飲んだり食べたり、少し話したりできるまで回復したと聞いて、「まただ、狼中年め」と思っていた。
それなのに、まるでふっと出かけるように、いってしまった。
新幹線を乗り継いで、群馬の、何度もたずねた家に着いた。
いつも彼が「おー、来たなぁ」って笑っていた部屋に入ると、彼はもう命をなくしてベッドにいた。
延命治療を拒み、入院も拒み、その望み通り自分の家で、最愛の息子にみとられて逝った彼。
でも望み通りだったのはそれだけ。
死にたくなんてなかった。もっと生きて、病に邪魔されずに、立って、歩いて、走って、大好きだった酒と煙草をたくさんのんで、大好きな人たちと会って、話して、広い世界をもっと見て、読んで、書いて。
息子が言った、「おやじは最後、うわごとで『チクショウ、くやしい、くやしい』って言ってた」と。
そしてしきりに何かを書くしぐさをして、「書きてぇ、書きてぇ」とも言っていたと。
物書きとして、体のきつささえなければ、病さえなければ、もっと、もっと、書きたいことがあった。書ける作品があった。ふんばって、そこまで、どんなにいきたかったことだろう。
彼の顔はとてもきれいで、亡くなったお父さんにそっくりだった。
「男前だね」って言っても、彼はじっと目を閉じていた。
私と誕生日が同じで、十いくつも上のくせに、「ひぐらしとオレは同い年なんだぜ」と人に言っていた。
毎年誕生日には、「おめでとう」と言い合った。「おおそうか、オレたち同い年だったよな」と懲りずに言ってた彼。
お互いに《書く》人間として、必ず書いたものは見せあい、批評しあった。
私の初めての詩集を昨秋届けたとき、間に合ったな、って本当にうれしそうだった。
ずっとずっと前から、このときが来るのはわかっていた。
それなのに、何も、ひとつも、受けいれることができない。
かなしみではない。このむなしさの塊を、どうしたらいい。
by higurashizoshi
| 2012-11-21 17:54
| 雑感