ひぐらしだより
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エル・グレコ展@国立国際美術館
「この前エル・グレコ展に行ったときは…」
と言いかけてハッとする私。国立西洋美術館に観に行って、夢中で何時間もグレコの絵を眺めたのは…もしかしてはるか昔?
調べてみると、はたして以前のエル・グレコ展は1986年に開催。26年前の記憶がこんなに鮮やかに残っているとは。
作品のほとんどが宗教画だから、私がその絵の深い内容を理解しているとは、とても言いがたい。
400年以上前、クレタ島からイタリア、スペインと移り住み、宗教画の巨匠として君臨した人の絵を読み解くような知識も技量も、もちろんない。
ただ、無性に魅かれる。無性に好き。なぜか最初にエル・グレコの絵を見たとき(さらに昔、エルミタージュ美術館でのこと)からとりこになった。
だから今回、大規模な展覧会が大阪でも開かれることがわかったときは本当にうれしくて、やっと予定をあけて確保した日を指折り待っていた。
一番最初に展示されていたのは、50代の自画像。
なかなか食えない男、という感じの鋭い眼光。彼の描く人物はみんななぜか細長いのだが、この自画像も細長い。
「俺の絵を見て何がわかるんだ?」というシニックな声が聞こえてきそう。
「聖アンナのいる聖家族」
遠くから見ると、聖マリアの上半身だけが光り輝いて見える。輝くばかりの美しさ、というが、ほんとうに白く浮かび上がり、光っているのである。
このマリアの美しさは正直異様なほどで、それにくらべてマリアの母のアンナも、夫ヨセフも、極端に地味で目立たない。幼子イエスも、まるで添えもののように見えてしまう。
何か特異な感動を与えられる絵である。
「フェリペ2世の栄光」
一見、何がどうなってるのかわからないけどなんだかすごい。これはフェリペ2世をたたえるために描かれた作品だそうで、天上あり地上あり地獄あり煉獄あり、それをひとつの画面の中にこれでもかとばかりに盛り込んで、喜ばしいのと神々しいのと禍々しいのと恐ろしいのが細密にいちどきに描写されていて、色彩のあざやかさ(グレコの赤は美しい)も相まってめまいがするほどである。
「福音書記者聖ヨハネ」
エル・グレコの描く聖人画はとてもなまなましい。それは現代の若者といってもよさそうにすら感じられる。そしてみんな、老いた聖人も含め、ひとしく美男である。
この聖ヨハネなんて、まるでロックスターかアーティストのようではありませんか。
「受胎告知」
プラド美術館にある大作の、グレコ自身の手による縮小版とのこと。その大作のほうを、かつて国立西洋美術館で見たような気がするのだけど記憶違い?
ここには円熟期の《これぞ、エル・グレコ》と言いたくなる要素が満ち満ちている。
宗教的観点に立たない私から見れば、それは過剰で異様なまでの美の奔流。ものすごくヘンで、ものすごく美しい。
「無原罪のお宿り」
今回の展覧会最大の絵。3メートルの高さから見下ろす作品の力に圧倒される。
トレドの聖堂からお借りしたもの、つまりこの絵は宗教画として現役なのである。なにか、こんなところに来てもらって申しわけないような気持ちになる。
たぶんスペインに行かない限り、一生この絵をふたたび見ることはないだろう。
エル・グレコが73歳で亡くなる前年に描きあげた、集大成のような作品。
それにしても、いつまでもいつまでも見ていたくなるこの魔力のようなものはなんだろうか。天使のみなさんの頭の密集ぐあいまで過剰すぎ、うねりながら高みへとのぼっていくものすごいエネルギーに巻き込まれる。
これまでのエル・グレコ展史上最大の50枚が展示されていたそうで、歩いてはふらふらになってベンチで休み、歩いて見てはまた休み、頭も沸騰ぎみで、やっと会場を出て時計を見ると、入ってから3時間半たっていた。
ほかにも気に入った作品が何点もあったのだけど、画像が見つからなくて紹介できず残念。
帰りの車中で図録を見ていたら、また感動が戻ってめまいがしてきた。
ついつい全身全霊でものを見てしまうのである。
この前友だちに「ひぐらしは、熱いのよ。」と言われて「ハイ?」と思ったけれど、こういうことを言っていたのかな、と思う。
と言いかけてハッとする私。国立西洋美術館に観に行って、夢中で何時間もグレコの絵を眺めたのは…もしかしてはるか昔?
調べてみると、はたして以前のエル・グレコ展は1986年に開催。26年前の記憶がこんなに鮮やかに残っているとは。
作品のほとんどが宗教画だから、私がその絵の深い内容を理解しているとは、とても言いがたい。
400年以上前、クレタ島からイタリア、スペインと移り住み、宗教画の巨匠として君臨した人の絵を読み解くような知識も技量も、もちろんない。
ただ、無性に魅かれる。無性に好き。なぜか最初にエル・グレコの絵を見たとき(さらに昔、エルミタージュ美術館でのこと)からとりこになった。
だから今回、大規模な展覧会が大阪でも開かれることがわかったときは本当にうれしくて、やっと予定をあけて確保した日を指折り待っていた。
一番最初に展示されていたのは、50代の自画像。
なかなか食えない男、という感じの鋭い眼光。彼の描く人物はみんななぜか細長いのだが、この自画像も細長い。
「俺の絵を見て何がわかるんだ?」というシニックな声が聞こえてきそう。
「聖アンナのいる聖家族」
遠くから見ると、聖マリアの上半身だけが光り輝いて見える。輝くばかりの美しさ、というが、ほんとうに白く浮かび上がり、光っているのである。
このマリアの美しさは正直異様なほどで、それにくらべてマリアの母のアンナも、夫ヨセフも、極端に地味で目立たない。幼子イエスも、まるで添えもののように見えてしまう。
何か特異な感動を与えられる絵である。
「フェリペ2世の栄光」
一見、何がどうなってるのかわからないけどなんだかすごい。これはフェリペ2世をたたえるために描かれた作品だそうで、天上あり地上あり地獄あり煉獄あり、それをひとつの画面の中にこれでもかとばかりに盛り込んで、喜ばしいのと神々しいのと禍々しいのと恐ろしいのが細密にいちどきに描写されていて、色彩のあざやかさ(グレコの赤は美しい)も相まってめまいがするほどである。
「福音書記者聖ヨハネ」
エル・グレコの描く聖人画はとてもなまなましい。それは現代の若者といってもよさそうにすら感じられる。そしてみんな、老いた聖人も含め、ひとしく美男である。
この聖ヨハネなんて、まるでロックスターかアーティストのようではありませんか。
「受胎告知」
プラド美術館にある大作の、グレコ自身の手による縮小版とのこと。その大作のほうを、かつて国立西洋美術館で見たような気がするのだけど記憶違い?
ここには円熟期の《これぞ、エル・グレコ》と言いたくなる要素が満ち満ちている。
宗教的観点に立たない私から見れば、それは過剰で異様なまでの美の奔流。ものすごくヘンで、ものすごく美しい。
「無原罪のお宿り」
今回の展覧会最大の絵。3メートルの高さから見下ろす作品の力に圧倒される。
トレドの聖堂からお借りしたもの、つまりこの絵は宗教画として現役なのである。なにか、こんなところに来てもらって申しわけないような気持ちになる。
たぶんスペインに行かない限り、一生この絵をふたたび見ることはないだろう。
エル・グレコが73歳で亡くなる前年に描きあげた、集大成のような作品。
それにしても、いつまでもいつまでも見ていたくなるこの魔力のようなものはなんだろうか。天使のみなさんの頭の密集ぐあいまで過剰すぎ、うねりながら高みへとのぼっていくものすごいエネルギーに巻き込まれる。
これまでのエル・グレコ展史上最大の50枚が展示されていたそうで、歩いてはふらふらになってベンチで休み、歩いて見てはまた休み、頭も沸騰ぎみで、やっと会場を出て時計を見ると、入ってから3時間半たっていた。
ほかにも気に入った作品が何点もあったのだけど、画像が見つからなくて紹介できず残念。
帰りの車中で図録を見ていたら、また感動が戻ってめまいがしてきた。
ついつい全身全霊でものを見てしまうのである。
この前友だちに「ひぐらしは、熱いのよ。」と言われて「ハイ?」と思ったけれど、こういうことを言っていたのかな、と思う。
by higurashizoshi
| 2012-12-06 00:55
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