ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

偽りなき者

d0153627_2346211.jpg
2012年公開 デンマーク
監督 トマス・ヴィンターベア
脚本 トマス・ヴィンターベア トビアス・リンホルム
出演 マッツ・ミケルセン アレクサンドラ・ラパポート トマス・ボー・ラーセン ラース・ランゼ 
アンヌ・ルイーセ・ハシング シーセ・ウォルド




デンマークの片田舎の小さな町に住むルーカスは42歳。
離婚と失職を経験した彼は、今は町の幼稚園の先生として勤めながらひとり暮らしをしている。ひとり暮らしとはいっても、子どもの頃からともに育った仲間たちに囲まれ、共同体の一員としてそれなりに充実した日々を送っていた。
あるとき、離婚のために別れ別れになった一人息子がルーカスのもとに来て暮らすことになり、彼の心は一気に明るくなる。おまけに職場の同僚の魅力的な女性との恋愛もはじまり、ルーカスの人生に再び光が射しはじめた矢先、信じられない暗転が訪れる。
幼なじみの親友テオの娘で5歳のクララが、ルーカスに性的虐待をうけたと言い出したのだ。
クララはルーカスの幼稚園の園児でもあり、犯行は園内でおこなわれたという。まったく身に覚えのないルーカスは必死に無実を訴えるが、またたく間にこの《事件》は園の保護者から共同体すべてに知れわたり、彼には《変質者》のレッテルが貼られ、身近な人々は手のひらを返したように次々とルーカスから離反していく。
そして懸命に父を信じて支えようとする息子の目の前で、ルーカスは逮捕され、警察に連行されてしまう。

やがて証拠不十分で釈放され、やっと息子との二人暮らしを再開するルーカスだが、本当の地獄はそこから始まった。司法の裁きを受けないのなら私刑を。憎悪ともいえるバッシングは、実際に暴力の形となって次々と彼を襲うようになる。
家の窓ガラスが何者かに割られる。食料品店で買い物を拒否され叩き出される。仕事を、仲間を、信頼を、そして生活の安全も失い、人としての尊厳を奪われて、生き延びるすべのない淵にまで追いやられるルーカス。
そしてある出来事を機に、どこまでも彼を信じてくれる息子も、数少ない擁護者の友人も遠ざけて、彼はたったひとりでこの現実と対峙していく道を選ぶ。
相手の見える暴力と、相手の姿の見えない暴力。後者がよりいっそう怖ろしいことを、この出来事は痛いほど私たちに訴えてくる。
d0153627_2354248.jpg

なぜ幼いクララは《嘘》をついたのか。
なぜルーカスはここまで追いつめられなければならないのか。
そして、ルーカスはこの絶望的な現実をどう生き延びていくのか。

ルーカスは決してヒーローではない。ちょっと依怙地なところのある、優しいが無骨で不器用な男だ。しかしマッツ・ミケルセン演じるこのルーカスは、抑えてもにじむ色香のある、ハンサムで魅力的な男でもある。そこが周囲の男たちとは違っている。
彼の離婚の理由は説明されないが、冒頭、別れた妻が息子を会わせたがらないことからも、こじれた経緯があったことが類推できる。そして彼以外全員が女性の幼稚園の職員の中で、いささか浮きながらも異性としての魅力をルーカスが放っていたことは疑いがない。
そんな彼に恋したのは同僚の女性だけではなかった。5歳のクララも、先生でもあり父の親友でもあるルーカスに、異性の香りを感じて恋していたのである。
あどけないクララの、ほのかな初めての恋。そのかわいらしい想いが、ある感情の行き違いと、偶然の重なりによって、おぞましい《事実》の告発に仕立て上げられていってしまう。そのリアリティには戦慄するほかない。

デンマークには、「子どもは嘘をつかない」という考えが根強いという。子どもの発言が軽んじられやすい日本とは逆に、子どもの言ったことは、子どもであるがゆえに信用される。
クララがあいまいに発したいくつかの言葉が、大人の受け取り方によって雪だるま式に《事件》として形づくられ、人々の動揺がそれに拍車をかける。誰もクララが告発したことを疑わない。実はクララは何も具体的なことを話していないにもかかわらず、である。
しかしそれは、この経緯をスクリーンのこちら側で見続けている私たちにわかることだ。クララをとりまく大人たちはまったく客観的になろうとしない。誰もがその肝心な点をおざなりにしたまま、一種のパニックにおちいり、ルーカスを糾弾する方へと走り出してしまうのである。
d0153627_23503777.jpg

なんて愚かな、と私たちは思う。でもそれは、ルーカスの無実を知り、クララが《嘘》をついたことを私たちが知っているからだ。
ではスクリーンの向こうと、こちら側を入れ替えたらどうなるだろうか。
真実を知るすべのない状態で、戦慄するような《事件》を目の前にしたら、私たちは同様にパニックにおちいり、悪者を糾弾することで安全を守ろうとするにちがいない。
映画の舞台になる町は、のどかで温かな人づきあいの息づく、地域性の高い町だ。ルーカスを追いつめるのはあくまで人間の手であって、ネットなどは登場しない。もし今の日本でこんなことが起きたとしたら、と考えると、標的にされる人間はもっと陰湿で深い、広範囲な悪意にさらされるはずだ。

しかし、そう思っていたのは映画のラストの手前までだった。
ルーカスの、人としての尊厳をかけた戦いがどんな着地をみたのか、それを見届けたつもりになった私たちは、最後の最後で虚をつかれる。しばらく席から立てないほどの衝撃を受けて動けなかった。

デンマークの田舎の伝統として、男たちがおこなう森での狩り。それがいかに人生の中で重要なものであるかが、この映画ではていねいに描かれる。男女平等の印象のつよい北欧の国だが、男だけの領分として「狩猟の免許を取ることが成人の証」とされるのだ。
映画の原題は『狩猟』。
鹿をもとめて銃を手に森を歩き回る男たちと、これから自分たちが標的になることも知らず、静かに歩き回る鹿たち。
彼らのうちの誰が、いつ選ばれるかはわからない。
いつ狩りだされるかわからない。
無垢な目で森を行く鹿たちが、私には人間ひとりひとりのように見えてならなかった。


何といっても、絶望の底をよろめきながら屈服せずに生き抜くルーカスを演じるマッツ・ミケルセンが本当にすばらしい。息子マルクス、そしてクララを演じる子役二人のみずみずしさも際立っている。
人間の不寛容と寛容の両方を、これほど鋭くあざやかに描き出した作品はめったにない。トマス・ヴィンターベア監督の前作『光のほうへ』もぜひ観てみなければと思った。

d0153627_014032.jpg

[PR]
by higurashizoshi | 2013-04-20 00:03 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

フォロー中のブログ

明石であそぼう! たこ焼...

最新のコメント

Disney 鴨さん ..
by higurashizoshi at 00:53
こんばんは。 ひぐらし..
by Disney 鴨 at 22:17
Disney 鴨さん ..
by higurashizoshi at 16:30
bikegogoyさん ..
by higurashizoshi at 16:13
こんばんは。お久しぶりで..
by Disney 鴨 at 20:57
お久しぶりです。忙しそう..
by bikegogoy at 07:10
なみさん ずいぶん長く..
by higurashizoshi at 12:52
初めまして。マリンメッセ..
by なみ at 17:22
Disney 鴨さん ..
by higurashizoshi at 23:49
こんばんは。お久しぶりで..
by Disney 鴨 at 20:03

検索

タグ

ファン

ブログジャンル

映画
ウィンタースポーツ

画像一覧