ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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強さと、やわらかさ

昨日、NHKのドキュメンタリー
「未来への手紙2014 ~あれから3年たちました~」
を観た。
是枝裕和監督が、総合ディレクターとして初めて直接震災に触れた作品を手がけたとのことで、被災地の子どもたちのこの3年の変化が中心にすえられていた。
深刻ぶらない、さらりとした作りが逆に心に深くしみるドキュメンタリーだった。

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関西人にとって、震災、という言葉はあの19年前の空気を丸ごと表現するものだったけれど、3年前、東北を襲った未曾有の災害は、日本語の中の「震災」という言葉を塗りかえてしまった。
その被害の規模のけた外れの大きさだけでなく、阪神淡路の震災には存在しなかった、津波と原発事故という二つの要素が「震災」という日本語に内包されるようになった。そしてその二つの要素が、その後の被災地の復興を徹底的に阻害している。

今日、別の震災関連の番組で見た岩手や福島の様子は、この3年の間ほとんど手をつけられていない地域がどれほど多いか、その一端を見せてくれた。
津波で破壊された町が、いまだ放射線量が高すぎてそのままの形で放置されている。かけがえのないわが家だったものが廃墟になり、ふるさとだった地域が放射線ごみの仮置き場や、がれき置き場になっている。
住み慣れた土地を離れた人、住み続ける人、みんな心の痛みをかかえてこの3年を生きてきて、あまりに疲労の色が濃い。

そして被災地の外で暮らす人々は、たった3年前には津波や原発事故に衝撃を受け、何か自分にできることはないかと必死で考え、原発は恐ろしいものだと痛感したにもかかわらず、今ではそれらはもはや遠い過去の出来事のように日々を生きている。
被災地にかかわる活動をしている私のような人間でさえ、ふだん何気ない瞬間には3年前の震災も、今もずっと続く被災地の現実も忘れて、自分の目の前のことばかりに心を奪われていることに気づく。

これまで会った福島の若いお母さんお父さんたちから何度となく聴いた言葉。
「どうか福島を忘れないでください」。
最初は、忘れるはずなんてない、忘れようがないと思っていた。でも時がたつにつれ、当初の衝撃や熱意はさめていくし、遠い関西に住む自分にとって被災地の現実を《わがこと》として感じ続けていくことはむずかしいのだと思い知るようになった。
「こんな暗い重い話をごめんなさい」。
そんなふうに謝るお母さんたちもいる。こちらが謝りたくなってしまう。でもその一方で、どんどん細分化し、複雑化していく被災地の抱える問題の重さ大きさにたじろぎ、眼をそらしたくなる自分もいることに気づく。眼をそらして、よそごとにしてしまって、そうやって毎日を生きていけば楽だ。
だからこそ逆に、私は被災地にかかわる活動をやめないんだと思う。やめたら私は、本当に眼をそらしてしまうに決まっている。まったく私は私を信用していない。続けていくのは被災地の人たちのためではなく、むしろ私自身が逃げないためだ。

私がかかわっているのはおもに福島の子どもたちとその家族で、避難・移住という選択をせずに被災地にとどまる道を選んだ人たちだ。被ばくの不安にさらされながら、この3年をみんな懸命に生きてきて、やはりみんなそれぞれに疲れはて、被災直後とはまた異なる悩みをかかえている。
親が悩み苦しむ中で、子どもたちもたくさんの不安を感じ、プレッシャーを受けながらこの3年を生きてきたと思う。私たちが震災の年からずっとかかわっている子たちは、会うたびにびっくりするほど成長していて、大人の時間とは違う時間の流れが子どもにはあるのだということを実感させられてきた。

子どもたちは、被災のことを大人のように系統だてては語らないし、心に抱えることもそのままの形では口にしない。でもときどきふっとやわらかい穴がひらくように、自分たちの置かれた不安定な立場をどう自覚しているかや、この先も被災地で生きていくことへの不安をのぞかせる。
みんなふるさとが好きで、ふるさとで生きていくのが当たりまえで、でもそのふるさとはおびやかされているのだと感じている。原発事故のもたらしたものは、この「ずっとおびやかされている」という不安。

「未来への手紙」に登場する子どもたちの中には、被災した年の撮影では原発事故を起こした東京電力や、福島で発電した電気を使っていた東京の人々に対する怒りを率直にぶつける子もいた。
その子は3年後には、一方的に東電や東京の人を断罪するのではなく、対話が必要だと考えるようになっている。この広い心こそ原発を作った大人が見習うべきだと思う。
津波で肉親を亡くした子、家を失って一変した環境に必死で適応しながら暮らす子、みんな前を向き懸命に生きている様子が伝わってくる。大人にはない子どもの強さ、たくましさも感じられる。
同時にやわらかな心がどれほどの傷を負ったか、それを大人はどんなふうに受けとめ見守ることができるのかということも、深く考えさせられた。やっぱり『誰も知らない』から続く是枝さんの作品だな、と思った。

そして最後に登場する、石巻の大川小学校で生き残った男の子。
3年後の今は中学生になり、そのまま地元に住んでいる。
大川小を襲った地獄のような状況を生き延び、多くの友だちや先生を目の前で失い、同時に彼はお母さんと妹を津波で亡くした。
3年でずいぶん大人びた少年になって、おだやかに淡々と語る彼を見ていて、心の奥にある苦しみ悲しみの記憶を、この子はいつか昇華できるのだろうかと思った。

深く心に残ったのは、今はまだ当時のままの姿で残っている小学校を、彼は折に触れてずっとカメラで撮影し続けていること。
震災後、悲惨な津波被害のシンボルのようになってしまった大川小学校だけれど、彼にとっては大好きな友だちとの楽しい思い出がいっぱい詰まった、大切な場所なのだ。
遺族の要望もあり、いずれ取り壊されてしまう可能性が高い小学校の校舎。
愛するものを失ってしまったつらさは誰よりも味わっているはずなのに、そこに何度も行って、この大切な場所がみんなに忘れられないようにと撮影し続ける。悲惨な場所じゃない、ここで幸福に生きていた時間があったんだと彼は静かに叫んでいるようだった。
そして、ここを見て津波のおそろしさも知ってもらいたいんだと彼は言う。その強さにも私は衝撃を受けた。

天国に向けたビデオレターを最後に彼は作る。
天国の、お母さん、妹、学友たち、先生たちに向けて。

「みなさん、そちらは暖かいですか?こちらはだいぶ寒くなってきました」
「みなさんはどう思いますか?みんなとの思い出の詰まった校舎が壊されて悲しくはありませんか?壊したい人の気持ちも分からないわけではないけど、もし壊すのであればもっと多くの人に見てもらいたいです。
大川小の校舎を見て地震の怖さや津波の恐ろしさを知ってもらい、これからの防災に役立ててほしいと思っています。
最後に…僕は今を大切にしていろいろな人たちとの出会いを大切にして生きていきたいと思います」



子どもはやわらかくて、強い。
強いけれど、あまりにもやわらかい。
そんな子どもという存在を、大人はちゃんと大事にすることができているんだろうか。
そう考えていけば、どう行動するか、何を目指していくかの答が見えてくる――そんなふうに、あらためて思った。
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by higurashizoshi | 2014-03-10 00:31 | 雑感 | Comments(0)

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