ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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映画「ファルージャ」とトークショー

ファルージャ イラク戦争日本人人質事件…そしてd0153627_0162088.png
2013年公開 日本
監督 伊藤めぐみ
撮影:伊藤寛 大月啓介 大原勢司
編集:伊藤誠  音楽:吉田ゐさお
製作・配給:有限会社ホームルーム


若い女性監督の、長編第一作。
初々しさとともに、監督自らの内的な課題を問う、真摯な思いが伝わってくるとても誠実な作品だった。

イラク日本人人質事件。ちょうど10年前のことだ。
ブッシュ政権の開戦決定を支持した小泉政権は、イラクに自衛隊を派遣した。
その直後、イラクに入っていた日本の民間人3人をファルージャの武装勢力が拘束。「自衛隊を撤退しなければ彼らを殺害する」という映像メッセージを発信した。
日本中は大騒ぎとなったが、すぐに小泉政権は自衛隊撤退はありえないと明言。人質となった3人の生命が危ぶまれる中、ある大臣の発した「自己責任」という言葉が拡散、次第に3人を批判する動きが高まった。
そして無事解放され帰国した3人を待っていたのは、それぞれの家族も巻き込んだすさまじいバッシングの嵐だった。「渡航禁止を破った無責任行為の帰結」「国費の無駄遣い」あげくは「死んで詫びろ」等の非難が3人の自宅への電話、ファックス、郵便などで集中。インターネットでも3人についての誤報まじりの個人情報が大量にばらまかれた。

彼らを擁護する声がかき消されるほどの、まるで日本の一部が発熱し沸騰しているような、あのバッシングに膨らんだ異様な空気を私は忘れることができない。そしてその声は、時の小泉政権の官僚たちによって強固にバックアップされたものだったことも決して忘れない。


映画「ファルージャ」は、当時人質となった3人のうち、高遠菜穂子さんと今井紀明さんの2人について、あの事件から現在までをじっくりと追ったドキュメンタリー。高遠さんが今も支援活動に通うイラク国内の現状も、なまなましく描き出している。

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特に、アメリカ軍が多数投下した劣化ウラン弾によるとみられる被害の惨状は、あらためて衝撃的だった。イラク戦争当時の、普通の爆弾とは明らかに異なる状況の遺体。それから10年近くがたち、取材に入ったひと月足らずに間にも、ファルージャの病院では次々と奇形や先天異常の赤ちゃんが誕生し、胎児の異常により何度も流産を繰り返す若い女性がいる。高遠さんは、そんな親子の支援をおこない、日本から来た医師と現地の医療のつなぎ役となったり、ファルージャの女性医師と協力して被害の現状についての調査を続けている。

監督のインタビューに対し高遠さんは、あの人質事件後に帰国したあと、家族への名指しの脅迫を目の当たりにして「自分が殺されていたらよかった」とまで思ったと振り返る。しかし、母親に叱咤されて目が覚め、再びイラクへの支援を始めたのだという。
どこの組織にも属さず、「自分の役割は、大きな支援のすき間を埋めること」と語る高遠さん。10年前の心の整理がすべてついたわけではないだろうが、今も危険のつきないイラク国内に通いつめ、誇りを持って堂々と自分の信じる道をゆく彼女の姿が心に強く残る。

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一方の今井紀明さんは、当時まだ18歳。高校卒業後すぐにイラクに入り、あの人質事件の渦中の人となった。
帰国後、見ず知らずの人々からのバッシングのすさまじさに対人恐怖症となり、家から出られない時期が続いたという今井さん。18歳という年齢で、自らの人格も行動も世間から全否定されるような経験をし、自死も考えたという彼が過ごした波乱の10年が語られる。

現在、今井さんは大阪で、主に通信制高校生を支援するNPOを主宰している。
不登校や引きこもり経験の当事者であることが多い通信制や定時制の高校生に、今井さんはかつての事件後の自分が重なって見えたのだという。
さまざまな事情から、社会に能力を認められるチャンスが少なく、自信を持てずにいる子どもたちに平等な機会を保障したいという思いから、今井さんのNPOでは高校生たちに対するキャリア教育の講座など幅広い活動を展開している。

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この日は「ファルージャ」上映後に、元町映画館の2階で今井紀明さんのトークショーがおこなわれた。そもそも、映画だけでなく彼の話を生で聴いてみたいというのが、この日私が元町映画館に行った理由だった。
私が、10年前のあの事件以来、ずっと心の片隅で気になっていた彼のその後の姿を知ったのは最近のこと。
新聞に今井さんのインタビューが載っているのを読み、彼が今何をしているのか、そしてそこに至るまでどんなことがあったのかを初めて知った。
衝撃的だったのは、彼が対人恐怖症になり、引きこもっていた数年のあと、再び立ち上がるためにしたことだった。

彼はずっと対峙することのできなかった自分の行動への批判(誹謗中傷も含む)の手紙やファックスをひとつひとつひもとき、驚いたことに書き写してまで熟読した。
そして住所の書いてあったものに対してはすべて返事を書き、電話番号が書いてあった人にはすべて電話をかけたのだという。
そこから「対話がいかに大切か」という彼の経験則ができあがった。罵詈雑言しかなかった人が、電話で話すうちに変化し、理解を示すようになってくれる。そんな経緯が多くあったそうだ。しかしそれは、彼の方から歩み寄ることでしか絶対に実現しない融和だったと思う。インタビューを読みながら、こんな勇気が自分にあるだろうか、もし自分だったら…と私は何度も考えた。
けれど、今井さんにとってそれはもしかすると、自分自身が再び生き直せるかどうかの瀬戸際の作業で、勇気などというものとは無縁の、やむにやまれぬやり方だったのかもしれないとも思う。

この日、映画のあとにトークショーに現れた今井さんは、前向きで明晰な印象の青年になっていた。現在のNPOの活動内容などを話される中に、かつての事件後のことにも触れられていたが、印象的だったのは、大阪に住むようになって「救われた」と話しておられたこと。
というのは、大阪人は彼の《人質体験》をネタにして笑い飛ばしてくれるのだという。
「北海道人の僕には考えられないことで、すごく楽になりました」とのこと。
とはいえ、今も、常に自分の言動には注意をはらっているという今井さん。現在の活動にかかわる人々に迷惑がおよばないようにと考えている、人質事件は自分にとって、一生負い続ける十字架のようなものであることに変わりはない、と話されていた。

そしてもうひとつ印象的だったのは、「いったいあの状況から、どうやって立ち直れたのか」という会場からの質問に対して、今井さんが「たまたま」という言葉を何度も使っていたこと。
「僕の場合は、たまたま周囲に救われた。家族と友人の支えに恵まれた。本当にたまたまです。それがなかったら、今も立ち直れていない。
(別の事件の加害者側家族の自死に触れて、その亡くなった)彼と僕は、同じ立場です。彼は周りに支えがなくなり命を絶った。僕にはたまたま、それがあった(から生きている)。その違いだけです」と。


振り返ると、10年前のあの事件後のバッシングは、今蔓延している《ネット叩き》のさきがけでもあったのだと思う。
標的を見つけ、プライバシーをあばき、噂を広め、徹底的に叩き、家族も含め社会的に抹殺する。その手は無責任で、冷酷で、しかも保身的だ。その手の主の、顔は見えない。
もう、今井さんが批判の手紙に返信し、電話をかけることができたのも過去のやり方になりつつあるのだろう。そうやって、いつ誰が標的にされ、叩きあうことになるかわからない社会が、みんなが望む社会だろうか。

私にとって、映画「ファルージャ」とトークショー、どちらも深く心を動かされる体験だった。この前はグザヴィエ・ドラン一気観でお世話になった元町映画館、今回もこのような企画に深謝。
あまりにいろいろなことを考えすぎて、帰路のことをあまり覚えていないほどだった。
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by higurashizoshi | 2014-05-13 00:32 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

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