ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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サウルの息子

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2015年 ハンガリー
監督・脚本 ネメシュ・ラースロー
撮影 エルデーイ・マーチャーシュ
音楽 メリシュ・ラースロー
出演 ルーリグ・ゲーザ 
モルナール・レヴェンテ 
ユルス・レチン 
トッド・シャルモン 
ジョーテール・シャーンドル

第68回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞
2016年アカデミー賞外国語映画賞・
ゴールデングローブ賞外国語映画賞受賞




感情が削ぎ落されたような表情の、ひとりの男のアップから映画は始まる。そこから一気に、観客は1944年、ナチスドイツにより作られた強制収容所内の《仕事》の現場に叩きこまれる。連行され収容所に到着した老若男女は選別され、裸にされていく。男は、その人々をひとつの室に導く。
彼、サウルはゾンダーコマンドと呼ばれる囚人特別班に属し、同胞のユダヤ人たちをスムーズに殺戮する《仕事》を担う。報酬は、囚人としては恵まれた待遇、そして数カ月の延命。ゾンダーコマンドは虐殺を担った証人として、数カ月の《仕事》を終えると順に殺されていく。すでに4か月を経たサウルたち仲間には、当然のように死が迫っている。希望はない。その中で毎日、ガス室に言葉巧みに導かれる同胞たちが殺される手助けをする。凄惨な死後の後始末をする。もはや感覚は遮断されて、折り重なる死体も、焼かれた灰も、サウルの眼にはただの風景となって焦点を結ばない。
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そう、この映画のカメラはサウルの表情と、彼が自覚的に見るもの以外に焦点を合わせない。ゆえに観客は、凄惨極まりないガス室の内部も看守やSSに銃殺される人々も、断片的にぼんやりとしか見ることができない。このジレンマが強く喚起するものは、観客の内にある想像力。リアルに作り込まれた画面を見せつけられることに慣れた私たちの、いつもは深く埋もれている想像力である。
焦点のぼやけた死体のその姿かたちを、おこなわれているらしい《仕事》のひとつひとつを、眼をこらし私たちは見つめる。そして懸命に想像する。むしろそれゆえに、これまでにあったホロコーストを扱った映画ではまったく経験したことのないなまなましい臨場感に、最後まで圧倒され続けるのだ。

物語は、サウルがいつものようにガス室での《仕事》を終えたとき、ひとりの少年を発見するところから動き出す。能面のようなサウルの表情が一変する。それまでは受動的だったサウルに、そのときから仲間たちをも巻き込むほどのエネルギーの放出が生まれる。
彼は自分の息子を見つけたのだ。無残に目の前で殺された息子を、サウルはユダヤ教のしきたりに従って埋葬しようとする。それが収容所という環境ではどれほど無謀なことかわかっていても、彼は無我夢中で奔走をはじめる。仲間を犠牲にしても、秘密裡に進められている囚人たちの反乱計画を乱しても、もう彼は息子を埋葬することしか考えない。それはほとんど狂気である。
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サウルは自分がすでになかば死んでいると自覚している。せめて息子を正しく葬らねばならない、なぜなら息子とは跡を継ぐものだから。その魂を壊さずに天国へ送らなければ、自分が信じて生きた証も、民族としての誇りも失われてしまう。―それがサウルを突き動かす激しい思いだ。
しかしここでひとつの問いが、私たちの中にきざす。
この少年は、ほんとうにサウルの息子なのだろうか?

仲間のひとりは何度もサウルに言う。
「おまえには息子はいない」と。
対するサウルの答も謎めいている。
「妻との間の子どもではない」。
少年をガス室で見つけた当初、サウルは息子だとすぐには確信が持てずにいた。けれどその後は、彼はどこまでもどこまでも息子の死体を抱き、がむしゃらに埋葬に執着しつづける。
次第に私たちが理解するのは、この死体がサウルの息子であるかどうかという《事実》より、サウルが息子だと信じる、ほとんど強迫的なその願いこそが《真実》なのだということだ。
サウルたちゾンダーコマンドが日々、無感動に処理するおびただしい死体。本来はそのひとりひとりが慈しまれ、あたりまえの日常を生きていた。そのことを忘れ去るとき、ナチスが彼らをそう呼ぶとおり、彼らは機械的に生を断たれた「部品」となる。人間が抹殺され「部品」として処理される、その不条理を、たったひとつの死体を抱いてさまようサウルの行為ははげしくさらけ出す。彼の抱くその死体は「部品」ではない。かけがえのない息子なのだ。サウルにとっての息子であるだけではなく、おそらくすべての選別され抹殺される人々にとっての。
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この映画は30代のハンガリー系ユダヤ人監督、メリシュ・ラースローによって作られた。ラースロー監督は親族をホロコーストで失っており、いつかこの題材を作品化したいと願っていたという。現代において、どんな手法をとれば1944年の収容所内を観客になまなましく感じさせられるかを、監督は実に精緻に考え抜いてこの作品をつくった。これはむしろ時を隔てた若い世代だからこそ成しえたことなのではないかと思う。
説明を排し、物語る誘惑を排し、この作品は私たちを、サウルの過ごす収容所での二日間にひたすら同行させる。そして最後にサウルがたどりついた場所で、彼の見たものを私たちも目撃する。忘れがたいラスト数分の中に、かすかに続く希望を見たくていつまでもいつまでも眼を凝らしつづけるのだ。

映画のなかば、ゾンダーコマンドの仲間がまさに命がけで収容所内の様子を写真に撮るシーンがある。こんな状況下で、どうやってカメラを持ち込み、撮影ができたのか。その写真はどうなったのか。そう思わせられるが、これは事実をもとにしており、実際にアウシュビッツ内でゾンダーコマンドによって撮影された少なくとも4枚の写真が現存し、発表されているという。ほかにも紙に書かれた手記など多くの証拠品が、収容所が解放されたあとで発見されている。ラースロー監督はこれらの貴重な記録をもとに作品化をすすめていったとインタビューで語っている。
見つかれば即銃殺される状況のなかで、もはや自分の生はなかばあきらめていたはずの彼らが、こうした行為を続けた意味。そのこともまた、この映画のラストにつながっているのではないかと思う。
そして決して忘れてはならないのは、当時ナチスドイツと三国同盟で結ばれ、まさにホロコーストをおこなった側に日本人は立っていたということ。無数のサウルの息子たちを、まさに虫けらのように殺しつづけた腕をたどれば、そこには私たちの祖父母がいるのだ。
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by higurashizoshi | 2016-03-30 13:15 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

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