ひぐらしだより
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シーソー
何もやる気がわかないときというのがあり、反対にたくさんのことをいっぺんにやりたくなるときがある。
私は昔から、こういう二つの気持ちが両端にあるシーソーみたいだ。
何もできないとき、心のまんなかにあるのは空虚というか、けだるさだ。
指ひとつ動かすのも、力がなくてたいへんという感じになる。
ところがエネルギーがやがて戻ってくると、今度は思う。
世の中にはこんなにたくさんのものごとがあって、人がいて、思いがあって、こんなにたくさんの場所や本や映画や絵や音楽や…があるのに、一日はこんなに短くて、ひとつひとつやりたいことをやっていったら間にあわない、人生は短すぎる! と。極端だなあ。
けれど結局は、ひとつひとつ、できることを、ほんとにちょっぴりずつやっていくしかないのだ。
この2ヵ月ほどをかけて、小説をひとつ書いたけれど、たいへんなエネルギーをつかって一生懸命に書いた小説は、書き終えてから見るととても短く、ささやかなものだった。
そしてそれをひとつ、自分の足もとに置いて、また次に向かってゆっくり進んでいくほかはない。
母親である以上、子どもたちがかかえていることも、望むことも、支えていくのは当然の人生の仕事で、それでもときどき、たったひとりで生きることをうらやむ気持ちが起きるのもまた、当然なんだと思う。
私は、今の私でしかなく、昨日の私にも、別の私にもなれない。
世界のすべてを見ることはできなくても、小さな小さな場所で何かをじっと見つづけることで、あるとき見えてくる広さがある。
それを見つめる眼は、くもらせずにいようと思う。
たとえ明日のシーソーが、どちらに振れても。
私は昔から、こういう二つの気持ちが両端にあるシーソーみたいだ。
何もできないとき、心のまんなかにあるのは空虚というか、けだるさだ。
指ひとつ動かすのも、力がなくてたいへんという感じになる。
ところがエネルギーがやがて戻ってくると、今度は思う。
世の中にはこんなにたくさんのものごとがあって、人がいて、思いがあって、こんなにたくさんの場所や本や映画や絵や音楽や…があるのに、一日はこんなに短くて、ひとつひとつやりたいことをやっていったら間にあわない、人生は短すぎる! と。極端だなあ。
けれど結局は、ひとつひとつ、できることを、ほんとにちょっぴりずつやっていくしかないのだ。
この2ヵ月ほどをかけて、小説をひとつ書いたけれど、たいへんなエネルギーをつかって一生懸命に書いた小説は、書き終えてから見るととても短く、ささやかなものだった。
そしてそれをひとつ、自分の足もとに置いて、また次に向かってゆっくり進んでいくほかはない。
母親である以上、子どもたちがかかえていることも、望むことも、支えていくのは当然の人生の仕事で、それでもときどき、たったひとりで生きることをうらやむ気持ちが起きるのもまた、当然なんだと思う。
私は、今の私でしかなく、昨日の私にも、別の私にもなれない。
世界のすべてを見ることはできなくても、小さな小さな場所で何かをじっと見つづけることで、あるとき見えてくる広さがある。
それを見つめる眼は、くもらせずにいようと思う。
たとえ明日のシーソーが、どちらに振れても。
by higurashizoshi
| 2008-07-03 21:12
| 雑感