ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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ニキフォル 知られざる天才画家の肖像

いつもコメントをいただく、くれないさんに教えてもらったポーランド映画『ニキフォル 知られざる天才画家の肖像』を観た。心に静かにしみる映画だった。d0153627_2343549.jpg

1960年、ポーランド南部の保養地クリニツァ。
くすんだ煉瓦の建物や森を背景に雪が降りしきる美しい風景の中を、ひとりのみすぼらしい老人がよたよたと歩いていく。彼はある建物の中に入ると、ひとつの小部屋に入り込み、我がもの顔に筆をなめると絵を描き始める。小部屋にいた男が驚き、とがめる。どうやらこの部屋は、老人のではなく、この男のアトリエらしい。
頑固で偏屈なしわくちゃの老人、天才画家ニキフォル。彼の画才を誰よりも認め、愛した男マリアン。二人の物語は、こうして始まる。

画家のマリアンは審美眼は一流ながら、自分には絵の才能が決定的に欠けていることを知っている。
「こうでありたい」と焦がれてやまない才能に、この日、彼は出会ってしまう。その相手は、親子ほど年上の、おそろしく小柄な、ろくに対話も成立しないうす汚れた身なりのおじいさんである。
しかもこのおじいさんはマリアンの絵をひと目見るなり、「なんだこの絵は。…お前はもう描くな」と罵倒する。そのうえ、あろうことかマリアンのアトリエに居座り続け、勝手に画材を使い、勝手にラジオで音楽を聴き、創作に没頭するのである。
当惑しながら、ニキフォルの絵に惹かれる心を止められないマリアン。彼の心にはニキフォルに対する、妬み、あわれみ、あこがれ、憎しみがせめぎ合う。平穏だった妻と娘たちとの家庭にも、波風が立つ。
ほどなく、他人の思惑など眼中になく、ただにひたすら絵を描きつづけるニキフォルが、重い肺結核に侵されていることがわかる。ニキフォルは在野の画家として評価され始めていたが、周囲の人間は手のひらを返したように伝染病の老人を遠ざけるようになる。マリアンの妻も、幼い娘たちへの感染を恐れる。あくまでニキフォルの世話に固執するマリアンは、やがて家庭とニキフォルのどちらを取るか、という選択肢をつきつけられる…。

ニキフォルの絵は、今では世界中で高価な売買の対象になり、アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)の代表的な画家のひとりとされているという。これは、そのニキフォルの晩年の8年間を描いた映画である。その死まで彼を支えることになったマリアンも実在の人物だ。
映画の中で、マリアンはニキフォルをともない、出生の記録を探し、足跡をたどる旅をする。ニキフォルには言語に障害があったといわれ、映画の中のニキフォルもごく断片的な言葉を自分本位に語るだけだ。
身寄りのない状況で転々としながら生きてきたニキフォルは、そのときどき援助してくれた人に対する感謝の念はまるでなく、わがままを繰り返しては追い出されてきたことがわかってくる。どうしようもない放浪児であり、同時に自分の絵に絶対の自信とプライドをもつニキフォル。自作の絵を保養地にやってくる観光客に売ることで、彼はとぼしい生計を立ててきた。ニキフォルにとって絵はすべてだ。仕事であり生活そのものであり、描き続けることだけが彼の望みなのである。

映画は淡々とリアルに、ニキフォルのたたずまいを映し出す。深い皺、黒く汚れた爪、床に吐き出す痰までも。この老人を演じているのが当時84歳のポーランドの女優、クリスティーナ・フェルドマンというのが驚異だ。
実在の男性を女優が演じるというアイデアはどこからきたのだろう。生前のニキフォルに生き写しと評判だったそうだが、どこからどう見ても偏屈なおじいさん。違和感どころかまさにニキフォルという人物がここにいる、という存在感に圧倒される。

この映画の主役は確かにニキフォルだが、これは天才に出会ってしまった男・マリアンの物語でもある。
天涯孤独で絵だけに生きるニキフォルと対照的に、マリアンには平穏な勤め人の暮らしと、養うべき家族がある。そんなマリアンが、ニキフォルのマイペースぶりに翻弄され、ときには腹にすえかね、怒りをあらわにしながら、結局はニキフォルを丸ごと受けとめていく行程がとても自然に描かれている。
その才能に惚れぬいただけでなく、手前勝手で抜け目がないくせにどこか憎めないニキフォルの愛らしさ、幼子のような無垢さがマリアンに「どうしてもこの人を支えたい」と思わせたことがよくわかる。
マリアンは自分がかなえられない夢をニキフォルを支えることで現実にし、ニキフォルはマリアンの献身によって、病の中も生きて描くすべを与えられた。

親子でもなく師弟でもなく、絵への思いと不思議な縁によって分かちがたく結び合った二人の男の間に生まれた感情は、ニキフォルの肺結核が進行する中でどこか聖性すら帯びてくる。
けれどもこの映画は、あざとい表現を封じて、感情の動きをていねいにすくいながら、情緒におぼれずただ人間の表情やしぐさだけを見せていく。その抑制がとても好もしい。
クリニツァの町の素朴な美しさは、映画の中で写し出されるニキフォルの水彩画の透明感のある色彩、独特のタッチそのままに心に残る。

もし今、自分の絵が信じられないような値で取引されていることを知ったら、天国のニキフォルはなんと言うだろう。「あたりまえだ」と言いたげに小さな背を伸ばしてみせるか、それともフン、と小ばかにしたように笑って、今描いている絵のほうがずっとすばらしいぞ、とばかりに描きかけの絵に戻っていくだろうか…。
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by higurashizoshi | 2008-07-14 22:54 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)
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