ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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2016年 11月 17日 ( 1 )

月の光

父が亡くなって一年。
命日を前に、父の仕事関係の方主催の一周忌、親族だけの一周忌と、思い出と親密さに満ちた濃い時間が流れた。父は生前の願い通り、京都の水辺から川の流れの中へと還っていった。
そして命日の当日。不思議なことが起きた。

その日、私は朝から仕事に行っていた。私の働く店には、アンティークの家具や日用品がたくさん置いてある。その中に、古ぼけた手回し式の蓄音機があった。
もうこれは壊れているのよ、とオーナーから聞かされていて、お客さんにも私はそう説明していた。だから私は、装飾品としてあつかわれているその蓄音機の音を、もちろん一度も聴いたことがなかった。
昼前、お店からお客がはけて、同僚も作業をしに外に出て、めずらしくぽっかりと私ひとりになる時間があった。私は店の入り口近くに立ちどまり、眺めるともなく外の景色を眺めていた。
父の命日は、4年前に亡くなった大切な友の命日でもある。その偶然の一致の意味を、私はあらためて考えていた。世界はどこでつながり、切れているのだろう?

そのとき、突然聞きなれない音が店内のどこからか流れてきて、私は眉をひそめた。これは何? 明らかに、いつも店内でかけているジャズのCDの音ではない。メロディというより、ひずんだ音の塊が延々と引き伸ばされているような奇妙な音だ。
音の発する方へと歩いていって、はたと私は立ちどまった。
蓄音機。まぎれもなく、壊れているはずの蓄音機からその音は流れてきていた。
しかも、誰もハンドルを回していないのに、ひとりでに音が鳴っているのだ。
私はちょっと茫然となって、外にいた同僚を呼びこんだ。彼女の方がこの店ではずっと先輩なので、この現象に答をくれるのではと思って。
でも、奇妙な音で鳴っている蓄音機を前に、「ええっ!?」と叫んで彼女が棒立ちになるのを見て、私は何かにせかされるように蓄音機の重い蓋を押しあけた。
中では真っ黒な盤の古いレコードが、くるくると踊るように回っていた。その上に重たそうな金属の針が乗って、そこから音の塊が鳴り響いていた。

「何なの、何なの?」と口走る同僚の横で、私は座り込み、針が掻き出している奇妙な音を聴いた。注意深く聴いた。
すると、脈絡のない音に聞こえていたのが、ひとつの旋律になって少しずつ耳に入ってきた。傷みきった盤を、これまた傷んでいるだろう古い針が掻くせいで、ひどくゆがんではいるがそれは音楽だった。しかも私がよく知っている音楽だった。
「待って。…これは、ドビュッシーの《月の光》です」
と私は同僚に言った。そしてなかばうわの空で、こうつけ加えた。
「父が、好きだった曲です」


あのとき、壊れているはずの蓄音機がなぜ突然作動したのか、なぜわざわざレコードが置かれ、針が落とされていたのか、今でもまったくわからない。
壊れているというのが誤解だったとしても、そもそもハンドルを手動で回さなければ鳴らない機械が、誰もさわっていないのに鳴りだしたのだ。
クラシック愛好家だった父が生前、「現代音楽は好きになれんけど、ドビュッシーはええな」と言い、特に《月の光》を気に入っていたこと。
それを告げると、その日が父の命日であることを知っていた同僚は、カッと目を見開き、
「お父さんやわ…。お父さんが来てくれたのよ!」と断言した。
わたしはまだうわの空で、「はあ…」と力なく答えるしかなかった。
父はもういないのに、ここに来ていた?

考えてみると、父の命日の前夜は、68年ぶりという最大級のスーパームーンだったのだ。
スーパームーン。地上に降りそそぐ《月の光》。
そういえば、命日の前日にも不思議なことがあった。
父が大好きだった海を見せるために、晩年よく連れて行っていた海岸が私の家の近くにある。そこを命日の前日の夕方通りかかったとき、ちょうど父がいつも海を眺めていたあたりに白髪の男性がたったひとり、海に向かって立っていたのだ。
後ろ姿しか見えなかったが、その背格好といい髪の感じやコートの着方といい、10年くらい前のまだ元気だったころの父に、はっとするほど似ていた。思わず駆けよりたくなるほどに。
でも、近づくことはできなかった。そうしてはいけないとわかっていた。

厳格な無神論者だった父は、死後の世界も不滅の魂も信じなかった。
父は「死は、無や」と言った。それは子ども時代の私には絶対的な、暗くおそろしいイメージだった。
そしてそのことが、父の身に起きた。父は、もういない。それは事実で、動かしがたい。
でも父は、無になってしまったのだろうか?
父が空を飛んできて、蓄音機でレコードをかけてくれたのだと信じることは、私にはできない。海のそばに立っていてくれたのだとも、考えられはしない。でも、不思議なできごとのもたらす感情は、私をつつむ。やわらかな靄のように、ビロードのように。

確実なのは、これから先ドビュッシーの《月の光》を聴くたびに、私はあのときの感情を思い出すだろうということ。そして父を感じる。せつなく、そして胸いたむほどになつかしく。
命日を過ぎ、新しく重なっていく日々を私は生きる。父のいないこの世で、ひっそりと父を感じながら。



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by higurashizoshi | 2016-11-17 00:04 | 雑感 | Comments(0)

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