ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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カテゴリ:雑感( 171 )

黙祷

3年前のこの日のことを思い出しながら、
3月11日午後2時46分、タタとミミと一緒に黙祷した。

うしなわれた、うしなわれた命。
その命を悼みつづける無数の人々の、人生。

そしてあの日から始まった、苦闘と、分断。
被災地となった、ただその場所に生きていたというだけで。
痛みに耐えながらこの3年を、この先を、歩かなければならない人たち。


私にできるわずかなこと。
この理不尽から眼をそらさず、逃げず、自分に与えられた仕事をまっとうすること。
もう一度、自分に誓った。
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by higurashizoshi | 2014-03-12 01:35 | 雑感 | Comments(0)

強さと、やわらかさ

昨日、NHKのドキュメンタリー
「未来への手紙2014 ~あれから3年たちました~」
を観た。
是枝裕和監督が、総合ディレクターとして初めて直接震災に触れた作品を手がけたとのことで、被災地の子どもたちのこの3年の変化が中心にすえられていた。
深刻ぶらない、さらりとした作りが逆に心に深くしみるドキュメンタリーだった。

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関西人にとって、震災、という言葉はあの19年前の空気を丸ごと表現するものだったけれど、3年前、東北を襲った未曾有の災害は、日本語の中の「震災」という言葉を塗りかえてしまった。
その被害の規模のけた外れの大きさだけでなく、阪神淡路の震災には存在しなかった、津波と原発事故という二つの要素が「震災」という日本語に内包されるようになった。そしてその二つの要素が、その後の被災地の復興を徹底的に阻害している。

今日、別の震災関連の番組で見た岩手や福島の様子は、この3年の間ほとんど手をつけられていない地域がどれほど多いか、その一端を見せてくれた。
津波で破壊された町が、いまだ放射線量が高すぎてそのままの形で放置されている。かけがえのないわが家だったものが廃墟になり、ふるさとだった地域が放射線ごみの仮置き場や、がれき置き場になっている。
住み慣れた土地を離れた人、住み続ける人、みんな心の痛みをかかえてこの3年を生きてきて、あまりに疲労の色が濃い。

そして被災地の外で暮らす人々は、たった3年前には津波や原発事故に衝撃を受け、何か自分にできることはないかと必死で考え、原発は恐ろしいものだと痛感したにもかかわらず、今ではそれらはもはや遠い過去の出来事のように日々を生きている。
被災地にかかわる活動をしている私のような人間でさえ、ふだん何気ない瞬間には3年前の震災も、今もずっと続く被災地の現実も忘れて、自分の目の前のことばかりに心を奪われていることに気づく。

これまで会った福島の若いお母さんお父さんたちから何度となく聴いた言葉。
「どうか福島を忘れないでください」。
最初は、忘れるはずなんてない、忘れようがないと思っていた。でも時がたつにつれ、当初の衝撃や熱意はさめていくし、遠い関西に住む自分にとって被災地の現実を《わがこと》として感じ続けていくことはむずかしいのだと思い知るようになった。
「こんな暗い重い話をごめんなさい」。
そんなふうに謝るお母さんたちもいる。こちらが謝りたくなってしまう。でもその一方で、どんどん細分化し、複雑化していく被災地の抱える問題の重さ大きさにたじろぎ、眼をそらしたくなる自分もいることに気づく。眼をそらして、よそごとにしてしまって、そうやって毎日を生きていけば楽だ。
だからこそ逆に、私は被災地にかかわる活動をやめないんだと思う。やめたら私は、本当に眼をそらしてしまうに決まっている。まったく私は私を信用していない。続けていくのは被災地の人たちのためではなく、むしろ私自身が逃げないためだ。

私がかかわっているのはおもに福島の子どもたちとその家族で、避難・移住という選択をせずに被災地にとどまる道を選んだ人たちだ。被ばくの不安にさらされながら、この3年をみんな懸命に生きてきて、やはりみんなそれぞれに疲れはて、被災直後とはまた異なる悩みをかかえている。
親が悩み苦しむ中で、子どもたちもたくさんの不安を感じ、プレッシャーを受けながらこの3年を生きてきたと思う。私たちが震災の年からずっとかかわっている子たちは、会うたびにびっくりするほど成長していて、大人の時間とは違う時間の流れが子どもにはあるのだということを実感させられてきた。

子どもたちは、被災のことを大人のように系統だてては語らないし、心に抱えることもそのままの形では口にしない。でもときどきふっとやわらかい穴がひらくように、自分たちの置かれた不安定な立場をどう自覚しているかや、この先も被災地で生きていくことへの不安をのぞかせる。
みんなふるさとが好きで、ふるさとで生きていくのが当たりまえで、でもそのふるさとはおびやかされているのだと感じている。原発事故のもたらしたものは、この「ずっとおびやかされている」という不安。

「未来への手紙」に登場する子どもたちの中には、被災した年の撮影では原発事故を起こした東京電力や、福島で発電した電気を使っていた東京の人々に対する怒りを率直にぶつける子もいた。
その子は3年後には、一方的に東電や東京の人を断罪するのではなく、対話が必要だと考えるようになっている。この広い心こそ原発を作った大人が見習うべきだと思う。
津波で肉親を亡くした子、家を失って一変した環境に必死で適応しながら暮らす子、みんな前を向き懸命に生きている様子が伝わってくる。大人にはない子どもの強さ、たくましさも感じられる。
同時にやわらかな心がどれほどの傷を負ったか、それを大人はどんなふうに受けとめ見守ることができるのかということも、深く考えさせられた。やっぱり『誰も知らない』から続く是枝さんの作品だな、と思った。

そして最後に登場する、石巻の大川小学校で生き残った男の子。
3年後の今は中学生になり、そのまま地元に住んでいる。
大川小を襲った地獄のような状況を生き延び、多くの友だちや先生を目の前で失い、同時に彼はお母さんと妹を津波で亡くした。
3年でずいぶん大人びた少年になって、おだやかに淡々と語る彼を見ていて、心の奥にある苦しみ悲しみの記憶を、この子はいつか昇華できるのだろうかと思った。

深く心に残ったのは、今はまだ当時のままの姿で残っている小学校を、彼は折に触れてずっとカメラで撮影し続けていること。
震災後、悲惨な津波被害のシンボルのようになってしまった大川小学校だけれど、彼にとっては大好きな友だちとの楽しい思い出がいっぱい詰まった、大切な場所なのだ。
遺族の要望もあり、いずれ取り壊されてしまう可能性が高い小学校の校舎。
愛するものを失ってしまったつらさは誰よりも味わっているはずなのに、そこに何度も行って、この大切な場所がみんなに忘れられないようにと撮影し続ける。悲惨な場所じゃない、ここで幸福に生きていた時間があったんだと彼は静かに叫んでいるようだった。
そして、ここを見て津波のおそろしさも知ってもらいたいんだと彼は言う。その強さにも私は衝撃を受けた。

天国に向けたビデオレターを最後に彼は作る。
天国の、お母さん、妹、学友たち、先生たちに向けて。

「みなさん、そちらは暖かいですか?こちらはだいぶ寒くなってきました」
「みなさんはどう思いますか?みんなとの思い出の詰まった校舎が壊されて悲しくはありませんか?壊したい人の気持ちも分からないわけではないけど、もし壊すのであればもっと多くの人に見てもらいたいです。
大川小の校舎を見て地震の怖さや津波の恐ろしさを知ってもらい、これからの防災に役立ててほしいと思っています。
最後に…僕は今を大切にしていろいろな人たちとの出会いを大切にして生きていきたいと思います」



子どもはやわらかくて、強い。
強いけれど、あまりにもやわらかい。
そんな子どもという存在を、大人はちゃんと大事にすることができているんだろうか。
そう考えていけば、どう行動するか、何を目指していくかの答が見えてくる――そんなふうに、あらためて思った。
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by higurashizoshi | 2014-03-10 00:31 | 雑感 | Comments(0)

湯たんぽさん

最近フィギュアの話ばかり書いていたけれど、「ひぐらしだより」は別段フィギュアスケートについて書くブログではないのです。と自分で再確認したくなるくらい、このところ映画のレビューもとんと書かず、読んだ本とか行った展覧会とか、ぜんぜん書いてないんだよねえ。そのくらい、特に今シーズンはフィギュアに耽溺してきたということなんでしょう。

というわけで気を取り直して、ちょっとした身辺雑記を。


昨年末、思い立って湯たんぽを購入したわが家。エコエコ♪とよろこんで早速使いはじめて数日後の朝のこと。

布団に起き上がり、何げなく左足をさわった。すると「べちゃっ」。
ん?べちゃ? なんだこの感触?
と思って左足の向こうずねあたりを布団から引き抜き、よく見ると…

「ぎょええええ、なんだこのホラー映像はっ!」

ごく小さな範囲なのですが、向こうずねの一部分が完全にただれているというか、異質な世界のものになっているではないか。血も出てるし。
しかも、痛い。
これは、何…?

便利な世の中ですね。
リビングへと駆け下り、パソコンを立ち上げ、しばし検索。
何が起きたかということは、すぐさまインターネット世界が教えてくださいました。
「湯たんぽによる低温やけど」。
これでした。

そして、「軽く見るなよ低温やけど、すぐ皮膚科へ行かんと後悔するぞ」という激しいメッセージを目にして、なかなか医者に行かない私がその日のうちに受診。
「いや~、みごとな低温やけどですね~」
と若いドクターのお墨付きをいただき。
「湯たんぽによる低温やけどは、治りにくいんですよ~」
明るくドクター続けて、
「つまりね、遠赤外線であぶり焼きされてる肉? ああいう感じで時間をかけてじっくりと焼かれてるわけですよ。相当奥まで深くやられてる場合も表面から見ただけだとわからないんですよね~」
なるほど、なるほど。《あぶり焼き工房》とかいう文字が頭に浮かびながら説明を聞く私。
うん、それはなあ。治るのもすぐというわけにはいかんわなあ。

「で、どのくらいかかりそうですかね?」と聞くと、
「うーん、二週間くらい、ですかね~」との答。
うっわー、そんなかかるのかあ。めんどくさいなあ。でもちゃんと治さないとな。


というわけで受診後は、ドクターのおおせの通りに毎日消毒をし、細菌をやっつける薬をせっせと塗って滅菌ガーゼを交換し…

あれからすでに2か月以上。



「治ってねぇ!」



あのあと、ホラーなただれが治ってきたと思って、甘くみたのがいけなかったのかな。ちょっと消毒もおこたり気味だった…かな?
と思う間もなく、次は来ました壊死。ただれの傷が治ってきたわいと思ってきたところが、今度は別のいやな色に変わり、
「おう…私の身体の一部が壊死…」
毎日痛いし、消毒のときに見ると相当興味深く、生きている私の身体の一部が死んで行ってる不思議を実感。

ソチ五輪中は自分のちっぽけな壊死のことなんてどこかにふっとんでたものの、一応(すでにルーティンワーク)日々の消毒は続けてました。
しかし、まったく治らない。
どんどん悪化するわけでもないけど、治るわけでもないという。

はい、今日も皮膚科に行ってきました。初診から2か月と11日後のことです。
ドクターは、
「うーん、湯たんぽによる低温やけどは、治りにくいんですよね~」。
そう言いながら、私の壊死部分をピンセットでぐいぐいとつまんで掘り返していきました。

だーっ! 

「あー奥まで行っても血が出ないってことは~、まだここは新しい皮膚が出来るとこまでいってないですね~」
うーんと考え込むドクター。
「でも、ほら!この周りの皮膚はピンク色になってきて!治ってきてるということですよ」
と希望もにじませてくれる。
「悪化しているという兆候は、ないです!」
と力強いお言葉。

結局、これまで通りの消毒をして、これまで通りの薬を塗ってガーゼでふさぐ…ということを繰り返し、治るのを待つしかないということで。
診察室を去り際に、
「治るまでどのくらいですか?」
と2か月と11日前と同じ質問をしてみると、あのとき「2週間ぐらいかな~」という答だったのが、今回は壮大な答が返ってきた。
「いや~僕が診た湯たんぽの低温やけどの患者さんで、半年以上かかった方がいましたね~。しかも高校生」
あー。そうなんだ。しかも高校生。ふふふん。
となると私の場合もっと壮大かもしらんな。と思いつつ家路についたのでした。


ちなみに今も毎晩その湯たんぽを使っている私。
友だちに話すと「信じられない!」って言われたけど、あのときはカバーの口ひもをしっかり締めてなかったからで、湯たんぽは悪くないの。この子を悪く言わないであげて!
って非行に走ったわが子を後ろ手にかばう母みたくなるのは、湯たんぽ生活は思った以上に快適で気分的にもよろしいので。
毎冬、納得いかない気分で電気毛布やホットカーペットを使っていたモヤモヤ感から解放されてとても爽快なのだ。
というわけで、そのうちきっと治るよね。と思いながら、壊死をかかえた足を湯たんぽに乗せて、今夜も眠りにつくのです。人生はこんなふうに、愚かと温かさがいりまじったものなのだ、とか思いながら。






    僕たちね、湯たんぽなくても温かいの。
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by higurashizoshi | 2014-03-07 23:43 | 雑感 | Comments(2)

新年

年末のごあいさつもできず、新しい年が明けました。

遅くなりましたが、昨年も「ひぐらしだより」をお読みいただきありがとうございました。
フィギュアスケートシーズンに突入以来、どうしてもフィギュアの記事が多くなってしまってますが、ほかにもいろいろと書いていきたいと思っています。今年もどうぞおつきあいください。



さて元旦の朝。
あけましておめでとう~

チャチャ「ねむい。」
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クー「ぼくはピシッとしてるで!」
うちの箱入り息子です。
となりに年末片づけられなかった新聞が積み重なってますが、お気になさらず!
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元旦、2日は大人数の親族宴会でした。
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大人、子ども、赤ちゃん、ウサギと、総勢20人近くで入り乱れておりました。
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「人間が多くてやってられんわ~。お正月ってやかましいなあ」(姪っ子の愛兎・トンすけ談)




で、今日3日はやっと家でゆっくりお正月。
子どもたちと一緒に作ったおせちを、のんびりいただきました。
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侵入者チャチャ。
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これから年賀状を書くという… がんばれ自分。
みなさんにとって、どうか穏やかで喜び多い一年でありますように!
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by higurashizoshi | 2014-01-03 14:59 | 雑感 | Comments(2)

お墓参り

友のお墓参りに、群馬に行ってきた。

深い山の中に、彼の生家はあって、十数年ぶりに訪れたそこは、もう誰も住む人なく荒れ果てていた。
お墓は、その家のすぐ近くの小高い林の中にあった。

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遺伝性の病気で次々と肉親を亡くし、自分もその病気で長い長い間苦しんだ彼。
でも精一杯、精一杯生きた。

「なにをはるばる来てんだよ、オレはこんなとこにいねえぞ!」
って空から見てるよね、と冗談をいいながらお墓に手を合わせた。
だけどきっと、ちょっと照れた顔で、
「わざわざありがとな」
と言ってくれたと思う。


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区切りになるというほど簡単なことではないけど、彼が大好きだった人たちに会い、いろんな話を聴いて、そしてこの山の空気を感じて。
永遠に去ってしまったことを断絶としか思っていなかったけど、今までよりすこし、身近に彼の存在を感じられた気がする。


昨夜帰り着いて、布団に入ったらなぜかまた泣けて泣けてしかたなかったけれど、そのあとはいつからぶりか深く眠った。
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by higurashizoshi | 2013-11-21 23:09 | 雑感 | Comments(0)

一年

今日は、友が亡くなって一年目の日だった。

あの日、昼過ぎに激しい通り雨が降った。
その直後、母を病院に連れて行くために車に乗って、そしたら携帯が鳴った。
そのときから、なにかがずっと止まっている。

今日、眼が覚めたら雨が降っていた。
今日、また私は母の世話をしに車に乗って行った。

あなたのいない世界で、一年、生きたよ。
世界はとても美しくて、泣きたくなるよ。


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by higurashizoshi | 2013-11-15 21:46 | 雑感 | Comments(2)

モヤモヤぐるぐる

またまたご無沙汰している間に何があったかというと、父に続いて今度は母が救急搬送、入院という事件が起きていたのです。
夜遅くに父から電話があり、母の足が立たない、ろれつも回らないとのSOS。救急車を呼び、えらく遠くの病院に搬送され、脳の検査をしつつ3日間の入院。心配した脳梗塞などは見つからず、原因不明のまま退院。で、退院後はまたも私が実家に泊まりこんで、母が自力で夜中のトイレに立てるのかの見守り、などなど。

この期間は、タタと一緒に東京に行く予定で、何人もの友人知人に会う約束もしていたのだけど全キャンセル。とりあえず母が本当の急変でなかったことは、父に引き続き本当によかったけれど、この《いつでも実家に飛んでいって泊まりもありスタンバイ状態》が続く限り、今後遠方に出かけることは不可能ではないか?と気づく私。
来月にも再来月にも東京に行く予定なのに、どうしたらいいのだ。

私が泊りがけでどこかに出かけるときは、法外な料金を払って民間の夜間ヘルパーさんを雇う?
もしくは母をその間は施設にショートステイさせる?

一方では母の入れるホームを探しつつ、しかしまだ家で暮らせる…そうさせてあげたいという気持ちも強い。
たとえば私が実家に住み込んでサポートすれば、確実に母はもうしばらくは家で暮らせるだろう。それもわかっている。
でもそれは、私が自分の家を今以上になおざりにし、まだまだ思春期の娘たちとの時間を、これ以上さらに削るということにほかならない。

私は私の人生でやりたいことが山ほどある。
家族のために自分の人生をある程度費やすことは当然としても、私の人生の限られた時間を丸ごと差し出すことはできない。
もちろん、老いた親と同居している場合、生活のほぼ全部を親のために使っている人もあるだろう。認知症の親を家で介護している人のブログなどを読むことがあるけれど、それこそゆっくり寝る間もなく排泄を含めた世話に追われ、デイサービスに預けた間に自分の仕事や家事を片づけ、自由時間など夢のまた夢、それこそ「24時間戦えますか」の世界。
そして、昔の日本では老親を抱えた人(特に女性)にとっては、それが当たり前だったわけだ。デイサービスだのショートステイだの、なんていうものすらなく!

私がそういう介護の仕方を選ばない以上、自分の人生の時間を大事にしたいと考える以上、あるところまでがんばったら見切りをつけて、他人の手に親をゆだねるべきなのだ。
「もう、そういうところまで来ているんじゃないですか?」と私に言う人もいる。そして、そう言われるとまた心が揺れる。割り切ることはできない。合理的じゃないのだ。
で、当の本人はどうかというと、母には自分が病気だという自覚はないから「家から施設に移る」という選択肢は母の中に存在しない。
百歩ゆずって「そうね、施設に行って楽に暮らすのもいいわね」と、あるとき言ったとして、数分後にはそう言ったこと自体を忘れてしまう。ふたたび母にとっては「家にいるのが当然」になる。だから「家から施設へ」という考えが母の中で定着することは、たぶんない。

というわけで、もし母をグループホームなどに入れるとしたら、それはほぼ「だまして」「連れ去る」ことになる。表現は悪いが、そういうことだ。それをやるのは家族で、時期を決めるのも、施設を決めるのも家族。
自宅で暮らす一個人を、何のことわりもなく見知らぬ場所へ移住させて閉じ込める。記憶が欠落していく認知症患者を施設に入れるとは、そういうことなのだ。本人にとっては、ありえない人権蹂躙。それを、パッキリと割り切って「ハイ」とできるわけがない。

だから、そんな「罪」をおかしてでも、その先に老親の安全と平穏があるのなら、罪に甘んじようと家族は思う。
ホーム探しをしながら、私も注意深くそれぞれの施設を観察する。この先ありうるさまざまなケースを考えて職員の話を聞く。それでも、実際そこに入ってからのことは結局予測はつかない。
親の問題に関しては「ベストはないからベターを探す」という言葉を友人が教えてくれたけれど、そうでしかないんだなあとつくづく思う。しかし始末の悪いことに、以前書いたように常に悲観的な性格の私は、母を施設に入れたあとの未来予想図がなかなか明るく描けない。ええかげんにしなさいと自分に言いたい。

自由がほしいとか言ってるくせに、施設に入れるのを恐れているという矛盾。その二極の間のいろんな段階をぐるぐる行き来しているのが今の私だ。なんだかとってもモヤモヤしている。しばらく、ぐるぐるモヤモヤしながら進んでいくのだろう。


こんなモヤった楽しくない話を読んでいただいたみなさんに、おわびとして今回はうちの子じゃない近所の子を。
(次回は、ついに出たスピッツのニューアルバムのこととか、フィギュアのこととか、創造的な話を書きたいです。ううう)



ご近所のマンションの地域ネコ三代目、今4か月くらいかな。
ネコが箱座りする季節になりました。
秋だにゃ。
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by higurashizoshi | 2013-09-18 22:19 | 雑感 | Comments(2)

山あり山あり

やっと体力も回復してきて、キャンプでの逸話などトロトロと書こうと思っていた矢先。
実家から緊急連絡、父が救急搬送、入院。
母をひとりで置いておくわけにいかず、私はその後3日間、駆けつけた状態の着の身着のままで家に帰れず、実家に泊まりこんで父の病院との間を行ったり来たり。
なにせ、実家はものすごく交通の便が悪い僻地にあって、タタやミミに着替えを持って来てもらうこともできず、というかそんな細かい連絡をしている余裕もなく、もちろん着替えを買いに行くヒマなどなく、猛暑の中で3日も同じ服を着続けるという初めての経験をしたのでありました。(誰も気づいてませんように…)

で、肝心の父はというと、これはもう決定打か!?と思うような大騒ぎだったにもかかわらず、入院の翌々日には病院食を完食!? 別の意味でまたも度肝を抜かれ、もうどーにでもしてという感じ。
父、ヨロヨロはしているものの、すぐに自力で身の回りのこともできるようになり、これが昭和ひとケタの底力なのね…と、改めて思い知らされたわけで。
しかし母は、日ごろあんなに文句ばかり言ってるのにやはり父がいなくなると不安定になり、状況を把握できないゆえになおさら混乱が深まり、症状が急に進んだ感じになってしまった。
こうなってくると、あとをついて歩いていくくらいのサポートをしないと、あぶなっかしくて仕方がない。ヘルパーさんや、忙しい合間をぬって来てくれた姪っ子にも助けられて、父が退院するまでの一週間をどうにか乗り切った。

バッドタイミングで遠方に出かけていた姉夫婦もようやく帰ってきて、今度は母がさらに症状が進むことを考えて施設探しがスタート。
それをしつつも、キャンプの残務整理もいろいろあり、以前消えた仕事の話がまた浮上して打ち合わせに行ったり、タタとミミは前期試験が迫ってきて、特にミミは生涯初の学科試験ということで大変だ! いや、私は別に大変じゃないんだけど、キャンプ期間から父の入院も含めてミミに家事の負担がかかりすぎ、真面目なミミは気持ちのうえでも大変だったのだ、ということにようやく気づいた鈍感なハハ。
そこで毎晩、夜中すぎまでミミの話に耳をかたむけ、ちょっとだけガス抜きができたかな?というところで今日はとうとう試験の日。朝早く、二人は学校に出かけて行きましたー。
気づけば、超寝不足の自分がひとり…

いやいや、これから母の施設の候補2か所、見学に行かねばならないのです。ああ、布団が私を呼んでいる~。休みがほしい、というよりなんかこの《追いかけられ続けてる感》から抜け出したい。
実はフィギュアスケートの本格シーズンインも目の前で、年末に福岡で開催されるグランプリファイナルのチケットも先行予約が迫っており、またまた恐ろしい考えに取りつかれそうな(冷静になれ!行けるわけないだろ!)このごろ。


そんなわけで、書きたいと思いつつもなかなか更新できないかもしれませんが、合間を見つけて書き続けます~。




おまけ。
桃の空き箱が最近お気に入りなの。
はまるぅ~。
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by higurashizoshi | 2013-09-01 10:25 | 雑感 | Comments(6)

帰還しました

なかなか再開できなかった「ひぐらしだより」。ちょうど今日で、キャンプが終わって一週間経つんだなあ…。そろそろ書けるかなあ…。


今回で3度目のキャンプになったわけだけど、最も暑い時期に重なることもあり、その猛烈な忙しさとカオスな空間に身を置く日々はまさに別世界。
しかし、子どもたちとの再会はなんともうれしいし、新しい子とちょっとずつ親しくなっていくのも楽しい。
今では外で遊んでるよ、という子もいれば、通学や通園以外ほぼ家で放射線を避けて過ごしているという子もいる。食べもの、飲料水、遊び場、それぞれの家庭の選択があり、やり方があり、わが子を守るために何をどこまで、どう気をつけるかというせめぎ合いを、原発事故被災地の親は常にしている。指針は示されず、ただ「大丈夫」「安全です」が繰り返される状況の中で。

一昨年の、震災から数か月でキャンプに来たときにくらべて、子どもたちは一見、落ち着いた。地元の学校の除染が進んでいることから、学校では外遊びができるという子も多い。
除染して本当に安全かはともかく、室内に閉じ込められて過ごしていたあの夏の不自由さに比べれば、ずいぶん子どもたちの環境は変わったとはいえるだろう。
だから、「子どもたちをとにかく安全な戸外で遊ばせてあげたい」という、保養キャンプの当初の、一義的な動機は弱まった。そのことをこの第3回のキャンプで感じた。けれど、その一方で、この2年半近くの間に子どもたちの心身でおきてきた変化を、初めて如実に感じたのも今回のキャンプだった。

「あたしたち、福島だから結婚できないよね」「子ども生めないし」「30歳になったら死ぬから、好きなことしたい」。
小学校高学年の女の子たちは、あたり前のことを言うようにさらりと言う。
そのことを理屈で否定しても、あまり意味はないのだろう。問題はそういう思いを、怒りとしてでなく諦念として表現すること、そうせざるを得ない子どもたちの「今」にどう寄り添うかということなのだと思う。

たくさんの支援者から届いた野菜の余り分を、お別れバーベキューのときに「ご自由にお持ちください」と書いて箱に積んでおいたら、子どもたちが群がって自分の袋に野菜を詰めはじめた。しかもなぜか、男の子ばかり。
聞くと、「お母さんに持って行ってあげるんだ! これは放射能入ってないから」。
「おお、お母さん喜ぶねぇ」と言いながら、胸がつまる。食材調達に心を砕いている母親のことを、息子たちはよく知っているのだ。

全体的に子どもたちには、皮膚疾患や呼吸器系の疾患が多く、薬の使用も多い。外遊びが少ない影響もあるのかもしれないし、親も神経質になっているところもあるのかもしれない。だけどもし自分が福島に住んで子育てしていたら、神経質にならない方がおかしいだろう。
この国で未曾有の原発事故と大規模な放射線被ばくが発生してから、わずか2年半足らず。
たったそれだけしかたっていない。まだ、この事態は始まったばかりなのだ。そして子どもたちの未来は長い。

たとえ低線量といわれるレベルになっていても、日常的に他の地域とはくらべものにならない放射線量を浴びて育つ子どもたちに、せめて長期の休みの間だけでも、安全な場所でのびのびと過ごしてもらうこと。そのぐらいのことを大人が準備できなくてどうするのだ、と思う。
でも事実は、わずか30人ほどの子どもを半月招くだけで精いっぱいな自分たち。歯がゆいけれど、この小さな歩みをともかく続けていくほかはない。

そして「福島だから」というあきらめの声を子どもたちが発することが、いつかなくなるように。そんな悲しいことばを、子どもたちに言わせているのは誰か。
今回キャンプの最中に思っていたこと。これは《支援》なんかじゃない、この国で生きる大人として、私はその責任のはしっこを、こうしてごくわずかに背負わせてもらっているのだ。
いっそう、その気持ちが強くなった。

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そうはいいながら、やっぱりひぐらしはひぐらし。
キャンプ中には数多くのドタバタ、失敗を繰り返し、新たなレジェンドを作ってしまったのでした。
まさに、涙あり、笑いあり(などと言っていると迷惑をこうむった人たちから殴られること必至)。
次回は、ゆるゆるとそんな話も書いてみましょう。


今回のキャンプの様子は、こちらからどうぞ(ブログ担当のせいで、ものすごく長大です。ご覚悟を)
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by higurashizoshi | 2013-08-18 23:07 | 雑感 | Comments(0)

キャンプを前に

横浜と東京に行ってきて、参院選が終わって、今はあと数日で突入する保養キャンプの追い込み準備。
福島県から、今年も30人ほどの子どもとお母さんたちがやってくる。7月28日から15日間、また最高に忙しく、凝縮された日々が待っているのだろう。
私はキャンプの事務局担当。事務局っていっても事務所もなければ事務員も私ひとりなんですけど。
そして、キャンプのブログもずっと担当しているので、期間中は子どもたちの動きに張りついて大量の写真を撮り、記事を書いて毎日ブログを更新する。だんだん子どもたちとも仲よくなり、お母さんたちともじっくり話をし、とてもやりがいはあるけれど、責任も重い。

そもそも、なぜこの子たちを関西に呼ぶことになったのか、そのことを思い返すと心は沈む。私たち大人がしてきたことの結果だからだ。
端的にいって、大地震があっても原発がなければ、この子たちは福島で、ふつうの子どもらしい日々を生きていけた。首から線量計をぶら下げさせられることもなければ、避難するか福島にとどまるかで家族や友だちと引き裂かれることも、家や遊び場や学校の放射線量におびえることもなかった。
県外から取り寄せた食品を食べ、側溝や茂みに入らないよう厳しく親から言いつけられ、将来いつの日か、《健康被害》が形をもってあらわれる不安を背中にしょっている子どもたち。
去年もおととしも、地元ではできない自然と一体になった遊びに、しんそこ夢中になる子どもたちの様子を見ていると、ときどき立ち尽くしてしまった。
私たち大人が、この子たちから安心と自由を奪ったんだと。
この地震国に、廃棄物の処理方法も定まらない、事故が起きれば大規模な汚染をひきおこす原発というものを50基以上もつくり、それを受けいれてきた。それは、この国で権利をもつすべての大人に責任があることだ。

事故からたった2年あまり。福島第一原発は、今も制御できない状態が続いている。高濃度に汚染された水も、地中へ、海へと漏れている。
福島県周辺の子どもたちは、今もほとんど放射線量の変わらない多くの場所で暮らしている。除染は、移染に過ぎない。そもそも山林は除染できない。

そしてそんな現実の中、参院選はおこなわれた。
原発の問題を争点にした政党、立候補者は、数えるほどだった。
景気回復、経済復興をとなえた政党が大勝した。彼らは原発を再稼働し、輸出する。福島で子どもたちがさらされている現実は、《ないこと》にされる。そういうマジックが、現実になるのだ。
圧倒的な有権者が、彼らを選んだからだ。この国の大人の大多数が、原発のことよりも、未来の子どもたちの安全よりも、目の前の経済的安定を選んだ。


投票を終え、結果を見た今。
私にできるのは、今年も関西にやってくる、たった30人ほどの子どもたちを迎えることだけ。
福島ではできないことのできる、豊かな日々を過ごさせてやってください、というお母さんたちの言葉とともに、子どもたちはきらきらした眼で長旅を越えてくる。
私が大人であることの責任を、この子たちの眼が照らし出しているといつも思う。



8月半ばのキャンプ終了まで、ひぐらしだよりは休業します。
キャンプでの子どもたちの様子を、7月28日からこちら(「明石であそぼう!たこ焼きキャンプ」ブログ)で見ていただければ幸いです。
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by higurashizoshi | 2013-07-25 00:22 | 雑感 | Comments(0)
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