ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
プロフィールを見る
画像一覧
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

カテゴリ:雑感( 174 )

つらつら考えて

3週間近くもブログを更新できず…。
その間にもときどきコメントやアクセス数のチェックはしていたのだけど、この梨のツブテ状態にもかかわらず、ずいぶんたくさんの方がここを訪問してくださっていて、その数が減ってないことに驚いていた。

これはたぶんフィギュア関係のことを書くようになって、出来心でブログランキングなんぞに参加するようになったからなんだろうな。もともとフィギュアに特化どころか、フィギュアスケートについて書くようになったのはブログ始めてからかなーりたってからのことで、身辺雑記や、映画や美術展や本や音楽の話をぽつぽつと書きつらねる超インナーなブログだったわけで。
そういう間はアクセス数も、ずーっとのどかそのもの、ほとんどチェックすることもなかったし、未知の方からの反響も少なかった。
でも、フィギュアのことを書くようになってからだんだんブログへの反応も変わってきたし、私自身がここに文を書く姿勢も変わってきた。そもそも、私自身の日々の暮らしや環境も、このブログを始めたころにくらべたら大きく変化してきた。

で、しばらく更新できなかった(ただひたすら忙しくて余裕がまったくなかったからなのだけど)間につらつら考えたのは、いつのまにか6年(!)も続けてきたこのブログも少し整理が必要になってきたなということ。
だから、ブログの方向性とかそんな大げさなことは別に考えてなくてもいいのだけど、ひとつは、今後はあまりプライベートな話題、特にもはや成長したわが家の娘たちのことなどは、差しさわりのない範囲でだけ触れるだけにしていこうということ。
ブログなど個人発信ツールを家族にも公開している人も多いと思うけれど、私はこのブログは個人的な書きものとして特にわが子には非公開にしてきた。だからこそ書けることを、たくさん書いてきた。

でもいまや、当然ネットを駆使している娘たちが何かの機会で見つけたこのブログを目にする可能性もある(なにせ彼女たちもフィギュアファン!)。そんな単純なことにもっと早く気づけって話だが、なんだかそんなことはないだろうと根拠もなく思いこんでいた私。
これって考えたら不思議な図式で、狭い一軒の家で家族のひとりが発信したものがウェブ世界を駆け回って、結果またその狭い家の別の家族のもとで発見されるという、なにやら昔のSFのような話だ。でもそれが当たり前になっているのが現代ということなのだなあ。

というわけで、《一応世界中(家族含む)の誰が目にしてもいいブログ》にするために(といってもわざわざ娘たちにその存在を知らせるわけではありませんよ)、過去記事のそのあたりの文章もこれを機にかなり削除して、自分だけの記録として保存することにした。
これからはあくまで私個人の興味関心にかかること、映画やフィギュアや絵画や音楽、社会的な問題を中心に書いていくつもり。家族を含め身近な人のことも、もちろん書くことはあると思うけれど、これまで以上にプライバシーに触れないようにしたいと思う。過去記事については、まだこれから少し時間をかけて、さらに全体的に整理をしていきたい。


いつもここに立ち寄ってくださる方に。「ひぐらしだより」が私にとって大切な発信の場であることは変わらないので、これからもぼちぼちとじっくりと文をつづっていきたいと思います。
多少更新が滞ったりしても、楽しみながらぼちぼちを続けていきますので、よろしくお願いします。
気づけば、フィギュアファンにとって新シーズンが始まる大事な日、7月1日も目の前。
そして、スタッフをやっている被災地の子どもたちを招く夏のキャンプ開催もあとひと月足らず。
思いがけず秋に海外に旅をする計画も持ち上がって、その準備に右往左往したり。まあいろいろありつつ、
深呼吸してまたがんばるぞー。
[PR]
by higurashizoshi | 2014-06-23 16:48 | 雑感 | Comments(1)

5月。薔薇と空

めまぐるしく、くらくらと過ぎた4月が終わるころ、丸2日間寝込んだ。
激しい頭痛から始まって、なぜだか身体の上から下へと順に痛くなり、何も食べられない、起き上がれない。

これは、ときどきやってくる私のリセット。
無意識に、心と身体をこうして再生させるのだと思う。

いつも、いきいきと生きたい自分、人とつながり、前にむかって進んでいく自分と、
眼をつぶり、閉じこもり、誰ともつながらず、淵の底にうずくまりたい自分がいる。

心の底をのぞきこめば、眼がくらむほどの深さと昏さ。
生きてきたそれだけの分、贖えないことの数に茫然となる。

平気なふりで語り澄ましている自分という社会的存在が、
ぐるりと逆転して天井から無力な私を見おろしている。

そのことをじっと静かに味わっていると、だんだん時とともに受容がやってくる。
それを待つ。
起きあがる。


5月が来て、薔薇が咲いた。
空は、どこまでもつきぬけるような青。
大きく大きく、息を吐く。

d0153627_18244133.png

[PR]
by higurashizoshi | 2014-05-07 18:26 | 雑感 | Comments(2)

やっかいな心

4月5日に世界選手権の大阪エキシビションを観に行って、超豪華なスケーターたちの演技に胸いっぱいになりながら、脱兎のごとく会場を抜け出して一路福島へ。
福島ではこの夏の保養キャンプに向けての子ども会議に参加して、保護者の方たちともいろいろな話をしてきた。
一晩泊まりで翌日の夜中に帰宅。やっぱり福島は遠いなあ。でもずいぶん行き来も慣れたなあ。

で、帰ってきてからも地元の集まりでたくさんの人に会ったり、花見をしたり、あれこれと用事があって、さて遅まきながら大阪エキシについて書こうと思っているんだけど…
心の疲れってやつですかね。
今日はひさびさにオフで家にいたのに、なんだか妙に沈んでいたのだな。
昨夜は友人の全快祝いで神戸の沖縄料理屋に数人で繰り出し、にぎやかに飲んで食べてしゃべって笑って… あれが外向けテンションの切れ目だったのかしら。
とか言いながら、今日CSで放映された世界選手権のアイスダンスのショートはしっかり観たんですが、それについても、よし書こう!という気持ちにならず。

気持ちの沈みの原因はおおかたわかっていて、一週間前に母が施設に入居して以来、予想しなかったいろいろな事態が発生して、そのことに心が追いつけないでいる。
要するに、施設に入ることを理解・受容するのは無理な母を、家族の意向で入居させた罪悪感だけでなく、入居後の母の激烈な抵抗と抗議に、私自身がそうとう参っているのだ。

母が苦しんでいるのに、自分が平気な顔で暮らしていることへの痛み。
一日何度も施設から電話がかかり、母と言葉をかわすたびに、ウソやごまかしを告げなければいけない心の重さ。
入居後はしょっちゅう会いに行こうと思っていたのに、あまりに母が荒れているのでまだ一度も会いに行けていない。

母にしてみれば、拉致監禁されたのと同じ。どんなにそこが、病気の母にとって安全で快適なはずの新しい環境なんだと伝えても、母にとっては家から引き離され、知らない場所に閉じ込められて不安と怒りでいっぱいなのだ。
1か月か、2か月か、母がそこに少しずつなじんで、言葉をかえればあきらめて、仕方なく受けいれてくれるようになるまで… どれだけかかるだろう。もっともっと、かかるかもしれない。

新聞やテレビで、最後の最後まで親の病気に寄り添ってともに暮らした人の話を読んだり見たりすると、きりきりと体じゅうが痛む。
これは母にとって善い選択なんだと、多くの人が言ってくれる。
いずれ私も、そう確信できるようになると。
そうなのかもしれない。そうであってほしいと思う。でも、そうでなかったら?
母にとっては大ケガの危険があろうが、火事を出そうが、家じゅうが糞尿まみれになろうが、自分の家で最後まで暮らす方が、長生きするよりずっとよかったのだとしたら?

母の状態がつらいだけでなく、自分の選択に確信がもてない不安が、この一週間、じびじびと私の心を重くし、疲れさせている。
いろんなところに行っていろんな人と会って、感動したり笑ったり、忙しく動き回りながら、どこかで自分をペテン師みたいに感じているのだ。
今日、オフになって急にドンと下降した心に気がついて、ようやくそんな自分の状況が見渡せてきたというわけ。
やっかいだなあ。自分で決断したことなのに、こんなにも揺れるとはね。

まだしばらくは、母にとっても家族にとっても修羅の日々が続くと思う。
それでも変化はあるのだろう。どんなことも、ひとところに留まることはないから。


というわけで、大阪エキシのことも、ワールドのアイスダンスについても、ちょっとあとになるかもしれませんが…
たぶんまた「よし!」と思ってガンガン書いたりするに違いない、と私は私について思ってます。
そういうやつなんです。
[PR]
by higurashizoshi | 2014-04-11 01:11 | 雑感 | Comments(0)

黙祷

3年前のこの日のことを思い出しながら、
3月11日午後2時46分、タタとミミと一緒に黙祷した。

うしなわれた、うしなわれた命。
その命を悼みつづける無数の人々の、人生。

そしてあの日から始まった、苦闘と、分断。
被災地となった、ただその場所に生きていたというだけで。
痛みに耐えながらこの3年を、この先を、歩かなければならない人たち。


私にできるわずかなこと。
この理不尽から眼をそらさず、逃げず、自分に与えられた仕事をまっとうすること。
もう一度、自分に誓った。
[PR]
by higurashizoshi | 2014-03-12 01:35 | 雑感 | Comments(0)

強さと、やわらかさ

昨日、NHKのドキュメンタリー
「未来への手紙2014 ~あれから3年たちました~」
を観た。
是枝裕和監督が、総合ディレクターとして初めて直接震災に触れた作品を手がけたとのことで、被災地の子どもたちのこの3年の変化が中心にすえられていた。
深刻ぶらない、さらりとした作りが逆に心に深くしみるドキュメンタリーだった。

d0153627_026333.jpg

関西人にとって、震災、という言葉はあの19年前の空気を丸ごと表現するものだったけれど、3年前、東北を襲った未曾有の災害は、日本語の中の「震災」という言葉を塗りかえてしまった。
その被害の規模のけた外れの大きさだけでなく、阪神淡路の震災には存在しなかった、津波と原発事故という二つの要素が「震災」という日本語に内包されるようになった。そしてその二つの要素が、その後の被災地の復興を徹底的に阻害している。

今日、別の震災関連の番組で見た岩手や福島の様子は、この3年の間ほとんど手をつけられていない地域がどれほど多いか、その一端を見せてくれた。
津波で破壊された町が、いまだ放射線量が高すぎてそのままの形で放置されている。かけがえのないわが家だったものが廃墟になり、ふるさとだった地域が放射線ごみの仮置き場や、がれき置き場になっている。
住み慣れた土地を離れた人、住み続ける人、みんな心の痛みをかかえてこの3年を生きてきて、あまりに疲労の色が濃い。

そして被災地の外で暮らす人々は、たった3年前には津波や原発事故に衝撃を受け、何か自分にできることはないかと必死で考え、原発は恐ろしいものだと痛感したにもかかわらず、今ではそれらはもはや遠い過去の出来事のように日々を生きている。
被災地にかかわる活動をしている私のような人間でさえ、ふだん何気ない瞬間には3年前の震災も、今もずっと続く被災地の現実も忘れて、自分の目の前のことばかりに心を奪われていることに気づく。

これまで会った福島の若いお母さんお父さんたちから何度となく聴いた言葉。
「どうか福島を忘れないでください」。
最初は、忘れるはずなんてない、忘れようがないと思っていた。でも時がたつにつれ、当初の衝撃や熱意はさめていくし、遠い関西に住む自分にとって被災地の現実を《わがこと》として感じ続けていくことはむずかしいのだと思い知るようになった。
「こんな暗い重い話をごめんなさい」。
そんなふうに謝るお母さんたちもいる。こちらが謝りたくなってしまう。でもその一方で、どんどん細分化し、複雑化していく被災地の抱える問題の重さ大きさにたじろぎ、眼をそらしたくなる自分もいることに気づく。眼をそらして、よそごとにしてしまって、そうやって毎日を生きていけば楽だ。
だからこそ逆に、私は被災地にかかわる活動をやめないんだと思う。やめたら私は、本当に眼をそらしてしまうに決まっている。まったく私は私を信用していない。続けていくのは被災地の人たちのためではなく、むしろ私自身が逃げないためだ。

私がかかわっているのはおもに福島の子どもたちとその家族で、避難・移住という選択をせずに被災地にとどまる道を選んだ人たちだ。被ばくの不安にさらされながら、この3年をみんな懸命に生きてきて、やはりみんなそれぞれに疲れはて、被災直後とはまた異なる悩みをかかえている。
親が悩み苦しむ中で、子どもたちもたくさんの不安を感じ、プレッシャーを受けながらこの3年を生きてきたと思う。私たちが震災の年からずっとかかわっている子たちは、会うたびにびっくりするほど成長していて、大人の時間とは違う時間の流れが子どもにはあるのだということを実感させられてきた。

子どもたちは、被災のことを大人のように系統だてては語らないし、心に抱えることもそのままの形では口にしない。でもときどきふっとやわらかい穴がひらくように、自分たちの置かれた不安定な立場をどう自覚しているかや、この先も被災地で生きていくことへの不安をのぞかせる。
みんなふるさとが好きで、ふるさとで生きていくのが当たりまえで、でもそのふるさとはおびやかされているのだと感じている。原発事故のもたらしたものは、この「ずっとおびやかされている」という不安。

「未来への手紙」に登場する子どもたちの中には、被災した年の撮影では原発事故を起こした東京電力や、福島で発電した電気を使っていた東京の人々に対する怒りを率直にぶつける子もいた。
その子は3年後には、一方的に東電や東京の人を断罪するのではなく、対話が必要だと考えるようになっている。この広い心こそ原発を作った大人が見習うべきだと思う。
津波で肉親を亡くした子、家を失って一変した環境に必死で適応しながら暮らす子、みんな前を向き懸命に生きている様子が伝わってくる。大人にはない子どもの強さ、たくましさも感じられる。
同時にやわらかな心がどれほどの傷を負ったか、それを大人はどんなふうに受けとめ見守ることができるのかということも、深く考えさせられた。やっぱり『誰も知らない』から続く是枝さんの作品だな、と思った。

そして最後に登場する、石巻の大川小学校で生き残った男の子。
3年後の今は中学生になり、そのまま地元に住んでいる。
大川小を襲った地獄のような状況を生き延び、多くの友だちや先生を目の前で失い、同時に彼はお母さんと妹を津波で亡くした。
3年でずいぶん大人びた少年になって、おだやかに淡々と語る彼を見ていて、心の奥にある苦しみ悲しみの記憶を、この子はいつか昇華できるのだろうかと思った。

深く心に残ったのは、今はまだ当時のままの姿で残っている小学校を、彼は折に触れてずっとカメラで撮影し続けていること。
震災後、悲惨な津波被害のシンボルのようになってしまった大川小学校だけれど、彼にとっては大好きな友だちとの楽しい思い出がいっぱい詰まった、大切な場所なのだ。
遺族の要望もあり、いずれ取り壊されてしまう可能性が高い小学校の校舎。
愛するものを失ってしまったつらさは誰よりも味わっているはずなのに、そこに何度も行って、この大切な場所がみんなに忘れられないようにと撮影し続ける。悲惨な場所じゃない、ここで幸福に生きていた時間があったんだと彼は静かに叫んでいるようだった。
そして、ここを見て津波のおそろしさも知ってもらいたいんだと彼は言う。その強さにも私は衝撃を受けた。

天国に向けたビデオレターを最後に彼は作る。
天国の、お母さん、妹、学友たち、先生たちに向けて。

「みなさん、そちらは暖かいですか?こちらはだいぶ寒くなってきました」
「みなさんはどう思いますか?みんなとの思い出の詰まった校舎が壊されて悲しくはありませんか?壊したい人の気持ちも分からないわけではないけど、もし壊すのであればもっと多くの人に見てもらいたいです。
大川小の校舎を見て地震の怖さや津波の恐ろしさを知ってもらい、これからの防災に役立ててほしいと思っています。
最後に…僕は今を大切にしていろいろな人たちとの出会いを大切にして生きていきたいと思います」



子どもはやわらかくて、強い。
強いけれど、あまりにもやわらかい。
そんな子どもという存在を、大人はちゃんと大事にすることができているんだろうか。
そう考えていけば、どう行動するか、何を目指していくかの答が見えてくる――そんなふうに、あらためて思った。
[PR]
by higurashizoshi | 2014-03-10 00:31 | 雑感 | Comments(0)

湯たんぽさん

最近フィギュアの話ばかり書いていたけれど、「ひぐらしだより」は別段フィギュアスケートについて書くブログではないのです。と自分で再確認したくなるくらい、このところ映画のレビューもとんと書かず、読んだ本とか行った展覧会とか、ぜんぜん書いてないんだよねえ。そのくらい、特に今シーズンはフィギュアに耽溺してきたということなんでしょう。

というわけで気を取り直して、ちょっとした身辺雑記を。


昨年末、思い立って湯たんぽを購入したわが家。エコエコ♪とよろこんで早速使いはじめて数日後の朝のこと。

布団に起き上がり、何げなく左足をさわった。すると「べちゃっ」。
ん?べちゃ? なんだこの感触?
と思って左足の向こうずねあたりを布団から引き抜き、よく見ると…

「ぎょええええ、なんだこのホラー映像はっ!」

ごく小さな範囲なのですが、向こうずねの一部分が完全にただれているというか、異質な世界のものになっているではないか。血も出てるし。
しかも、痛い。
これは、何…?

便利な世の中ですね。
リビングへと駆け下り、パソコンを立ち上げ、しばし検索。
何が起きたかということは、すぐさまインターネット世界が教えてくださいました。
「湯たんぽによる低温やけど」。
これでした。

そして、「軽く見るなよ低温やけど、すぐ皮膚科へ行かんと後悔するぞ」という激しいメッセージを目にして、なかなか医者に行かない私がその日のうちに受診。
「いや~、みごとな低温やけどですね~」
と若いドクターのお墨付きをいただき。
「湯たんぽによる低温やけどは、治りにくいんですよ~」
明るくドクター続けて、
「つまりね、遠赤外線であぶり焼きされてる肉? ああいう感じで時間をかけてじっくりと焼かれてるわけですよ。相当奥まで深くやられてる場合も表面から見ただけだとわからないんですよね~」
なるほど、なるほど。《あぶり焼き工房》とかいう文字が頭に浮かびながら説明を聞く私。
うん、それはなあ。治るのもすぐというわけにはいかんわなあ。

「で、どのくらいかかりそうですかね?」と聞くと、
「うーん、二週間くらい、ですかね~」との答。
うっわー、そんなかかるのかあ。めんどくさいなあ。でもちゃんと治さないとな。


というわけで受診後は、ドクターのおおせの通りに毎日消毒をし、細菌をやっつける薬をせっせと塗って滅菌ガーゼを交換し…

あれからすでに2か月以上。



「治ってねぇ!」



あのあと、ホラーなただれが治ってきたと思って、甘くみたのがいけなかったのかな。ちょっと消毒もおこたり気味だった…かな?
と思う間もなく、次は来ました壊死。ただれの傷が治ってきたわいと思ってきたところが、今度は別のいやな色に変わり、
「おう…私の身体の一部が壊死…」
毎日痛いし、消毒のときに見ると相当興味深く、生きている私の身体の一部が死んで行ってる不思議を実感。

ソチ五輪中は自分のちっぽけな壊死のことなんてどこかにふっとんでたものの、一応(すでにルーティンワーク)日々の消毒は続けてました。
しかし、まったく治らない。
どんどん悪化するわけでもないけど、治るわけでもないという。

はい、今日も皮膚科に行ってきました。初診から2か月と11日後のことです。
ドクターは、
「うーん、湯たんぽによる低温やけどは、治りにくいんですよね~」。
そう言いながら、私の壊死部分をピンセットでぐいぐいとつまんで掘り返していきました。

だーっ! 

「あー奥まで行っても血が出ないってことは~、まだここは新しい皮膚が出来るとこまでいってないですね~」
うーんと考え込むドクター。
「でも、ほら!この周りの皮膚はピンク色になってきて!治ってきてるということですよ」
と希望もにじませてくれる。
「悪化しているという兆候は、ないです!」
と力強いお言葉。

結局、これまで通りの消毒をして、これまで通りの薬を塗ってガーゼでふさぐ…ということを繰り返し、治るのを待つしかないということで。
診察室を去り際に、
「治るまでどのくらいですか?」
と2か月と11日前と同じ質問をしてみると、あのとき「2週間ぐらいかな~」という答だったのが、今回は壮大な答が返ってきた。
「いや~僕が診た湯たんぽの低温やけどの患者さんで、半年以上かかった方がいましたね~。しかも高校生」
あー。そうなんだ。しかも高校生。ふふふん。
となると私の場合もっと壮大かもしらんな。と思いつつ家路についたのでした。


ちなみに今も毎晩その湯たんぽを使っている私。
友だちに話すと「信じられない!」って言われたけど、あのときはカバーの口ひもをしっかり締めてなかったからで、湯たんぽは悪くないの。この子を悪く言わないであげて!
って非行に走ったわが子を後ろ手にかばう母みたくなるのは、湯たんぽ生活は思った以上に快適で気分的にもよろしいので。
毎冬、納得いかない気分で電気毛布やホットカーペットを使っていたモヤモヤ感から解放されてとても爽快なのだ。
というわけで、そのうちきっと治るよね。と思いながら、壊死をかかえた足を湯たんぽに乗せて、今夜も眠りにつくのです。人生はこんなふうに、愚かと温かさがいりまじったものなのだ、とか思いながら。






    僕たちね、湯たんぽなくても温かいの。
d0153627_23382876.png

[PR]
by higurashizoshi | 2014-03-07 23:43 | 雑感 | Comments(2)

新年

年末のごあいさつもできず、新しい年が明けました。

遅くなりましたが、昨年も「ひぐらしだより」をお読みいただきありがとうございました。
フィギュアスケートシーズンに突入以来、どうしてもフィギュアの記事が多くなってしまってますが、ほかにもいろいろと書いていきたいと思っています。今年もどうぞおつきあいください。



さて元旦の朝。
あけましておめでとう~

チャチャ「ねむい。」
d0153627_14442641.png


クー「ぼくはピシッとしてるで!」
うちの箱入り息子です。
となりに年末片づけられなかった新聞が積み重なってますが、お気になさらず!
d0153627_14404754.png



元旦、2日は大人数の親族宴会でした。
d0153627_14521848.png

大人、子ども、赤ちゃん、ウサギと、総勢20人近くで入り乱れておりました。
d0153627_14515078.png
「人間が多くてやってられんわ~。お正月ってやかましいなあ」(姪っ子の愛兎・トンすけ談)




で、今日3日はやっと家でゆっくりお正月。
子どもたちと一緒に作ったおせちを、のんびりいただきました。
d0153627_14423066.png

侵入者チャチャ。
d0153627_14495147.png


これから年賀状を書くという… がんばれ自分。
みなさんにとって、どうか穏やかで喜び多い一年でありますように!
[PR]
by higurashizoshi | 2014-01-03 14:59 | 雑感 | Comments(2)

お墓参り

友のお墓参りに、群馬に行ってきた。

深い山の中に、彼の生家はあって、十数年ぶりに訪れたそこは、もう誰も住む人なく荒れ果てていた。
お墓は、その家のすぐ近くの小高い林の中にあった。

d0153627_235692.png


遺伝性の病気で次々と肉親を亡くし、自分もその病気で長い長い間苦しんだ彼。
でも精一杯、精一杯生きた。

「なにをはるばる来てんだよ、オレはこんなとこにいねえぞ!」
って空から見てるよね、と冗談をいいながらお墓に手を合わせた。
だけどきっと、ちょっと照れた顔で、
「わざわざありがとな」
と言ってくれたと思う。


d0153627_2354188.png


区切りになるというほど簡単なことではないけど、彼が大好きだった人たちに会い、いろんな話を聴いて、そしてこの山の空気を感じて。
永遠に去ってしまったことを断絶としか思っていなかったけど、今までよりすこし、身近に彼の存在を感じられた気がする。


昨夜帰り着いて、布団に入ったらなぜかまた泣けて泣けてしかたなかったけれど、そのあとはいつからぶりか深く眠った。
[PR]
by higurashizoshi | 2013-11-21 23:09 | 雑感 | Comments(0)

一年

今日は、友が亡くなって一年目の日だった。

あの日、昼過ぎに激しい通り雨が降った。
その直後、母を病院に連れて行くために車に乗って、そしたら携帯が鳴った。
そのときから、なにかがずっと止まっている。

今日、眼が覚めたら雨が降っていた。
今日、また私は母の世話をしに車に乗って行った。

あなたのいない世界で、一年、生きたよ。
世界はとても美しくて、泣きたくなるよ。


d0153627_21441254.png

[PR]
by higurashizoshi | 2013-11-15 21:46 | 雑感 | Comments(2)

モヤモヤぐるぐる

またまたご無沙汰している間に何があったかというと、父に続いて今度は母が救急搬送、入院という事件が起きていたのです。
夜遅くに父から電話があり、母の足が立たない、ろれつも回らないとのSOS。救急車を呼び、えらく遠くの病院に搬送され、脳の検査をしつつ3日間の入院。心配した脳梗塞などは見つからず、原因不明のまま退院。で、退院後はまたも私が実家に泊まりこんで、母が自力で夜中のトイレに立てるのかの見守り、などなど。

この期間は、タタと一緒に東京に行く予定で、何人もの友人知人に会う約束もしていたのだけど全キャンセル。とりあえず母が本当の急変でなかったことは、父に引き続き本当によかったけれど、この《いつでも実家に飛んでいって泊まりもありスタンバイ状態》が続く限り、今後遠方に出かけることは不可能ではないか?と気づく私。
来月にも再来月にも東京に行く予定なのに、どうしたらいいのだ。

私が泊りがけでどこかに出かけるときは、法外な料金を払って民間の夜間ヘルパーさんを雇う?
もしくは母をその間は施設にショートステイさせる?

一方では母の入れるホームを探しつつ、しかしまだ家で暮らせる…そうさせてあげたいという気持ちも強い。
たとえば私が実家に住み込んでサポートすれば、確実に母はもうしばらくは家で暮らせるだろう。それもわかっている。
でもそれは、私が自分の家を今以上になおざりにし、まだまだ思春期の娘たちとの時間を、これ以上さらに削るということにほかならない。

私は私の人生でやりたいことが山ほどある。
家族のために自分の人生をある程度費やすことは当然としても、私の人生の限られた時間を丸ごと差し出すことはできない。
もちろん、老いた親と同居している場合、生活のほぼ全部を親のために使っている人もあるだろう。認知症の親を家で介護している人のブログなどを読むことがあるけれど、それこそゆっくり寝る間もなく排泄を含めた世話に追われ、デイサービスに預けた間に自分の仕事や家事を片づけ、自由時間など夢のまた夢、それこそ「24時間戦えますか」の世界。
そして、昔の日本では老親を抱えた人(特に女性)にとっては、それが当たり前だったわけだ。デイサービスだのショートステイだの、なんていうものすらなく!

私がそういう介護の仕方を選ばない以上、自分の人生の時間を大事にしたいと考える以上、あるところまでがんばったら見切りをつけて、他人の手に親をゆだねるべきなのだ。
「もう、そういうところまで来ているんじゃないですか?」と私に言う人もいる。そして、そう言われるとまた心が揺れる。割り切ることはできない。合理的じゃないのだ。
で、当の本人はどうかというと、母には自分が病気だという自覚はないから「家から施設に移る」という選択肢は母の中に存在しない。
百歩ゆずって「そうね、施設に行って楽に暮らすのもいいわね」と、あるとき言ったとして、数分後にはそう言ったこと自体を忘れてしまう。ふたたび母にとっては「家にいるのが当然」になる。だから「家から施設へ」という考えが母の中で定着することは、たぶんない。

というわけで、もし母をグループホームなどに入れるとしたら、それはほぼ「だまして」「連れ去る」ことになる。表現は悪いが、そういうことだ。それをやるのは家族で、時期を決めるのも、施設を決めるのも家族。
自宅で暮らす一個人を、何のことわりもなく見知らぬ場所へ移住させて閉じ込める。記憶が欠落していく認知症患者を施設に入れるとは、そういうことなのだ。本人にとっては、ありえない人権蹂躙。それを、パッキリと割り切って「ハイ」とできるわけがない。

だから、そんな「罪」をおかしてでも、その先に老親の安全と平穏があるのなら、罪に甘んじようと家族は思う。
ホーム探しをしながら、私も注意深くそれぞれの施設を観察する。この先ありうるさまざまなケースを考えて職員の話を聞く。それでも、実際そこに入ってからのことは結局予測はつかない。
親の問題に関しては「ベストはないからベターを探す」という言葉を友人が教えてくれたけれど、そうでしかないんだなあとつくづく思う。しかし始末の悪いことに、以前書いたように常に悲観的な性格の私は、母を施設に入れたあとの未来予想図がなかなか明るく描けない。ええかげんにしなさいと自分に言いたい。

自由がほしいとか言ってるくせに、施設に入れるのを恐れているという矛盾。その二極の間のいろんな段階をぐるぐる行き来しているのが今の私だ。なんだかとってもモヤモヤしている。しばらく、ぐるぐるモヤモヤしながら進んでいくのだろう。


こんなモヤった楽しくない話を読んでいただいたみなさんに、おわびとして今回はうちの子じゃない近所の子を。
(次回は、ついに出たスピッツのニューアルバムのこととか、フィギュアのこととか、創造的な話を書きたいです。ううう)



ご近所のマンションの地域ネコ三代目、今4か月くらいかな。
ネコが箱座りする季節になりました。
秋だにゃ。
d0153627_22165289.png

[PR]
by higurashizoshi | 2013-09-18 22:19 | 雑感 | Comments(2)

フォロー中のブログ

明石であそぼう! たこ焼...

最新のコメント

Disney 鴨さん ..
by higurashizoshi at 00:53
こんばんは。 ひぐらし..
by Disney 鴨 at 22:17
Disney 鴨さん ..
by higurashizoshi at 16:30
bikegogoyさん ..
by higurashizoshi at 16:13
こんばんは。お久しぶりで..
by Disney 鴨 at 20:57
お久しぶりです。忙しそう..
by bikegogoy at 07:10
なみさん ずいぶん長く..
by higurashizoshi at 12:52
初めまして。マリンメッセ..
by なみ at 17:22
Disney 鴨さん ..
by higurashizoshi at 23:49
こんばんは。お久しぶりで..
by Disney 鴨 at 20:03

検索

ファン

ブログジャンル

映画
ウィンタースポーツ

画像一覧