ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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キャンディ

d0153627_1342952.jpg恋をしているさなかに、相手と完全に《とけあいたい》と願う。
ちがう人間同士だから、完全にとけあうことはできない。けれどそれでもはげしく、《とけあいたい》と、それだけを願う。

とけあう、ということは、自分をなくす、ということでもある。
お互いに、自分をなくして、ひとつになる。
ずっとずっとそんなふうに、とけあって、ただとけあって、いっしょにいたいと願う。
それだけを夢見たふたりの、行方を描いた物語だ。

詩人志望の青年ダンと、画家志望の若く美しいキャンディ。
ふたりは出会った瞬間から恋におちて、ずっといっしょにいるようになる。
ダンが自作の詩を読み聞かせ、キャンディがふたりの絵を描く。
このうえなく幸せな時間は、けれど長くは続かない。
いっしょにいるために必要な金が、ふたりにはないのだ。
ダンはジャンキーだった。キャンディはすぐに、ダンと同じになるために、自分からすすんでドラッグに手を出す。
ふたりが幸せに、とけあっているために、ドラッグはかかせないものになる。
急速に、急速に、ふたりは堕ちていく。《地獄》へと。

ダンは家族と縁を切り、定職にもつかず、きままに生きてきた男だ。
キャンディと出会わなければ、ほどほどのジャンキーとして、のらりくらりと人生を送っていたかもしれない。
一方キャンディは、こぎれいな中流家庭で育ったひとり娘。母親との深い確執をかかえている。
「6歳のときからずっと拳を握りしめている」というキャンディの言葉。そして、堕ちていく娘を見る母親のきびしく容赦ない眼が、この母娘の関係をあらわしている。
父親のほうは、娘に対し、無条件にひたすら優しい。キャンディは気づいていないが、実は彼女の父親とダンはよく似ている。一見、堅実で温厚な紳士と、いいかげんなジャンキー。まったく違うふたりだが、ふたりとも、キャンディを溺愛し、そして無力だ。
「彼女は俺のすべてだった。彼女のためなら何だってできた」
そのダンの独白はうそではない。ダンは《ロクデナシ》だけれど、心からキャンディを愛した。たぶん彼の人生で初めて、誰かと喜びを分かち合い、重なって生きることをのぞんだ。

「この美しい娘に何をしたの!」やつれ荒れ果てたキャンディを前に、母親はダンに向かって叫ぶ。
けれど、ダンがキャンディを陥れたのではない。引きずり込んだのでもない。
キャンディが自分から選んだのだ。ダンとただとけあうためにドラックを打ち、必要なものを手に入れるために体を売った。決めて進んできたのはいつもダンではなく、キャンディだった。

ふたりが歩んでいく道はあまりにも残酷で、ふたりはどうしようもなく未熟で、おろかだ。
そんなふたりをずっと見ている人物がいる。変わり者の中年男キャスパー。
キャスパーは薬学の教授でありながら自身もジャンキーで、ダンが唯一頼る相手だ。
彼はダンとキャンディを暖かく見守るが、地獄から救い出す手助けはしない。
それはキャスパーが自分の無力さを自覚しているからだ。彼自身が深くドラッグにとらわれ、もはや魂を売り渡して、あともどりができないことを自覚している。

映画の冒頭、キャンディとダンは、遊園地の回転型遊具に乗る。天井のないドームのような室内に、何人かの子どもたちといっしょに入る。
キャスパーが、遊具の上から笑顔でふたりを見守っている。
遊具は回転を始め、遠心力で人々は壁にはりつけられる。
キャンディとダンは、笑いながら抱きあい、回転をつづける。
ふたりはきらきらと輝いて、幸福そのものだ。ただお互いだけを見つめ、とけあっている。
いつまでもいつまでも、ふたりはこの遊具に乗っていたかったのだ。大人になることも、現実と折り合って生き抜くこともせずに、ただ愛し合い、とけあっていたかった。

遊具を降り、地獄を抜け、ふたりが失い、そして得たもの。

キャンディを演じるアビー・コーニッシュがほんとうに美しく、しかも魂のつよさを感じさせる。か弱くつぶされていく女性ではなく、愛する人と必死で生きようともがくキャンディを、気品をうしなうことなく表現していてすばらしいと思った。
ダン役のヒース・レジャーは、おろかで無責任、同時に無垢で純粋な青年をていねいに、ナイーブに演じている。どうしようもない男なのに憎めない、ダンをそう感じさせるのは、ヒースならではの魅力なのかもしれない。
彼にとってこの作品はオーストラリアでの8年ぶりの映画出演。そして最後の母国映画への出演作となった。
映画の中で、意識を失ったキャンディの体を揺すり、ダンが「オーバードーズ(薬物の過剰摂取)だ!」と叫ぶシーンには、やはり胸をさされてしまった。ヒースが生きた軌跡がこんなふうにも残っていることに。
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by higurashizoshi | 2008-03-30 13:50 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

ポリス インサイド・アウト

生れてはじめて買ったCDはスティング「Nothing like the sun」だった。
そのとき、ただCDってものを買ってみたくて店に行ったのだった。
で、目にとまった一枚のカバー写真のスティングがすごくかっこよかったので、中身も知らずに買った。

d0153627_22212445.jpgそんな偶然からスティングのファンになり、さかのぼってポリスも聴くようになった。
といっても、そのときすでにポリスというバンドは実質的には消滅していた。
ベース&ボーカルのスティングがソロになってヒットを飛ばし、ギターのアンディ・サマーズ、ドラムスのスチュワート・コープランドはそれぞれ写真や映画音楽の世界へ去っていた。
あーこんなすごいバンド、なんで現役のときに聴かなかったんだろう?と後悔したけど、まあもとから音楽オンチなのでしかたがない。
ポリスのライブ映像はけっこう見たけど、とにかくメチャクチャかっこいい。曲も今でも少しも古さを感じない。ほんとうに時代の先の先を行ってたバンドなんだなと思う。

その後スティングの来日コンサートには行ったし、新しく出るたびアルバムも買った。ポリスのアルバムもだいたいそろえて、どっちもよく聴いていた。
でも、近年のスティングの楽曲にそんなに魅力を感じなくなったというのもあって、気がつくといつしか遠ざかっていた。

ポリスが再結成、という話題も、「ふーん」と聞いた。
だいたい、バンド再結成ばやりだけど、今さらねえ?という気持ちになることが多い。
失われた過去を、オジサンになったロッカーが集まって再現しようというのに、あまり共感できない。
なんてうそぶいてたわりには、再結成したポリスが来日、大阪公演もあり、という記事を見て、思わず新聞を裏返したりして。
「行けるわけないやん…」と心の中でつぶやいてたりして。

まあ大阪公演はともかく、ではこれはやっぱり観ないとね、と思ってコトブキに借りてきてもらった「ポリス インサイド・アウト」(2006年)。
ドラムスのスチュワート・コープランドが自分のビデオカメラで撮りためた、ポリス現役当時の映像を編集した映画だ。
結成直後の78年ごろから84年の活動停止までの映像だから、どうしてまたこんなに時間がたってから映画にしたのだろう?
これが映画になって公開されることがきっかけで再結成が実現したとかいう話も聞いた。

まったくの素人カメラ、機材も当然ホームビデオ程度のものだから、画面はすこぶる不鮮明だし手ブレだらけの連続なのだけど、ポリスが好きな人にはなんとも貴重な映像がいっぱいだった。
コープランドがいろいろなライブで、もうスティングもアンディも演奏始めてるのにステージの後ろから撮りつづけていて、バンドの背後からウワアーっと盛り上がる客席をなめるように撮る、そしてやおらビデオカメラをドラムスのすぐ後ろに固定して、マシンガンのようにドラムを叩き出す自分が写りこむ…という、ワクワクする映像。
オンボロモーテルを泊まり歩き、機材も全部自前で運んでいたインディーズ時代の初々しい様子から始まって、ある時期を境にあれよあれよとスターに化けていく3人の若者たちの高揚と、困惑と、疾走感。

海外ツアーの様子もいくつかあるが、特に面白かったのは日本ツアーのときの映像だった。
イギリスやアメリカでも空港などで女の子のファンが熱狂して押し寄せてくる映像があって、それはすさまじい勢いでどの子も「あたしを見て!見て!」とアピールしている。
ところが、日本でポリスを取り囲むファンの子たちは、キャーキャー言うのは同じだけど、サインをもらったり握手してもらったりしても、ポリスのメンバーを見ないでうつむいているのだ。そして「キヤァー!」などと叫んで逃げるように行ってしまう。
コープランドの映した画像の中で、日本の女の子たちはとても従順で、どの子も妙に均質で、似ているように見える。
その光景は、ある意味ミステリアス。東洋の神秘?に見えなくもない。
今から25年くらい前のティーンエイジャーだから、彼女たちは今…
って考えるとおよよ!私と同世代じゃないか。

それはともかく、やっぱりポリスは抜群にかっこいい、そして質の高いバンドだったんだなあ…とあらためて思った。
そして、短期間で頂点にのぼりつめたあと、次第に煮詰まって、はじきあって、離れていくようになるその「空気」みたいなものが感じられた。
才能と才能が出会って疾走がはじまって、ポリスは竜巻みたいなものだったんだなと思う。
そんなふうに駆け抜けるバンドはたくさんあるけれど、ポリスは誰よりも高くにのぼり、最高の音楽を奏で、消えた。

再結成のツアーのDVDなんて、出るんだろうなあ。
ああ、それを観るべきがどうか。
絶頂期の彼らの姿をとどめたこの映画だけでやめにしておこう。
いやしかし…。
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by higurashizoshi | 2008-03-26 22:23 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(4)

春の海

二週間ほど前、明石海峡で船の衝突事故があった。
ベリーズ船籍の一隻の貨物船が沈没し、フィリピン人の船員1人が亡くなり、3人が行方不明になった。
場所は、わが家からほんの5分の海岸から、東へ少し行ったあたりの沖合だ。

この一隻の船が沈んだために、今このあたりの漁協は大変な状況になっている。
今はイカナゴ漁、そして海苔漁の最盛期だからだ。
海苔といえば有明海が知られているが、実は海苔の生産量日本一は明石海峡なのだそうだ。

ちょうど私が大騒ぎでくぎ煮を炊いた日が事故の数日後で、中止されたイカナゴ漁はそのときはいったん、再開されていた。
ところが、沈んだ船から燃料の油がもれ続け、それがイカナゴに付着しているのを漁師が見つけ、イカナゴ漁は全面自粛になった。
イカナゴのシンコの季節はほんのひと月あまり。漁をやめている間にシンコはどんどん成長し、4月に入ればもう商品にはならなくなる。
そう思っていたら、数日前、とうとう今年のイカナゴ漁は打ち切りが決まったというニュースを見た。
大変な打撃だ。地元の漁師だけでなく、この時期シンコを扱って多くの売上を見込んでいた商店や企業などにとっても。

ところが打撃はそれだけでなく、明石沖で養殖している海苔が一番大きな被害を受けた。
事故後すぐに海苔養殖は全面中止。ほんの微量でも油の汚染がある海苔は扱えないということで、漁の最盛期だった海苔の、大量廃棄が始まった。
苦労して育てた海苔を捨てる。黒々としたあふれんばかりの海苔を沖合の養殖場から船に乗せ、港に戻り、焼却処分にする。
そんな映像が何度もニュースに映った。ここからほんの近くの漁港で行われていることだ。

今回の事故で中止された海苔漁の被害総額は、40億円超と報道された。
40億円。とほうもない金額にぼうぜんとしてしまう。
たった一隻の貨物船が沈んだことで、沿岸の人たちの生活が、もしかしたら人生さえ、変えられてしまうのだ。

今のところわかっているこの事故の原因は、タンカーと砂利運搬船が二隻ともに不注意航行により衝突、そのあおりを受けて、正常な航行をしていた貨物船が沈没したというやりきれないもの。
遠い異国の海で行方不明になった3人のフィリピン人船員は、まだ見つかっていない。
油が流出している沈没した船体の引き揚げも、手がつけられていないそうだ。

毎年、おだやかな春の恵みを感じさせてくれるこの海。
今年はにがい思いがつまった春の海になってしまった。
思いもかけず、希少価値になった今年のイカナゴで炊いたくぎ煮。
せめて心から大切に味わっていただこうと思う。
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by higurashizoshi | 2008-03-23 14:07 | 雑感 | Comments(4)

窮すれば通ず

冷蔵庫を開けた。
ひゅーるるるぅ…
心の中を吹き過ぎる風の音。
食材が…ない。

冷凍室には、肉、魚など、いくつか入っているのだが、野菜室はガラガラ。
冷蔵室のほうは、佃煮、キムチ、味噌…。

今のわが家は、毎週土曜日の生協の宅配で、一週間の食材全部をまかなっている。
今日は木曜日。苦しくなる時期だ。
ちょっと考えなしに野菜を使いすぎたらしい。
ときどき、母鳥のように食材を届けてくれるコトブキも、現在長期出張中。

冷蔵庫の前にたたずんでる私にタタが声をかける。
「どーしたのぉ?」
「食料が、にゃい」ガラガラの野菜室を見せる。ネギがひと束。
「えええー!!」
バタバタと走って、タタがミミを呼びに行く。
「ミミ、たいへん、たいへん!食べものがないんだって!」
いや、呼んでもどうなるもんでもありまへんがな…。

食べものがない? なんの、そんなことはないのだ。
ほらツナ缶とか、乾燥ひじきとか、昆布とか。
野菜だって、玉ねぎ、じゃがいもなら箱入りのストックがある。
だいじょうぶだ、タタ、ミミ!
あと二日がんばれば、生協のお兄さんが一週間分の食材を持ってきてくれるんだから、なんとかしのごう。

足りないものは買いに行けばいい、という生活があたりまえだったころ。
思えば、ずいぶんぜいたくしていたんだなぁと思う。
ぜいたくといっても、別に豪華な食生活をしてたわけじゃない。
ただ、必要なもの以外に、余分なものもずいぶん買ってた気がする。

などと謙虚な気持ちになっていても、今日のあさ・ひる・ばん、明日のあさ・ひる・ばん…と献立を考えていると、これが足りない、あれがない…じゃあこの料理はやめてだな…とだんだん頭がぐるぐるしてくる。
でもまあ、窮すれば通ず、と昔の人はうまく言ったもので、今の生活で私はずいぶん「アリモノでっち上げ料理」の腕が上がってきた。
かなりありえないものを組み合わせて一汁三菜をこしらえる。
そのうち、『食材を使わない豪華おかず』なんてレシピ本を書けるようになるやもしれぬ。

昔、テレビでプロの料理人が普通のおうちに突然行って、そこの冷蔵庫にあるものだけですごい料理を何品もこしらえる、という番組を見たことがある。
その当時は、どうやったらこんなことが?と口を半開きにして見ていたが、今なら私は「できるぞ、これくらい」などと思いそうである。
だってほら、その冷蔵庫には食材があるんだから!
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by higurashizoshi | 2008-03-20 17:26 | 家事というか | Comments(4)

夜のパパ

d0153627_2174487.jpg図書館でこの本の背表紙がふと眼にとびこんできたとき、不思議な題名にひかれた。
手にとって、表紙の絵を見た。
ほっそりした青年が、頭にふくろうをのせている、繊細な線の銅版画。
「ああ、この本は私の本」
と思った。
そんなふうに直感することはめったにない。
すぐに借りて帰って一気に読んだ。もう返したくなくなっていた。

夜のパパ。
なんのことだろう、と想像がめぐるタイトルだ。
思春期手前の少女ユリアは、シングルマザーの母とふたり暮らし。
看護師の母は、夜勤の間ユリアと家にいてくれる人を、広告で募る。
応募してきたのは、予想に反して若い青年だった。

スウェーデンでは、夜間に子どもをみてくれるシッターのことを、「夜のママ」というらしい。
だから青年は、夜のパパ。
この夜のパパは、かなり風変りな青年だ。スムッゲルというふくろうが相棒で、本に埋もれた部屋に暮らしている。石の研究をしているらしい。
いっぽうユリアは、かなり頑固で、まっすぐな性格の少女。
学校では女の子同士のいじめの標的になり、家では無理解な母とぶつかってばかり。
相当に不機嫌な人生を送っていた。

一緒に夜をすごすようになっても、いっこうに心を開かないユリアに、夜のパパはお互いに手紙を書き合うことを提案する。
この本はその、ユリアと夜のパパの往復書簡で成り立っている。

誰のことも心から信用することができなかったユリアは、夜のパパとの間に、不思議なつながりを育てていく。
恋の感情でもなく、父親代わりの愛情でもなく。
夜のパパは、べたついた優しさとは無縁の、けっこう自分勝手で気分屋なところもある青年だ。
ただ、ユリアのことを、一人の人間として、きちんと尊重する。
ユリアがつたない表現であらわすこと、ひとつひとつに、ちゃんと向き合う。
子どもだから、大人だから、などということと関係なく、批判もし、共感もする。
そうしながら、ユリアと夜のパパは、いつしかいろいろな問題にふたりで立ち向かっていく。
ふくろうのスムッゲルが、そのとぼけた行動で、ときには離れかけるふたりの気持ちを結びつけてくれる。

ユリアと夜のパパ。ふたりはよく似ている。頑固で、孤独で、嘘がない。
ふたりの結びつきは、とても強くなっていくが、そのつながりは単純に名前のつけられないものだ。

この本を読んでいると、とても澄んだ気持ちになっていく。
人と人が、その結びつきの名前にーーたとえば家族とか恋人とか友人とかという名前に縛られて、ほんとうの感情が見えなくなることは多い。
年齢や、上下関係などでも、同じことが起きる。

でも、ほんとうに大切な一対一の関係というものは、何にも支配されない。
ユリアは、夜のパパとの関係で、そのことを知る。
だからユリアは傷つきながらも、少しずつ世界に対して心を開いていくのだ。


この本の作者マリア・グリーペは、スウェーデンではとても著名な児童文学作家とのことで、たくさんの著書がある。
ほとんどの作品の挿絵を、夫の画家ハラルド・グリーペが描いているそうだ。
この「夜のパパ」もそうで、物語にぴったりと寄りそうような、やわらかく繊細な絵がほんとうに魅力的だ。
この本には続編「夜のパパとユリアのひみつ」があり、少し大人になったユリアと、少し人間くさい夜のパパに出会うことができる。

二冊とも、そばにそっと置いて、何度も読み返したい大好きな本だ。
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by higurashizoshi | 2008-03-16 21:11 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(5)

贈った本

d0153627_15123848.jpg誕生日に贈った「アンネの日記」を、タタがもう読んでしまったという。
たった一日半。それはそれはすごい集中力だった。
どんなことを感じたのか、タタはまだ簡単には言葉にしない。

アンネ・フランク自身、13歳の誕生日に日記帳を贈られ、その日から「アンネの日記」は始まっている。
アンネが生まれたのは1929年。
私の両親と同い年だ。
15歳の夏で、アンネが書きつづった日記は終わった。
そしてアンネは、人間の尊厳をはぎとられる場所で短い人生を終えた。

でも、タタはそういうことを聞きたくないという。
たぶん、タタは日記の中の13歳から15歳のアンネの「今」を感じていたいんだろう。

かつて、わたしも13歳の誕生日に、母から「アンネの日記」を贈られた。
そのことを、タタのためにこの本を注文してから、急に思い出した。

私の両親は平和教育に熱心だった。
母はナチス・ドイツの行ったことについていろいろ教えてくれたうえで、「アンネの日記」を私に贈った。
だから私は、本の中のアンネの写真を見るのが怖かった。
日記の中の、知性とユーモアの輝くアンネに魅せられながら、虐殺の被害者だということが鉛のように重く苦しかった。

タタは、ただ13歳の少女同士として、アンネに会いたかったのだろう。
隠れ家を一歩も出られず、息をひそめて暮らす毎日の中で、たくさんのことを感じ、考え、学び、成長していくアンネ。
今、家から出ない暮らしを続けるタタにも、たくさんの学びと、成長がある。
タタは、アンネに出会って、どんなことを感じただろう。
もう一度、私も、タタに借りてこの本を読み返してみよう。
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by higurashizoshi | 2008-03-14 15:18 | 雑感 | Comments(11)

タタ13歳

タタは今日、13歳になった。

これまで、タタはつらいことがたくさんあった。
生きていられないほど、苦しんだときもあった。
でも、いつもそこから次へ歩き出す力をタタは持っていた。
お日さまのようなタタの明るさに、強さに、
私たちはいつも支えられてきたと思う。

昨秋からまたつらい日々があって、
それをタタは自分の力で少しずつ抜けてきて、
今日を迎えた。

13年前の今日、タタが生まれた日の朝、
見上げた空は、目にしみるほど明るい青空だった。

生まれてきてくれたこと。
生きて、ちゃんとこうして生きていてくれること。
ありがとうね。

タタ、13歳の誕生日おめでとう。
「やることは山ほどあるな」
てタタは今日、言った。
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by higurashizoshi | 2008-03-12 14:32 | 雑感 | Comments(2)

いかなごのくぎ煮

毎年この時期になると、明石や神戸の海で、いかなご漁が解禁になる。
いかなごというのは、成魚でもせいぜい15センチくらいの、細長い魚だ。
それの稚魚が、このあたりでは春の風物詩。3月が近づくと、ここらの主婦たちは、解禁の日を今か今かと待っている。

私も、東京からこっちに帰ってきてからは毎年、いかなごを買いに走るようになった。
明石の漁港のすぐそばに、「魚ん棚」という魚市場がある。
船が漁から帰ると、仲買を通さず、「魚ん棚」の魚屋さんたちが直接、港でセリをする。だから、とれたばかりの魚が「魚ん棚」に並べられる。
瀬戸内のいろんな魚や明石名物の蛸や、まだぴちぴち跳ねているのを店先に並べた魚屋がずらりと並んでいて、いつも活気があって、「魚ん棚」はわくわくする。
そこに、いかなごを買いに行くのである。

いかなご漁が解禁になってからは、毎朝どの店にもずらりと行列ができ、「魚ん棚」は異様な熱気に包まれる。
なにせ、稚魚はみるみるうちに、日ごとに大きくなる。小さめの方が上物とされているから、みんななるべく早く、しかも新鮮なのを手に入れようと必死になる。
今年は出かけられないので無理だろうと思っていたら、コトブキが「魚ん棚」でいかなごを3kgゲット。それも、昼網で揚がったばかりのを買えた!とメールしてきたので、飛びあがって、大急ぎで、「くぎ煮」を炊く準備をした。

いかなごの稚魚は、このへんではシンコという。シラスとかちりめんじゃこといわれる、カタクチイワシの稚魚なんかと、同じくらいの大きさだ。
シンコの食べ方としては、まずは釜揚げ。とろけそうにやわらかく、甘味と香りがある。
そしてこの近辺の主婦が、腕によりをかけて、人によっては意地をかけて!作るのが「くぎ煮」である。

おいしいくぎ煮を作るのは、まず鮮度が勝負。
シンコが届いたらすぐに炊き始められるように、大鍋やら調味料やらを用意する。
そうこうしてたら、コトブキ帰還。ずっしり3kgの袋を渡される。
一年ぶりにお目にかかれたシンコは透き通って、なんともきれい!
とりあえず1kgずつ二つの鍋でくぎ煮を炊くことにして、残り1kgはあとで釜揚げにしようと冷蔵庫へ。

さて、いよいよくぎ煮作りの始まりだ。
シンコが1kg楽に入る大鍋に、醤油、酒、ザラメ、みりんを入れ煮立たせる。
そこに、さっと水洗いしたシンコを少しずつ入れていく。
いっぺんに入れるとつぶれてしまうので、手ですくってはやさしく入れる。
途中、千切りにしたショウガも、何度かにわけて入れる。(隣でコトブキがいっしょけんめい細かく切ってくれた。)
一つの鍋のほうは、わが家の好きな山椒入りにするので、実山椒の佃煮も入れる。
シンコが全部入ったら、鍋の中をまぜる。
箸やおたまではやっぱりシンコがつぶれてしまうので、手で混ぜる。
手で混ぜるというの、最初はええ~っ!?と思ったけど、まわりから煮立ってくるので鍋の真中はそんなに熱くない。とにかくシンコはデリケート。やさしく、やさしく混ぜる。
全体が沸騰してきたら、アルミホイルで作った落としぶたをして、火を弱める。

そこからは持久戦。
吹きこぼれる寸前の、煮立った泡がつねに落としぶたを鍋のふちまで押し上げているアヤウイ状態をたもつ。
そうして、火加減をこまかく調節しながら、ひたすら鍋をにらむ。
小さなシンコの間を、調味料が泡立って均等にめぐるようにするわけだ。
それと、やわらかいシンコを一度にたくさん炊くので、鍋の中をいつも泡立て、シンコをほわほわと泳がせていないと、つぶれて出来あがりが固くなってしまうのだ。

ちょっとよそ見をしてるとたちまち吹きこぼれるし、あわてて火を弱めてぼーっとしてると今度は泡立ちがなくなってたりして、とにかく鍋のそばは離れられない。
途中、変化していくシンコの味を試食するのもお楽しみ。タタもミミも巣の中のひな鳥状態で試食を待っている。
人によっては、2~3時間炊いてしっかり煮しめるやり方もあるけど、私はやわらかくうす味に仕上げたいので、だいたい1時間くらい。

やったー!今年はあきらめてたくぎ煮、みごと完成!
なかなかよい味にできあがった。みんな「おいしい、おいしい」と喜んでくれた。
できたてのくぎ煮、写真のような感じ。白いのは、すぐあとに作った釜揚げ。
(写真がピンボケなのは、私の携帯カメラの画面がちっちゃすぎてピントがわからなかったせい!ということにしておこう)
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3㎏のシンコでもけっこう大騒ぎだけど、この日コトブキが買った同じ店で、ひとりで16㎏買って行った人がいたそうだ…。
いったい、どうやって炊くんだろう?
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by higurashizoshi | 2008-03-09 18:30 | 家事というか | Comments(5)

源平桃

桃の節句は過ぎたけれど、わが家の庭の桃は、まだ咲かない。
この桃の木はずいぶん前に植えられたものらしく、4年前にここに越してきたときには、大きな枝をしげらせていた。
そして、その春、みごとな花を咲かせて私たちを驚かせた。
驚いたのは、咲いてみると濃いピンクと白の花がいりまじっていたからだ。
これは「源平桃」という種類だ。源氏の赤、平家の白がまじって咲くから源平桃。

私たち家族には、源平桃に懐かしい思い出があった。
子どもたちが幼いころ、東京で毎年お花見に行っていた新宿御苑に、源平桃の大木があったのだ。
満開のたくさんの桜の木の中に、鮮やかなピンクと白の花が咲き乱れているところがあった。近づくと、何本かの木が寄り集まっているように見えたのに、一本の大木に同時にピンクの花、白い花が咲いているので驚いてしまった。
てっきり珍しい種類の桜だと思ったら、説明書きを見て桃だと知って、またびっくりした。
周囲は春霞のような何百本という満開の桜、その中でくっきりと立つ華やかな源平桃の大木。夢の中にいるような心地がした。
それからは毎春、新宿御苑にお花見に行くと、必ずその源平桃の木を見に行った。
タタもミミもまだあどけなく、大変なことはいろいろあっても、ただただかわいかったころ。花を眺めながらお弁当を食べ、新宿御苑の広い芝生をいっしょに駆けまわった春の思い出。
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そんな思い出のある源平桃に、まさか引っ越し先の庭で再会するとは思ってもみなかった。
この家に越してくるのは運命だったんだ!と興奮したのはいいけれど、見事な咲きっぷりだったその年の翌年からだんだん、花の咲き方が弱々しくなってきた。
引越しのとき、それまで全部土だった庭の大部分にコンクリートを敷いたので、根っこを痛めてしまったのだろうか。
それとも、植物オンチで水やりもロクにしない私のせい?
一度専門家に見てもらいたいねと言いながら、そのままになって、また春がやってきた。

さっきベランダからしげしげと見たら、新しく伸びてきた細い枝の先には、ちゃんとかわいらしい固いつぼみがついている。
でも、まだしばらくは開きそうにない感じだ。
元気なく黒ずんだ枝も多くて、やっぱり年々、つぼみの数も減っているような気がする。
なんとかしてあげないといけないなあ。せっかくめぐり会った大切な桃の木なんだから。
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by higurashizoshi | 2008-03-05 18:47 | 雑感 | Comments(7)

ひなまつりとカサノバ

はっと気づけば、ひなまつり!
もう明日ではないですか。
せめて2日間だけでもと、急いでおひなさまを出して飾った。
小さいけど、タタが生まれて初めてのひなまつりに買った、かわいらしいひな人形だ。

チャチャは、とにかくどこにでも飛び上り、何でも落としてしまう。
で、去年は結局、おひなさまを出しそこねてしまった。
もちろんチャチャに罪はないのだが…。

今年はこの2日間、おひなさまをどうチャチャから守るか?
大きらいなレモンの香りでも振りまいておくか…って無理か…

昨日はラッセ・ハルストレム監督「カサノバ」を観た。
なぜこれを観たかというと、ヒース・レジャー追悼特集が自分の中で続いているから。
それと、監督がハルストレムなのに、まだ観ていなかったから。

ラッセ・ハルストレムは、母国スウェーデン時代の作品がとてもすばらしくて、「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」も「やかまし村の子どもたち」とその続編も、私の大好きな映画だ。
ハリウッドに移ってからも「ギルバート・グレイブ」「サイダーハウス・ルール」「ショコラ」と、暖かくて切なくて、底に鋭い人間観察がある作品を撮っていて、この人独特の味わいは損われず、私には好きな作品が多かった。
ただ、「ショコラ」の次の「シッピング・ニュース」(01年)を観たときに、荒さや緩みが初めて目についた。おやっ、ハルストレムさん大丈夫か?と心配になった。
その次の作品「アンフィニッシュ・ライフ」というのは日本公開されず、DVDは出ているようだが未見。で、「カサノバ」(05年)が今のところハルストレム監督の最新作らしい。

それにしても、なんでハルストレムがカサノバ?
そしてなんでカサノバがヒース・レジャー? …と思っていた。
どちらも、まるでイメージがちがう。カサノバといえば稀代のプレイボーイというか漁色家の代名詞。暖かな人間のつながりを描いてきたハルストレム監督が選ぶ素材としては意外すぎる。
それに、カサノバ役を演じるなら、こう濃厚で、ねっとりと美男で、いかにも何でもありでっせという感じの男優では? 外見的には地味で、シャイな感じのヒース・レジャーではそぐわない。
…とすれば、当然これはどちらも、「あえて」選んだことなんだろう。
その「あえて」の答が、ちゃんとあればいいけど…。何となく不安であった。

さて、観終わった感想としては、ひとことでいうとこれは18世紀のヴェネツィアという美しい町を背景にした、豪華な軽喜劇だった。
軽喜劇だから深刻な人間描写もなく、ひたすら楽しく、軽やかで、滑稽で、華やか。
もう、最後までつるつるーっと、さぬきうどんのように観られてしまう。いや、イタリアだからタリアテッレのようにか…。
しかし、「あえて」の答さがしをしていた私には、その答は最後までよくわからなかった。

従来のカサノバのイメージを崩すような、ヒース・レジャーのサラッとした美男ぶりは、悪くはない。
でも、最後にカサノバが純朴な愛に生きる男に変わる、その説得力がまるでない。
だってちっともヴェネツィア中の女をメロメロにしている男に見えないし、手練手管の策略家にも見えない。
だから運命の女に出会って、男としての生き方が変わっていく、その過程もよくわからない。
これはヒース・レジャーの演技力のせいではなくて、脚本がそうなっているのだ。
こういう筋立てでいくのなら、もっとアクの強い男優をキャスティングしたほうがよかったんじゃないだろうか。

ハルストレムは、純愛男としてのカサノバを描いて、何をしたかったんだろう?
主役がカサノバなのにきわどいシーンがほとんどないのは、全体のタッチを乱さず成功していたとは思う。全体的に、それなりに質のよい一幕の舞台に仕上がってはいる。
でも結局このさぬきうどん、じゃなくてタリアテッレは、つるつるいけるが食べ終わったらじきに忘れてしまうくらいの感銘しか、私には残さなかった。

私には、キューブリックが「バリー・リンドン」を撮ったのがナゾであるのと同じように、この映画はナゾだった。
ハルストレム監督、次は何を撮るのだろう…? 期待半分、不安半分だなあ。
そしてやはりやはり、ヒース・レジャーを見るにつけ、なんて魅力的な役者を亡くしてしまったんだろうと悲しい。
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by higurashizoshi | 2008-03-02 18:25 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(4)

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