ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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運転の前に

何が憂鬱といって、車の運転をする前ほど憂鬱な気分になることってない。
その程度で憂鬱なんてずいぶん平和な毎日なんだなあと言われてしまえばそれまでだけど、とにかくほんとうに嫌なのだ。だってあの鉄のカタマリが怖ろしい速さで走っていくのを、操縦しているのが自分だという。それこそ《あってはならないこと》ってやつだ。いつも、運転席でエンジンをかけたときから、うちに無事戻ってエンジンを切る瞬間まで、まるで生きた心地がしない。
とそんなことをぐだぐだ書いているのは、これからまさに車で出かけなきゃいけないからだ。うう…。誰か私の体を乗っ取って、その間だけ運転してくれんかなあ。
いや実はほんとうに書きたいのはこんなことじゃなくて、ほかにたくさんあるのである。

たとえばこの前行ったこんな展覧会
d0153627_135846.jpg『こねこのぴっち』で有名なスイスの絵本作家ハンス・フィッシャーの作品世界を俯瞰する展覧会で、『ぴっち』や『ブレーメンのおんがくたい』などフィッシャーの絵本(おもに岩波書店から出ている)の原画が多数見られただけでなく、一枚絵(一枚の絵の中にお話が全部描かれていて、細かいところまで見ていくと無限にたのしい)や壁画の原画など多彩な作品を見ることができた。

d0153627_1355766.jpg『ぴっち』のあの繊細で独特のかわいらしさ、ちいさいものへのまなざしの暖かさ、それからユーモアなど、それらはフィッシャーが健康を害して田舎へ転居し、自然の中で子どもを育てながら生きたことや、第二次大戦のさなかの平和への願いなどがその根底にあったのだということ。それにしても今回はじめて知った『いたずらもの』という息子に贈った(出版される前の手描き絵本がすてきだった)お話のめちゃくちゃなこと! 登場人物がやりたいほうだいのいたずらをして人を困らせておしまい! という何の教育的オチもないところがしんそこ愉快。フィッシャーって人、そうとうの《おもしろがり》だったのだと思う。
49歳と短い生涯だったけれど、今でもスイスでは教科書の挿絵や各地の学校の壁画、いろんなところに作品があり愛されているらしく、日本でいえばいわさきちひろみたいな存在なのかな? と想像した。このフィッシャー、生誕100年といえば誰かいたなあ…と考えたら太宰治と同年なのである。壮絶に生きて39歳で命を絶った太宰と、家族の愛につつまれて温かい作品をのこし、49歳で微笑みながら生を終えたフィッシャー。くらべることに意味などないけど、ちょっと立ち止まってしまった。

それと震災の日の夜に放映されたNHKのドラマ『その街のこども』である。渡辺あや脚本ということで、並みの震災ものとはきっと違うはずと期待はしていた。ただ、どうしても震災に関する作品は観るのがつらいという気持ちと、逆にがっかりさせられるのではというおそれがいつもあって、録画しておいたのを思い切って観たのは一週間ほどたってからだった。

d0153627_1365180.jpgまるでドキュメンタリーのようなタッチの、ほとんど登場人物はふたりだけというドラマ。
今年の1月17日の前夜、新神戸駅で若い男女が出会うところから話は始まる。ふたりはそれぞれ神戸出身だが、今は別の街で暮らしていることがわかる。それまで標準語で話していた彼らの口から神戸弁がふと流れ出してくる。
森山未來、佐藤江梨子という実際に子どものとき震災を神戸で経験した役者をそろえ、かれらの実体験からくるリアリティーと練りこまれた脚本がとけあって、まるでふたりと一緒に夜の神戸の街を、短い旅をしていくような気持ちになるドラマだ。
劇中の彼も彼女も、地震のとき家族はみな無事で、震災後早い時期に親の都合で神戸を離れている。以後、震災のことは振り返らないように生きてきた。その共通点がある。けれど彼女のほうは、ある大切な人をなくした経験があることがしだいにわかってくる。いっぽう彼のほうは、父親が震災を利用して大儲けしたという負の体験を腹の底に閉じ込めている。
お互いにつつみかくしていた殻がしだいにやぶれて、誰にも話さなかったこと、誰にも見せなかった悲しみが顔をのぞかせていく。それがあふれ出していく過程が自然ですばらしい。17日の明け方5時46分のラストの瞬間、ただ胸がいっぱいでじっと画面を見つめていた。
震災の被害の悲惨さを直接描くことや、復興への賛歌ではなく、あのとき何もできなかったと自分の中に罪を負い、うしろめたさを閉じ込めて生きてきた《その街のこども》たちを抱きしめるような作品に、はじめて出会った。


さて書いてるうちに気分も変わり、運転する憂鬱がちょっとはましに…なるわけないのだ。
覚悟を決めよう。今日も無事の帰還を祈って、ではいってきます!
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by higurashizoshi | 2010-01-27 13:18 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(2)

15年目、震災の日

震災のことをいつも複雑な気持ちで思っていた。家族をなくした人、家を失った人、親戚や友人知人をなくした人。地域によっても被害の差はさまざまで、たとえば神戸だけとっても海沿いのいくつもの地域はビルが倒壊し火の海になり、山に近いあたりは家の食器が割れた程度で済んだ。温度差、とよくいわれたけれど、15年前のその日東京にいた私は、その温度差のさらにはるか外にいた。妊娠8ヶ月の大きなお腹をかかえて、神戸に駆けつけることもできず、テレビの前に茫然と座り込んでただただ無力だった。両親やきょうだいや友だちが故郷で大変な思いをしているのに、何も、ほんとうに何もできなかった。
何もできなかったという気持ちは、この15年ずっと続いている。もともと私は郷土愛のきわめて薄い人間で、18歳で神戸を出たあとに少しずつ、この街のよさに気づくようになった。この街が震災で根底から傷ついたとき、すぐに駆けつけることができれば私は神戸にもう少し深くかかわることができたのかもしれない。でもそうできないまま東京でたくさんのことに取り巻かれて生きてきた。
思いがけず故郷に帰って暮らすことになって6年。あのときお腹にいたタタはもうすぐ15歳になる。タタにもミミにも、折にふれて震災のことは話してきたけれど、この6年もわが家はいろいろな波乱続きで、毎年の1月17日はただ心の中で黙祷しながら過ぎてきた。
今、やっと平穏な毎日が過ごせるようになってきて、15年目の震災の日を迎えることになった。タタとミミを連れて、初めて三宮の東遊園地に行ってきた。
ここには震災で亡くなった6千余人の名前が掲げられた《阪神淡路大震災 慰霊と復興のモニュメント》がある。小さな噴水があり、水面を人々が投げ入れた白菊が一面におおっていた。その地下に入っていくと、亡くなった人たちの名前のプレートがびっしりと壁にかかげられた丸い部屋があった。
ここは、ずっと行きたいと思いながら来られなかった場所。その空間に入ったとたん、周囲の大勢の人たちのささやき声、すすり泣く声に包まれた。壁をおおうプレートに書かれた名前のつらなりから、形にならない重さが迫ってきた。たった十数秒の揺れに命をうばわれた人たち。その死がうばった、さらに多くの人たちの幸福。生き残った人たちにとって、長い枷をひきずり必死でここまできた15年だっただろう。もう15年、たった15年。癒えるにはじゅうぶんな時間だなんて、誰にも言うことはできない。
そして私の横にはこの15年という時間が、少女の姿で立っている。タタは黙って静かにプレートを見わたしている。
地上へ目を上げると、ガラス張りになっている天井を通して、水に浮かんだ白菊の花が光に透けて青く咲いていた。

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夕方には、火災の被害が激しかった長田区の追悼会場へ行った。明け方のその時間には参加できなかったので、せめて夕方の5時46分におこなわれる黙祷に、家族みんなでくわわった。広場をうめるほど多くの人が集まっていて、若い人も子どもたちもたくさんいたのがうれしかった。
あの日、国道ひとつはさんだ向こう側が火の海になった長田区のコトブキの実家。両親はそのときのことを長いこと、あまり語ろうとしなかった。ろうそくを手にいっしょに黙祷した母の胸にはどんな思いがあったのだろう。タタやミミに、もっと祖父母の話を聞かせておきたいと思った。

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by higurashizoshi | 2010-01-18 21:40 | 雑感 | Comments(8)

中島由夫展

ひょんなことから、中島由夫という人の展覧会を観ることになった。
その日は毎月地元の公園でやっている「あそぼうかい」の日だったのだけど、いつもの広場に行くとさすがに寒くてみんな震えてて、参加者も少なかったので、近くの図書館か博物館に行こうということになった。明石の博物館ってなんともこぢんまりしていて、でもけっこう面白い展示をやっているときもある(明石には美術館がないので博物館がその役割もしている)。
「えー、今博物館なにやってるんだろう」とまったく事前の知識なしで、暖を取るくらいの気持ちで館内へ。すると色鮮やかに彩られた大きな布が吹き抜けの天井から下がっていて、横断幕みたいな布もぶらさがっていて、階段のところにもアートがあって、おや? いつもの博物館と様子がちがう。
で、入り口からもう展示が始まっていて、いきなり地べたに囲いがありその中にごろんごろんと陶器でできた人間の顔が無数に転がっている。むむむ…。少し進むと油彩の抽象画が並んでいる。ちょっとプリミティブアートみたいな感じ。すごくエネルギッシュで楽しそうだ。私の好みとはちょっとちがうけど…おや、十代の作品群はまたえらく重いね。怖さを感じる。
二階に向かうところには、板に靴だのブラシだのをくっつけてペンキをぶっかけてそこに花がちりちりと飾ってあるオブジェの群れ。で二階に上がると今度は陶芸作品の群れ、群れ。でっかい壷に、ゆがんだ顔。そこから奥に進むと、またエネルギーたぎる油彩の太陽、太陽、太陽の絵が延々と続く。…これ全部ひとりの作品なんだ。子どもみたいに、何でもやりたくて、ぜんぶやってしまうような人、そんな印象。
中島由夫って、いったい何者?
やっと見た説明には、「スウェーデンの国民的画家」だと書いてある。「明石にアトリエを持っていたことがある」と書いてある。へええ、そうなの? 実際に彼がアートワークをしている様子も映像で紹介していた。今年70歳なのだそうだ。じゃあダダイズム年代かなあ…と思いながら、どういう経緯でスウェーデンで、明石なんだろう? と不思議だった。
売店で自伝のような聞き書きの本を売っていて、パラパラと読んでみるとこれが面白そう。1800円っていうのでちょっと躊躇したけど、珍しくミミが「これ読みたい」ときっぱり言うので買うことにした。タタもミミもこういうアートに触れたことはそんなになかったので、ずいぶん興味深かったのだろう。

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『Love is All 長い旅をする太陽のように』というタイトルの本。その日帰ってから一気に読んでしまった。とてもすてきな本だった。中島由夫さんの語る生涯はほんとに波乱万丈で、でもどこまでも純真に、ひたむきに芸術だけに向かってきたことがよくわかる。
埼玉の農家から集団就職で東京へ、絵が好きで働きながら勉強し、前衛芸術の洗礼を受けてパフォーマンスアートに目覚め、路上で絵を展示していたときにオランダから来ていた有名な芸術家に認められ、ロッテルダムの美大に来るよう誘われる。まだ一般人にビザが下りないような60年代初めに靴底に3千円だけ入れて身ひとつでヨーロッパに渡り、泥棒に身ぐるみ盗られてヒッチハイクで欧州横断、酒場やレストランで絵を売っては食事にありつき、そんな間にもたくさんの芸術家と交流してハプニングと名づけた路上パフォーマンスをやりまくって警察に追われたり、国外追放になったり…。
流れ流れて北欧にたどり着き、スウェーデンに永住したのはまったくの偶然で、北欧からアメリカに渡るつもりでいたときに、日本から来た妻の妊娠がわかり、長期入院してしまったからだという。で、やっとスウェーデンで美大に入学、直後から旺盛に創作して数々のイベントを開いていく。
この奥さんがまたすごい人で、大会社の社長令嬢の何不自由ない暮らしを捨て、無一文のアートに魅入られた若造に人生のすべてを託してヨーロッパに飛んでいってしまったのである。「絵を描いてしあわせになりなさい」といつも夫に言い続け、つまづかないよう守り続けてくれた18歳年上の妻。陶芸はその妻が亡くなったあと、中島さんが放心状態で土をこねていていつのまにか顔ができ、何百個も作って焼いて…そんなふうにして始めたのだという。そうか、会場の入り口に転がっていたたくさんの顔は、みんな奥さんの顔だったのか。

今はアートセンターを持ち、自分の美術館も開館予定で、スウェーデンでは大家として広く知られているらしい。日本では知る人ぞ知る、という存在なのだろう、明石の博物館なんて地味なところで個展をやるんだもの。奥さんの実家が神戸で、中島さんは明石の風景がとても気に入って、それでしばらくアトリエを構えていたらしい。「明石の海」とか「明石の太陽」というタイトルの絵が(それはノンビリした明石の海というより、私にはラテンのリズムが似合うような海に見えた)いくつもあった。きっと彼には明石の風光がこんなふうに感じられたのだろう。
ああ、おもしろい体験だった。展覧会も、本も。転げまわりながらもまっすぐに生きて表現してきた人に出会うと、ぱっと心のドアがひとつ開く気がする。
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by higurashizoshi | 2010-01-15 23:13 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

Muse2010@Osaka

ライブに行くのは3年ぶりくらいだった。また行けるようになるとは思わなかったので、会場に着いても現実とは思えずふわりふわり地べたが揺れているような…。大阪城ホールって初めて来たけどものすごく大きいんだね。
museのファンになったのはまだ去年からで、そこから過去にさかのぼって全アルバムを聴いたし、ライブのDVDもいろいろ観た。自分としてはビッグネームになってしまった最近よりも4、5年前くらいまでの彼らのほうが好きだけど、タイムスリップして昔のライブに行くわけにはいかないわけで…。最新アルバムは私としてはちょっと間違ったほうに行きつつあるんじゃない? というイメージだったし。
でも今回の来日が決まった昨秋には、なんとかして生でmuseを観たいとやっぱり思った。で、タタが「行ってきたら?」と言ってくれたことから端を発して、ほんまかいなと思いながらチケットを手配して、だめもと覚悟でチケットをお守り代わりにして迎えた当日。ほんとに大阪城ホールの会場にいる自分が信じられない。
でも開演を待っている間に、やっぱりSOSのメールがタタから入り、途中いつでも出る態勢をととのえてライブをすごすことになった。おまけにメンバーがホテルから到着が遅れて開演時間が1時間も延期になり、座席で携帯にぎりしめて待つ間の長かったこと。
意外に年齢層の高い客席で、それでも多くの若者たち(外国人多し)がエキサイトして楽しんで待っている様子をスタンド席から見ていると、自分との自由度の圧倒的な落差を思い知らされる。それでもここまで来られたことを感謝しなければ…いったい何曲目まで会場にいられるだろうか、あの曲とあの曲だけは聴きたいなあ…と思っているうちに、ようやく開演。museがステージにいた。

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途中何度かメールが入り、大歓声で踊りまくっている周囲の中でひとり座り込んで返信メールを打ち、でまた興奮の渦の中に戻り、ということを繰り返した。セカンドアルバムから最近ライブでまずやらなくなっていた《Bliss》も思いがけずやってくれたし、ひそかにやるんじゃないかと期待していた《Feeling Good》も聴けたし、マシューの声はよく通って美しく、クリスもドムもすばらしかったけれど、たぎるようなエモーションが感じられなかったのは彼らが疾走期を過ぎたということなんだろうな、こんな巨大ビジネスになってしまったら走るに走れないよなあ…と妙にさめた気持ちもあったのは、最後まで携帯が気になって没頭できなかったせいだけではなかった気がする。
それでも、ありえなかった生museをほんとうに体験したということはやっぱり感動的で、アンコールの最後《Knights Of Cydnia》が終わり彼らがステージを去るときは名残惜しい気持ちでいっぱいだった。事情としては早く終わってもらわないと困るのだけど、いつまでもここにいて聴いていたい、もっと聴きたいと思えてならなかった。
で、ホールを飛び出してすさまじい人ごみをかき分けながらタタに電話したのだけど、向こうの声がまったく聞こえない。耳が一時的にだめになるというライブ後のお約束をすっかり忘れていた。そんなこともあり、待っていたタタと再会できるまでちょっとした右往左往もありつつも、なんとか落ち合うことができた。タタもよくがんばってこらえてくれたし、今回はほかにも何人もの人に協力してもらってようやく実現したmuse行き。ほんとうに感謝。いつかひとりで何の心配もなくどんなところにでも出かけていける日がきたら、きっとこの夜のことを静かに思い出すだろう。
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by higurashizoshi | 2010-01-11 18:57 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(2)

明日生まれる

環状線が
ぐるぐるまわりながら
深い夜中に
ふと切れるところ

その場所をだれも
知らない

路線図をにぎりしめ
そこにむかう
君がいる

合図はとてもひそかで
母さえも気づかなかった
布団からそっと
ぬけでた

痛いほどの寒気に
どっとおそわれて
君は上着のえりを
立てる

きりたった山地が
ふと切れてやさしくなる谷のそば

君の吐く息が銀に凍り
かりかりとほおを切る

路線図のなかに白く光る場所が
ここだ

眼をこらし
闇のなかをじっと立っている
きっと聴こえはじめるかすかな響きを
待っている

そのようにして君は
明日生まれる
この世をはじめて受けいれた
泣きさけぶ赤ん坊になって


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***
初めての場所なのに、ふしぎになつかしく感じたり、初めての人なのに、ずっと知っているように感じたりすることがあって、それはもしかするとはるか以前に出会っていたせいなのかもしれない。生まれるよりずっと前のどこかで。
そんなことをゆうべ夜中に考えていた。

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by higurashizoshi | 2010-01-08 11:50 | | Comments(4)

あたらしい年

元旦の朝。
新年特集の新聞の全面広告に、いい男が載ってるって?
どっちがいい男か、一目瞭然だね。

というわけで、キムタクよりいい男から新年のごあいさつ。

   ☆あけましておめでとうございます!☆
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白味噌のお雑煮に、ささやかなおせち。
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おせちにひかれる黒い子。
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このあとはお出かけして、親戚一同総勢16人の大宴会があり、夜中過ぎて家に帰り着いたのであった。
今日は年賀状を書きながら、ちょっとほっこりのお正月。

と、いうわけで、
みなさん、今年もどうぞよろしくおねがいします。
それにしても「2010年」って書くの、しばらく慣れそうにない…。
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by higurashizoshi | 2010-01-02 22:20 | 雑感 | Comments(10)

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