ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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ちぎれてしまうほど

外では梅が咲いているのだという
いずれ風もあたたかくなって
桜もひらくね

寒いときは寒い心がとてもうずく
だれかの足に自分の足をからめて
暖をとる

からりと晴れて今日は小春日和という
テレビではそう言っている
気象予報士は笑顔で日本のあちこちを指さす

その地図のあちこちで自分の肩を抱いて
くらい眼をしている人がいる
海のそばでは切りたつ風を見つめ
立っている人がいる
北方の山地では雪にまみれ
いっしんに仕事に向かう人がいる
赤んぼうは地図のどのところでも
生まれた不思議に瞳をひらいている

僕はきみの布団にそっともぐりこみ
やすらいだ寝息を聴いている
ちぎれてしまうほど冬に耐えたら
また春はやってくる
やわらかい足に僕の足をからませたら
すこしずつ僕もあたたかくなる

もうすぐと
どれだけの人が想っているだろう
間に合えばいいな
また春はやってくる


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by higurashizoshi | 2010-02-23 15:22 | | Comments(4)

フィギュアを観て泣いた日

昨日は朝からオリンピックのフィギュア男子フリーを生中継でずっと観ていた。最終滑走のひとつ前のグループあたりから、テレビの前でなぜか正座になる。
メダル候補だった《四回転の代名詞》フランスのジュベール選手。ショートプログラムでまさかの大崩落のあと、フリーもまったく飛べず信じられない順位に。悲しい。
小塚選手が四回転ジャンプを降りた。その後に転倒もあったが立派な演技。そしていよいよ最終滑走グループ6人、もう心臓がバクバクしてくる。どうしてこんなに緊張しているのか、自分でも不思議。たぶん私は選手の自滅を恐れているんだ、特に高橋選手の。彼は《ガラスのハート》とずっと言われてきた。4年前のトリノ五輪も含め、メンタルな弱さで大きな競技会で自滅してしまう彼を何度も見てきた。力をつくしての失敗ではなく、内側から崩れてしまう。あきらめて、投げ出してしまったとすら感じられる試合もあったほど。
その後大ケガと手術、復活をへて、今の高橋選手は心もずいぶん強くなったと思えるけれど、なんといってもこれはオリンピック。4年に一度の、ただ一度きりのチャンスに、最上の演技をしてみせなければいけない。国民の期待という想像もつかない重圧を負って。考えただけで足が震え出しそうだ。

最終滑走グループ1番目のアメリカのライサチェック選手が神がかり的なパーフェクトで演技を終えた。この瞬間、彼が金メダルかも、と思う。ショートプログラムも、滑り終えて本人が感激のあまり泣き出すほどパーフェクトだった。なんと強い心。正当な勝者になるのはこういう人なんだろうと思う。
そして2番目の織田選手。《オリンピックの魔物》が思いがけないところに手をのばし、彼をつかんだ。スケート靴のひもが切れ、はずれてしまって、演技を続けられなくなったのだ。生中継で観ているこっちも息がとまり頭が真っ白になる。よりによってオリンピックのフリー演技中にこんなことが起きるなんて。演技再開してちゃんと滑り終えた姿に温かい拍手が沸くが、織田選手は悪い夢を見ているような表情でリンクを降りた。
3番目、スイスのランビエール選手。持ち前の優雅な演技力と世界一のスピンを見せたが、ジャンプも含め全体に精彩がないまま終わる。彼もメダル候補だったが得点が伸びず、これは届かないな、と感じる。

そして、高橋選手の演技が始まった。フェリーニの映画『道』を主題にしたプログラム。今シーズン何度も観てきた、夢からさめるシーンの冒頭。
そして四回転ジャンプを飛ぶ、と明言していた通り、彼は飛び、そして転倒した。昔の彼ならこの最初の失敗を引きずり、ずるずると自滅していくはず。そう思った瞬間、私は画面の中の高橋選手の顔に釘づけになった。転倒から立ち上がり滑り始めた彼は、これまで見たことのない、包み込むような笑顔で『道』の世界に入っていった。ジャンプも次々と降りていく。ステップを滑っていく繊細なライン。指先まですべてに魂がこめられているようだ。ああ、今の彼の心には不安も緊張も予測もない。この透き通った表情の中で彼はこのプログラムを表現するだけの純粋な存在になっている。こんな大舞台で、こんなに心をまっさらにして滑ることができるなんて。気がつくと私はぽろぽろ涙をこぼしていた。フィギュアを観ながら泣いたなんて生まれて初めてだ。
滑り終えた高橋選手のすがすがしい笑顔、ああメダルを取らせてあげたい。

5番滑走はアメリカのジョニー・ウィアー選手。わが家では「ジョニ子」と呼ばれている。バレエダンサーのような優美な演技、中性的なフェロモンとキュートな個性。長く不振に苦しんだジョニ子、今シーズンはすばらしく調子がいい。ショートプログラムもノーミスだった。今日のフリーも力強く、スピンで少しミスをした以外はすばらしい出来。でも得点は伸びない。観客からブーイングが出る中、キス&クライ(得点を待つ席)でファンから投げ入れられたバラの冠をかぶったジョニ子(似合いすぎ)は笑顔でブーイングをおさえるしぐさ。さすが、人気者でありつづけるわけだ。
ほっとなごんだところで、ついに最終滑走。宇宙から帰還した帝王・プルシェンコ選手が最後の最後に登場した。四回転ジャンプにこだわり、フィギュア男子の四回転回避の流れを変えるために復帰したといわれる彼。数々の挑発的な発言、圧倒的な技術力、まさに世界の俺様。十代のころから彼の演技を観ているが、昔は天才ジャンパーである以外特徴のない選手だったのに、プロで表現力を身につけ復帰した今シーズンは27歳という年齢にもかかわらず他を寄せつけない別世界の滑りをする。もちろん四回転はいともたやすく飛ぶ。彼がパーフェクトに演技を終えれば金メダルは間違いない。というよりむしろ、彼はもう金メダルを手に持ってリンクに立っている。それをフリーの演技4分30秒の間にポトリと取り落とすかどうか、というほうが正確だ。
そしてプルシェンコは滑り始めた。四回転を飛んだ。けれど複数ではなかった。しかもほかのジャンプは軸が曲がり、見たこともないような荒さ。気持ちを入れた情熱的なステップ、スピンで最後は客席を盛り上げたが、彼の手のひらからすべり落ちていく金メダルが見える。緊張か、不調か、原因はわからない。金メダルは氷の上をしずかに滑ってゆき、四回転を飛ばず、パーフェクトな演技をしたライサチェックのもとへ届いた。

表彰式で、一番感激をあらわして涙を浮かべていたのは高橋選手だった。銅メダル。ほんとうにほっとした。運・不運ということでいえば、彼は運を自分の力で呼び寄せたのだと思う。そう、運は呼び寄せることができる。でも不運はただ、落ちてくる。織田選手の靴ひもを切り、プルシェンコ選手のジャンプをゆがませる。
四回転ジャンプを飛ばなかった選手が表彰台の真ん中に立ち、アメリカ国歌が流れた。プルシェンコ選手は銀メダルを胸に、上っていくアメリカ国旗から顔をそむけている。そして四回転にチャレンジし失敗した高橋選手は穏やかな笑顔になって星条旗を眺めている。
男子の四回転論争は今回の結果を機に、さらに過熱するだろうといわれている。回避するのはスポーツではない、という意見と、困難なジャンプに固執せず演技の質を高めるべきだ、という意見と。結局、昔からいわれている、「フィギュアはスポーツか芸術か」という議論にたどりつく。
私は、一日たっても、高橋選手のあの演技が頭から離れない。アスリートとして挑戦し、なおかつプログラムを芸術にまで高めた姿だったと思う。だから観ている人の心を動かし、浄化するような感動すら与える。彼がこんな存在になりうるなんて、失礼ながら昔は思ってもみなかった。テレビの前であまりにエネルギーを使いはたし、昨日はその後ぼーっとしていた。耳の中で『道』のテーマ曲が何度も何度も鳴っていた。
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by higurashizoshi | 2010-02-20 16:57 | フィギュアスケート | Comments(4)

運・不運

オリンピックねえ…なんて言っていても、いざ始まってしまうとテレビに釘づけなんだなあ、これが。フィギュアスケートを偏愛してる身としては、やっぱりケーブルテレビ契約しとけばよかったなあなどと後悔し出す。BSもスポーツチャンネルも見られないのは悲しいもんだ。でも、今はネットという便利なもののおかげで、カナダや韓国の放送を見られたりもする。ただし、画像が悪くてスケーターがかっくんかっくんジャンプしてたりするのだけど…。

泣いても笑ってもメダルはメダルなのだなあと、今日のペアフリーを見ていてつくづく思った。日本国籍を捨ててまで頂点をめざした川口悠子&スミルノフ組は4位。宝刀の四回転を飛べず、悔いの残るフリーになってしまったに違いない川口選手の気丈な笑顔が痛々しい。何色のメダルであれ、メダリストになるのとならないのとでは雲泥の差があるのだという。それはそのときの話だけでなく、選手のその後の人生すべてにかかわってくる。
本番に挑むまでの努力はどの選手もかわらないだろうに、今日の川口&スミルノフ組のように《オリンピックの魔物》に足元をすくわれ、手中にしかけたメダルがすべり落ちてしまう選手たちがいる。その運・不運の差はいったい何からくるものなのだろう。そしてそのことを、かれらはどんなふうに自分に納得させてゆくのだろう。

テレビを前に、「不運ってどうして起きるんだろうねえ…」と私がつぶやいていると、ミミが
「不運な人のまわりには運のいい人がいるってわけじゃないよ」
とナゾのことばを残して去っていった。
スピードスケートを見ながらしばらく考えていたら、男子500mで日本が銀・銅と大騒ぎしている。不運な人のまわりには運のいい人がいるってわけじゃない…つまり比較の問題のようでいてそれは比較の問題ではないってことか? とすると絶対的な不運というものがあって、それは人智をこえた不可避のものだということか…? 
考えながらお茶をいれて戻ってくると、テレビはまた何度目かわからない川口&スミルノフ組の《不運》なフリー演技を映し出している。

さて明日はフィギュア男子シングルが始まる。おととし、それこそ最悪の不運に見舞われて昨シーズンを棒にふり、復活してきた高橋大輔選手。彼の特別なファンではないけれど、今の男子のトップ選手の中で芸術的な表現力は世界1、2位をあらそう人だと思う。でもロシアのプルシェンコ選手という宇宙人(としかいいようがない)が地球に戻ってきてしまったので、このオリンピックは以前からの予想から大きくはずれた軌道を描くことになりそうだ。つまり四回転ジャンプを失敗なく飛ばなければメダルは取れない。それも複数回飛ばなければ金メダルはありえない。そして高橋選手は復活後、表現力は飛躍的に進化したのに四回転に関しては未完成のままなのだ。つまり、プルシェンコの帰還すなわち高橋大輔(だけでなく四回転なしでメダルを取りにいくつもりだった選手たち)の不運、ということだってできるのだ!(なぜここでビックリマークになるのかは自分でもわからないが。)

それでもフリーで高橋選手は四回転を飛ぶ予定だという。そこで新たな運・不運のどちらが彼の上に落ちてくるか。これ以上不運にみまわれるなんて考えたくない。それはどんな選手についてもだけど、…またまたテレビに釘づけになって見守ることになりそうだ。
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by higurashizoshi | 2010-02-16 23:07 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

ハリーとトント

d0153627_21462245.jpg1975年公開 アメリカ
監督 ポール・マザースキー
出演 アート・カーニー エレン・バースティン ジェラルディン・フィッツジェラルド ラリー・ハグマン チーフ・ダン・ジョージ





おじいさんとネコの映画である。
昔むかしから気になっていながら、この《おじいさんとネコの映画》であることで、あまり観る気が起きなかった。
そしてさらに長い月日がたった。今の私は、おじいさんとネコの映画が観たい私になっていた。年をとるのもいいものである。

ハリーはニューヨークのマンハッタンに暮らす頑固な元教師の老人。相棒は茶トラのトント。ひとりと一匹の平穏な暮らしは、アパートの取りこわしで崩壊する。最後まで立ち退きに応じなかったハリーは強制退去の憂き目にあい、離れて暮らす三人の子どもの家庭を次々に訪れていくことになる。その旅路をつづったロードムービーだ。
住み慣れたアパートを失うと同時に、ハリーは長年の友とも死別してしまう。最初は長男の家庭に身を寄せるものの、すぐに気まずくなって旅立つハリー。そのときから彼は《放浪者》となる。ヒモでつないだトントだけを道連れに、ときには鼻歌を歌いながら人生の寄り道を始めるのだ。
ヒッチハイクの家出少女を拾い、昔の恋人に会いに行き、高級娼婦と名乗る謎の美女の誘いにもちゃんと(?)乗る。あやしげなビタミン食品を買わされたり、酔って留置場に入れられたり、実にいろんな目にあうハリーだが、それらに翻弄されずいつもマイペース。
出会った人には敬意とユーモアをもって接し、頑固だが自分の考えを相手に押しつけたりしない。人生に迷って後を追ってきた孫息子にもあっさりしたもの。人への愛情は深くても、けしてベタベタした関係をもたないハリーの姿がすがすがしい。
いっぽうトントはネコとして大変な状況を過ごしていく。安心できる住み家をなくしハリーの放浪につきあわされて、食事はフライドチキン、トイレもままならない。そんな中でまことにけなげに相棒をつとめていて、おまけにこのトント君、チャチャがアメリカ人(いやアメリカ猫)になったかのように似ているので、いちいち胸がきゅんとなる。

ハリーが巡回していく3人の子どもたちも、それぞれ問題だらけ。疎遠になっていた娘は何度も離婚を繰り返し、末の息子は40男になっているのにムダ遣いばかりして借金まみれ、どん底状態を老いた父に告白して泣き崩れる始末。その息子の背をやさしく抱いてやりながら、ハリーはけして甘やかすようなことは言わない。息子の肩代わりをしてやろうとは言い出さない。彼はあくまで、たとえ家族であっても、ひととの境界を越えない矜持をもっている。
おそらくハリーをそうさせたのは、深く愛した妻との死別である。「ひどく苦しんで死んだ」とトントに語って聞かせる妻との別れは、ハリーの中に悲しみとともに潔い諦念をもたらしたのだろう。どんなに愛し合っても別れは来る、人はひとりで生まれひとりで死んでいくのだという諦念。だから彼は放浪を楽しみさえし、いつも凛としているのだ。

ハリーを演じるアート・カーニーがアカデミー賞の主演男優賞を受賞したことで、当時この映画は一躍話題になった(私としてはトントにもぜひ賞をあげてほしかったと今さらながら思う)。そして受賞はのがしたが、オリジナル脚本賞にもノミネートされていたのである。
監督のポール・マザースキーとともにこの共同脚本を書いたジョシュ・グリーンフェルドは、日本人作家・米谷ふみ子の夫である。米谷さんのアメリカでの経験をつづったエッセイは大変おもしろく、いくつか読んだことがあるが、その中にこの「ハリーとトント」での脚本賞ノミネートで、米谷さんも夫とともにアカデミーの授賞式に出席したときの体験が出てくる。今は知らないが当時は、ノミネートされた本人以外はたとえ家族でも、法外な値段の参加費を払わないと授賞式に参列できなかったそうだ(トントは参加しなかったようである、やれやれ)。
当時まだ40代前半だったマザースキーとグリーンフェルドが老人とネコの映画を作ったのはなぜだろう。男がみじめさや悲哀でなく、ユーモアと自由な心を持って老いを生きていく姿をこんなふうに描いた作品は、なかなかほかにないように思う。

この映画が私に教えてくれたこと。
人生には相棒が必要だが、それは必ずしも人間でなくてもよい。そして別れをいつも受けいれる覚悟を決めて、人生を楽しめばいい。それから、ネコを連れて長距離バスに乗ってはいけない。とても大変なことになりますよ。
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by higurashizoshi | 2010-02-11 21:54 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(4)

節分でござる

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鬼が恵方巻きをこれから食べるところ…?
やっぱり鬼も福がほしいのかな。
でもこのあと豆で追い払われちゃう予定なんだけどな…。

人間世界でも恵方巻き。
今年は手作りに挑戦!
寿司飯もぱらりと、具はまぐろ、高野豆腐、卵焼きにきゅうり。
かんぴょう・しいたけは苦手な人がいるので入れず。
えいやっと太巻き、なんとか成功。

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このあとは豆まきをしたのだけど、
なんでも口に入れて食べてしまう子がひとりいるもので、
まいた直後に「それっ!」と間髪いれず散らばった豆を回収。
なんだかあわただしい豆まきでした。

 
                          「ねえ、ぼくは豆何個?
                           ていうか…豆、どこ?」
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by higurashizoshi | 2010-02-04 12:59 | 家事というか | Comments(8)

スラムドッグ$ミリオネア

d0153627_14161495.jpg2008年公開 イギリス
監督 ダニー・ボイル
出演 デーブ・バテル、アニール・カブール、イルファン・カーン、マドゥル・ミッタル、フリーダ・ピント



「読んでから見るか、見てから読むか」というキャッチコピーが昔あった。
この『スラムドッグ$ミリオネア』に関していえば、ぜったいに「見てから読む」べきだといえる。
原作の小説『ぼくと1ルピーの神様』と、内容があまりに異なっていて、こちらを先に読んでしまっていた私は、最後まで原作に引きずられて戸惑ったまま映画を観終わってしまった。そもそも、ここまで異なっていて原作といえるのかしらん?

まず『ぼくと~』で一番重要なこと、主人公の名前。「ラム・ムハンムド・トーマス」というヒンドゥー教・イスラム教・キリスト教が融合したこの名前が彼の運命を表している。そしてその彼がいつも岐路に立ったとき決定をつかさどる1ルピー硬貨。
このふたつが映画には存在しない。こちらの主人公はジャマールという平凡な名の少年で、さまざまな困難に合い、その経験が一攫千金クイズ番組の回答に役立っていくという物語の構造だけは小説と同じだけど、映画はごく平板でありがちな純愛ストーリーになってしまっている。

ただしこれは「読んでから見」てしまった視点からの話で、『ぼくと~』があまりにインパクトの強い傑作だったゆえのこと。
「見てから読む」人にとっては、『スラムドッグ$ミリオネア』はなかなか面白い映画ではあると思う。特に前半の主人公たちの子ども時代は圧倒的なカメラワークと洪水のような音楽、ムンバイの街の匂いまで伝わるような映像の中で何より子役たちがすばらしい。
インドの大衆的な映画を踏襲するベタなストーリー展開もエンドロールの踊りも、イギリス人の監督がハリウッド資本も使い撮った作品としては画期的な《ボリウッド》賛辞なのだと思えば納得はいく。アカデミー賞を8部門も総なめにした理由も、おそらく多くはそこにあるのだと思う。作品賞授賞の映像を見たとき『ぼくの~』著者のヴィカス・スワラップさんも笑顔で壇上に上がっていたから、きっと彼もこの映画は自作とはまた別ものとして受けいれているのだろう。

余談だけどこのスワラップさん、外交官として去年から神戸のインド領事館に赴任されている。しばらく前に領事館で講演会があったので行ってみたいと思ったけれど、すでに予定が入っている日で行けなかったのが残念だった。神戸の街ですれ違ったら思わず立ち止まってしまいそう。
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by higurashizoshi | 2010-02-01 14:19 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(2)

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