ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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学びについて、思うこと

タタが通信制高校に入って4ヶ月近く。ようやく一年次の前期が終了した。
小1のなかばから、まったく学校に行かずに育ったタタにとって、《学校》と名のつく場所はなんと9年ぶり。通信制とはいえ、どんどん押し寄せるレポートの〆切り、月2回のスクーリングは朝から夕方までびっしりの授業。体育なんてものもあるのだ。毎回へとへとになりながら、とりあえず夏休みまで何とかよく乗り切ったものだと思う。

これまでの険しい道のりを考えると、ただ元気になってくれただけで十分すぎるほどで、私にはそれ以上のことを望む気持ちはない。
昨秋、突然タタが「わたし、高校行ったほうがいいと思う。」と言い出したときは驚いた。
タタの気持ちがこの先に向けて動き出したことはうれしかった。ただただ、回復し、生きていく方向へタタがむかっていくことがありがたかったし、私にとっては、それが高校進学である必要はなかった。でもタタは自分なりに考えて、高校に行き、この先の自分の道を考えてみようと決めたようだった。《学校》!…思ってもみなかった展開に、私のほうが戸惑ってあたふたしていた。

4月、スクーリングに行きはじめた最初のタタの感想は、
「学校って、疲れるー」だった。そりゃ、そうだろう。学校は不自然で、疲れるところなのだ。学校には、学校にしかない不条理がある。私は毎回、狼の群れに羊をそっと放つような気持ちでタタを送り出した。タタは小さなころから、自分で決めたことはやる人である。私は私の心配でその邪魔をしないように、アッケラカンと笑顔で送り出し、出迎えるようにした。スクーリングの回数をかさねて、少しずつタタも慣れ、やっと小さなお弁当を食べ切って(最初はまったくのどを通らなかったらしい)帰れるようになった。

次の難関はレポート。各教科細かく〆切が決められていて、出かける日が続いたり何かに熱中したりしていると、アッという間にどれかの〆切を過ぎてしまう。これまでは自分の時間をたっぷり自由に使えていたタタが、初めて《追われる》状況におちいってしまった。
しかも内容は思いっきり学校勉強である。家じゅうの大人の本を片っ端から読破してきたタタが、国語の設問につまづく。『このときの主人公の心の動きをあらわす言葉を文中から十五文字で書き出せ』。そんなの文中にないよと言う。私が読んでもそんな十五文字はない。きっと著者にも見つけ出せないだろう。「こんな問題、どんな意味があるの?」とタタ。
数学は3けたの足し算引き算の世界から、一気に短期間で因数分解や二次方程式にたどりつかなければならなかった。階段を三段飛ばしで駆け上がる勢いで、ぐんぐんタタはのぼっていった。当然、息切れはするし、疲れもする。何度もへたりつつ、またのぼる。私はサポートしようにも、数学なんてすでに中学1年くらいの段階で記憶がとぎれているので、教えるなんてものじゃなく、一緒にウンウン考えて答にたどりつく繰り返し。因数分解がわからなくても、平方根を忘れても、日常生活には何の不便もないよなあと思いながら…。

一方、ちょうどタタが高校に行きはじめて間もなく、ミミが「英語やりたい」と言い出した。
洋画大好きのミミは、せりふを聴きとれるようになりたい、かっこよく英語を話せるようになりたい、筆記体をさらさらと書いてみたい、とあこがれ一杯。もともときちんと日課をこなすのが好きで根気づよい人なので、「毎日やる」と自分で決めると、もう一日もかかさない。今日まで休むことなく毎日続けている。といっても、ラジオの中学生向け英語講座は「ノリがいや。」人気の『リトルチャロ』も「声がいや。」…で結局、つたない母が教えることに。
さびついた英語の口をがんばって覚醒させつつ、アルファベットから始まって、今は簡単な会話や身近な単語の書き方などをやっている。ミミの学習意欲はすさまじいもので、一時間以上勉強して、「今日はこのくらいで終わりに…」と言うといつもさびしそうな顔でテキストを閉じようとしない。とにかく新しい言葉を覚えて話すのが楽しくてしかたがないらしい。
学校とちがって、いつまでにどこまで進まなければいけないという制限はないから、「じゃあもうちょっとやるかね?」となってあちこち興味のおもむくままにムダ話もまじえて楽しく英語散歩をする。これが私にもずいぶん発見があっておもしろい。ああ、私もミミの年頃に、強制じゃなく、こんなふうに勉強できてたら英語が好きになってただろうにな…とふと思う。

学校勉強の世界に飛び込んで、追われる身になったタタと、自分から学びはじめて、楽しく進むミミ。
タタは自覚的にチャレンジしているので、苦労も引き受けてがんばっている。りっぱだと思うけれど、学ぶ楽しさという点では、これまでの自由なありかたとはまるで違う。見ていて思うのは、やらされるより、自分からやりたくてやるほうが確実に学びの力は伸びる、ということ。
タタも今の《階段飛ばし上り》から一息ついたら、世の中のへんてこな法則も身につけつつ、また学ぶ楽しさを新たに見つけてほしいなと思う。で、何十年ぶり?で数学や英語に毎日触れることになった私も、サビを落としてちょっとましな頭へと成長するべし、ということなのか…? ぼちぼち、がんばります。

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ふー。
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by higurashizoshi | 2010-07-30 13:29 | 不登校とホームスクーリング | Comments(8)

暑いときには、熱いもの

そろそろ梅雨も終わるらしく、本格的な暑さのはじまり。
毎日、こまぎれにいろんな用事が続き、なかなかパソコンの前にゆっくり座って文章が書けない。
そもそも、もうちょっと軽く書くブログにすればいいのに、なんだかいつも身を入れて書いてしまうものだから、ひとつ書くのにどうしてもまとまった時間が必要になる。
今日もこうして文を書きはじめてみたものの、あと30分ほどで毎週の生協の配達があって、汗だくのお兄さんと世間話をかわさねばならないし、そのあとすぐ、嫌で嫌で延期していた歯医者についに予約したので、軽く拷問を受けにいかねばならないし、そのあと帰ってきたらすぐお昼ごはんのしたく。今日のお昼は何にしようか…とか考えてるうちに頭の中はスライドしていき、とりとめもなくあれこれと、やらねばならないいろいろなことについて考えはじめ、はっと気づくと、いかん! 文を書いているんだった、時間がもうあんまりないぞ…ということになってくる。

それでもう、書きたいことはたくさんあるのだけど、とりあえず鶏めんの話。トリメン。
アジアの街角の食べもの屋さんで、ふらっと入ってお昼に食べる、みたいなイメージで作ってみた。こういうのは中華料理の店では「鶏そば」というけど、うちのは中華そばを使わず、太めのそうめんを使っているので、鶏めん。
この前、例によって「今日のお昼は何にしようか…」と考えているときに、《暑いときには熱いものを食べよ》と頭の中に啓示が(?)くだり、先日とった濃厚な鶏スープが冷蔵庫に眠ってることを思い出した。
そうだ、あのスープを塩味にして、そこに半田そうめん(大変コシがある、細い讃岐うどんみたいな乾めん)を入れて、トッピングは小松菜と蒸し鶏にしたら…とビジュアルが浮かんだら、がぜんやる気が出て、ちゃっちゃっと作った。
この蒸し鶏は最近のわが家の定番。安いむね肉で、レンジで簡単にできて、旨い。ポイントは表面に火が通って色が変わったら、中まで火を通し切らず、容器から出さずにそのままさますこと。サラダに入れたり、サンドイッチの具にしたり、いろんな料理に使えてとっても重宝する。
で、スープのほうは、ちょっとオキテ破りなわが家の方式でとっている。手羽元を塩焼きにして食べたあとの骨をきれいに洗って水に入れ、ふつふつと長時間煮出してつくるのだ。
「食べたあとの骨を使うなんて!」と眉をひそめる人にはおすすめできないが(これを店でやったら食品衛生法に違反するのかもしれぬ)、私はすごく合理的!と思っている。とにかく美味しいスープがとれるのだ。

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個人的にはここに香菜とか薬味がほしいところだけど、今回は素直にそのままいただいた。
この鶏めん、われながら絶品の美味しさだった。タタとミミも「これは…」と、そのあとは無言で3人でフハフハ、ツルツル。
「暑いー!」と叫びながら、完食。これは鶏スープのとれたときには定番メニューになりそうだ。冷たいめんもいいけれど、たまには暑いときに、熱いものを。
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by higurashizoshi | 2010-07-17 11:27 | 家事というか | Comments(4)

笹の葉がじがじ?

七夕の笹飾り、今年も受難の前ぶれ。

d0153627_1731370.jpgじー。
じー。




















ここまで伸びるか? というほど伸びるクー。
チャチャ兄は早々にあきらめたけど、オレはやめないのさ!
がじがじするんだ! がじがじ!

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このあと、何枚もの願いごとが落ちてしまったことはいうまでもなく…
ぶーぶー言いながらまた短冊をゆわえるタタとミミでした。

みんなの願いがちょこっとずつ、かないますように。
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by higurashizoshi | 2010-07-09 17:39 | 雑感 | Comments(4)

カティンの森

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2007年 ポーランド
監督 アンジェイ・ワイダ
出演 マヤ・オスタシェフスカヤ アルトゥル・ジュミイェフスキ ヴィクトリャ・ゴンシェフスカ マヤ・コモロフスカ



数年ぶりに、ひとりで映画館に行くことができた。
そして観たこの作品は、ひとりで映画館で観るべき映画だった。暗闇の中で、たったひとりで対峙するべき映画だった。

1940年、一万数千人のポーランド軍の将校たちが虐殺された「カティンの森事件」。長く真相を語ることがタブーとされてきた、第二次大戦末期の事件である。
歴史にうとい私は、その名前と、おぼろげな知識しか記憶になかった。だが昨年4月、この事件の70年目の慰霊式典に向かうポーランド大統領ら政府高官を乗せた飛行機が墜落するという、信じられない惨事が起きたことで、「カティンの森事件」についてにわかに知ることになった。
この事件は、ナチスドイツとスターリン率いるソ連軍が、たがいを犯人として罪をなすりあっただけでなく、戦後ポーランドがソ連の衛星国となったために、さらに真相は闇へ葬られることになったという。長い東西冷戦の中で、この事件の名が歴史の表に出ることはなかった。
カティンの森で、いったい何があったのか。誰がそれをしたのか。どのようにそれは行なわれたのか。その全貌があきらかになったのは、冷戦が終わりを告げ始めた1990年。真実を世界が知るまでに、50年という長い年月がかかったのだ。

アンジェイ・ワイダはこのカティンの森事件の遺児である。彼は母とともに、父の生還を信じて待ち続けた少年時代を過ごした。父の死を知り、カティンで父たちがなぜ、どのように殺されたのかを知ったときから、「カティンの森事件」を映画にすることがワイダの生涯かけての目標となった。
私は20代のころワイダの映画をいくつか観ている。『地下水道』『灰とダイヤモンド』の鮮烈な印象、『大理石の男』『鉄の男』などもポーランドの複雑な政治状況をわからないままに、それでも興味深く観た。その後、86年の『愛の記録』以降の作品はまったく観る機会がなかった。
ワイダは『鉄の男』を最後にポーランド政府から国外に追われ、「カティンの森事件」の映画化という目標を形にできない長い歳月を過ごした。ソ連が崩壊、ポーランドの政権が変わり、やっと何の検閲も受けず、自由に作品をつくれる時代がやってきた。ワイダはそれからさらに15年以上の時をかけて、多くの試行錯誤を繰り返しながら構想を練り上げ、80歳にしてついにこの映画『カティンの森』をつくりあげた。彼の生涯に時代はぎりぎりで間に合ったのである。

ワイダの長い多彩な作品歴のなかで、この映画は集大成といえるだろうし、信じられない歳月をかけてとうとう作品にすることができた、彼の原点の具現化ともいえるだろう。
これをいったいどんな形で、どう描くべきか。おそらく多くの逡巡ののちにワイダが選んだのは、カティンの森で犠牲になった将校たちの家族、なかでも彼らの生還を待ちつつ生き抜く女性―妻たち、娘たち、姉妹たちを物語の中心にすえることだった。
冒頭、大尉の妻アンナがソ連軍が侵攻してきたポーランド東部に、幼い娘を連れてたどり着く。夫アンジェイを探しに、人々が逃げまどう混乱をぬけて、首都からやってきたのだ。アンナは、すでにソ連軍の捕虜になっていた夫とつかの間再会する。そして収容所への列車に乗せられる夫を、娘とともにむせび泣いて見送る。
ここを物語の起点として、夫を待ち続けるアンナとその娘、そして同僚の将校たちのそれぞれの妻や姉妹たちの、それからの年月がはじまる。彼女たちがみな、夫や父や兄弟の無事を祈りながら、それぞれの苦難を越えて生きていくさまが、静かに鮮烈に描かれていく。
一方、収容所に送られた将校たちの様子も並行して語られていく。はるか故郷で家族が祈っているのに呼応するように、彼らも生きのびて祖国の再生に尽くそうと自分たちを励まし続ける。しかし、将校たちの動向は、彼らが別の収容所に移送されていくという時点で、ぷつりと描写がとぎれる。

カティンの森事件の犯人がナチスドイツではなく、ソ連軍であったこと。それは、今ではスターリンがポーランドを徹底的に支配するための方策だったということも含め、あきらかになっている。ポーランド軍将校の半数がここで殺されたともいわれる。
しかし、ワイダはソ連軍が犯人であることははっきりと描きつつ、ソ連を糾弾することはしない。アンナと娘の危難を救うソ連軍大尉を印象深く登場させ、この映画の目的はそこにはないことを明確にする。
1940年、カティンの森で何があったのか。誰がそれをしたのか。
そのふたつの問いには、いわば外側から答えが提示される。ソ連の支配下に入ったポーランド国内で、カティンの森事件はむごたらしい現場の実写フィルムとともに、反ドイツのプロパガンダとして利用されていく様子が描かれる。しかし多くのポーランド人たちは、それがソ連の犯行であることを知っていて、ときには命をさらしてでもその事実を告発しようとする。アンジェイと同じ隊の中尉の妹アグニェシュカは、兄の形見のロザリオを手に断固としてカティンがソ連のしわざであったという主張を曲げず、秘密警察に逮捕されていく。カティンの遺児である若者タデウシュは、履歴書に「ソ連に父を殺された」と書き、書き直しを迫られても拒絶する。

そしてカティンの森事件についての三番目の問い―それはどのようにおこなわれたのか、について、ワイダは映画の最後にその答を置いた。
観客はすでに、歴史的事実として虐殺があったことを知り、誰が、何のために、という先のふたつの問いの答も知らされた。殺された将校たちの家族の長い苦難、ポーランドという小国の苦しみをつぶさに見た。なによりも、夫や父や兄弟を思い続ける人々の強さと深い愛情をなまなましく、身近で体験するように感じてきた。
そのように観客をワイダはみちびき、そして最後に、1940年春、雪の残るカティンの森でおこなわれたことを見せる。見せるというより、そのただなかに観客を放り込む。
そこに立たされたどの男もどの男も、愛する家族があることを私たちは知っている。彼らに、虫けらのように殺される理由などないことを知っている。
このシーンが残酷であるとしたら、それはワイダがすさまじい執念で《事実》を刻みつけようとしたからだ。どうしても絶対に、カティンの森での虐殺とはどのようにおこなわれたのかを、彼はフィルムに刻みつけたかった。ただの再現ではなく、《事実》として。

ラストの数分、私はこのことを受けとめなくてはいけない、受けとめなくてはいけないと思いながら、涙と震えがとまらなかった。映画館を出て、駅までの道を歩くあいだも涙が流れつづけた。外の風景がまるで違ってみえた。
人間はなんて残酷なんだ、なんということをする生きものなんだ、そう思い、自分もそういう生きもののひとりであることを忘れてはいけないと思った。
もちろん映画は《事実》ではない。《事実》は過去のその場所にしかない。けれどぎりぎりのところでワイダはそれをフィルムの中に作りあげた。そうするしかなかったのだし、そのようにして「カティンの森事件」は後世に伝えられていく新しい形を得たのだと思う。
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by higurashizoshi | 2010-07-06 14:13 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

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