ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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《もらい泣き》の問題

この前、何かの拍子にタタが言ったこと。
「わたし、《もらい泣き》って理解できない」。
それはどういうことかと聞くと、
「共感性ってものが、あんまりないんだと思う」と言う。
タタは幼いころから感情も表情も豊かで、年齢とともに人の気持ちを推し量ったりすることもずいぶんできるようになり、親の立場から見ると、よくここまで成長したものだと思う。ただ確かに、タタの言うことはなるほどと思うところがあるのだ。
たとえば悲しい物語を読んだり観たりしても、タタは《悲しい》ということは理解できても自分が悲しくなることはない。これは小さなときからそうである。

まだタタが保育園に通っていたころ、Kちゃんという利発な友だちがいた。あるときKちゃんのお母さんが「今大変なのよ」と言う。何かと聞いたら、『かわいそうなぞう』という本(戦争末期に上野動物園で餓死させられた象の実話)をKちゃんが読み、「象がかわいそう、かわいそう」と泣きに泣いて、それから毎日そのことを思い出しては泣くというのだ。
私は「はー」と思った。私自身はどちらかというとKちゃんのようなタイプの子どもだったので、その気持ちはよくわかった。共感性の海にオボれゆくタイプだ。
そして考えてみると、タタにはそういうところはまったくないのだった。けっして自己中心的な性格だったわけではないが、タタには他者の感情に共鳴するというところがなかった。感情はつねに自分ひとりのもので、それがどのようであるかが、タタにとってすべてだった。もしその当時タタが『かわいそうなぞう』を読んでいたら、かわいそうだと涙を流したりせず、むしろ内容の悲惨さに不穏や不安を感じて、ひどくおびえたと思う。

今のタタはものすごい読書家で、いろんなジャンルの本を手当たり次第に読む。でもタタは、読書は感動のためでなく純粋に娯楽のためなのだという。だからいまだに本を読んで泣いたり動揺したりしたことはない。映画やドラマにしてもそうだという。
だからタタと「この本(映画)、おもしろかったよね」という話は共有できるけれど、「感動して泣いた」と言うと不思議そうな顔をされる。身近な人の感情に関しても、タタは笑いやイライラには共鳴するが、ウェットな部分に巻き込まれることはない。
それでも、私が落ち込んでいるとき、今のタタはときには背中をポンポンと叩いてなぐさめてくれたり、言葉で元気づけようとしてくれたりする。昔にはなかったことで、そのたびに私は感動する。たぶんタタは人生経験を積むなかで、こういうとき人は慰めを求めているとか、そういうときにはこうしてあげたらいいとかいうことを学んできたのだと思う。いわゆる共感性から発するものではなくて、それはタタの大切な経験則なのだ。

今のタタの長所のひとつは、ものごとを客観的に見られるということだ。自分のこともとても冷静に分析している。そして、
「わたしは、《もらい泣き》がわからない。どうやら大勢の世間の人と違って、共感性があまりないらしい」と気づいたのだ。こういうふうに自分をきちんと見られる15歳を私は娘ながらすごいと思うが、本人にとってはしんどいことでもあるはずだ。
私自身は、どちらかというと安易な共感性の海に飛び込んでは、人間関係の失敗やら反省やらをさんざんしてきたクチなので、常に《自分》というものを持っているタタを尊敬の眼で見てしまうところもある。でもタタにとってみれば、自分は多くの人とは違う、という自覚がはっきり出てきたこれからが、また新しい試練なのかもしれない。

この一年、高校入学を決めてから実際に学校生活がはじまり今にいたるまで、タタはずいぶんがんばっていたので、このところ少し疲れが出てきてもいる。あまり先取りして心配してもいいことはないので、さりげなくそっと見守るようにしている。
これまでにタタの心の中に繰り返しやってきた不安の嵐は、この共感性の問題ともつながりがあるような気がして、日々考えている私である。

ところで、例の虫に関してご報告。ついに真犯人(らしきもの)を発見いたしました。
それは意外にも…という話を書き始めると長くなるので、この次に!
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by higurashizoshi | 2010-10-20 23:05 | Comments(8)

虫との戦い

指折り数えてみたら、二週間くらい更新していなかったことになる。とうとう数人の方から「元気ですか?」などと案じるたよりをいただいてしまった。で、更新できなかったわけをくどくど書こうとは思わないのだけれど、ひとつだけ言わせていただけるなら、虫の襲来である。私のパソコンのある部屋に、ナゾの虫が大量発生。…はい、ここまで読んで虫嫌いな方はよそを向いてくださいね。けしておぞましい形状の虫ではないし、噛んだり刺したりもしない。しかし出没の量がハンパでないのである。

虫の名は調べてみてわかった。タバコシバンムシという、特にめずらしくもないどこにでもいる小さな甲虫。葉たばこに寄生して被害を出すところから、この名がついたらしい(シバンってなんだ?)。大きさはゴマくらいで、こげ茶色で、甲虫だから丸っこく、背中がてかっとしている。私は虫は苦手じゃないから、最初は気にもとめなかった。「最近この虫よく見るね」くらいの感じであった。しかし、しかーし。

始まりはキッチンだった。妙に例の虫が増えている。ふと見ると調理台に何匹も、食器棚にも、そして天井を振り仰ぐと…ななな!? なんだろうこの黒っぽい点々たちは。そのうち料理にもまぎれこんでいるのを発見したり、あまりよろしくない展開になってきた。
早速ネットで調べ(こういうときはネットはほんとに便利)、タバコシバンムシという聞きなれない名前と生態について学習した。ヤツらは乾燥した植物や粉類に寄生して無尽蔵に繁殖するらしい。
粉、粉…戸棚に頭を突っこみ、床下収納庫も探しまくる。そして、
「ぎゃあああ!」
一緒に探していたミミの叫びとともに、ぬか漬け用の生ぬかのビニール袋が高々と差し上げられた! 
袋の中を見た私も思わず「ぎゃあああ!」
…いや詳しい記述はあえて避けますが、そこはヤツらの王国と化していたのである。袋や箱を食い破り、いったん食料になるものにもぐりこんだら最後、それを食い尽くしながら早いサイクルで繁殖を繰り返す。まあ、虫なんだからあたりまえといえばあたりまえの話ではあるのだが、この繁殖地を発見して廃棄しない限り、おうちの中で大量発生していくヤツらと共同生活を続けなければいけないのである。

さて、ぬかの袋を泣く泣く捨てて(しかも二袋もやられていた)、そのほかの粉類もすべてチェックしてから厳重に密封して、「さあ、これでだいじょぶ!」意外に速く、戦いは勝利をおさめたやないの、私もオトナになったもんだ…などと思っていた、甘かった私。ほんらい、虫と人間が戦って、人間のほうがラクに勝てるはずがないのである。
翌日から、パソコン部屋に少しずつ異変が起きてきた。ヤツらである。確実に増えている。パソコンに向かっていると、画面に飛んできて這いまわり、こちらの首筋や顔に飛びついてくる。しかも日を追って増え、数日後には見上げるとパソコン部屋の電灯の下はヤツらの秋祭り会場みたいになっていた。
毒があるわけでもなく、数匹いるだけなら別に気のいいちっちゃい虫というだけのことだが、いったい狭いこの部屋の中に何十、いやもっとか?というほどの量で飛び回られるとさすがにイカン。しかもこのままほっておくとさらに大量発生し、次の繁殖場所を開拓して被害が広がるにちがいなく、いったん終息したキッチンもまたやられるかもしれぬ。

しーんとした部屋ででパソコンに向かっていると、腕や顔にヤツらが何匹も飛んできて這い回る。それはまだしもとして、耐えがたいのは静寂の中で部屋のあちこちから「…ぷちっ。…ぷちっ」という小さな音が無数に聞こえてくること。それはヤツらの立てる羽音なのである。そのうち「…ぷちっ」が頭の中にだんだん反響してきて、なんだかカフカみたいな心境になってくる。そしてじりじりして、まったく集中できなくなって、そのうち「わーっ」と叫びたくなるのだ。
ブログの文はパソコンで書き、日記や詩は手書きと分けているので、パソコンに集中できないせいでブログの文章がちっとも書けない。しかも、徹底的に繁殖場所を探索することにしたので、部屋中をひっくり返しての作業にひたすら時間を取られる。

そもそも、食品類を一切置いてないパソコン部屋である。いったい何に巣くっているんだろうと不思議でしょうがなく、ネットでしつこく調べてみると驚くべき事実が判明。
タバコシバンムシは、合板の間に使われているコーリャン(最近はそんなものが使われているんですね)、ポプリ、漢方灸、皮革、畳のワラ、そしてなんとなんと、緩衝材にまで寄生するというのだ。緩衝材といえば、プチプチシートとかスポンジとか?あれ化学製品でしょ? と思ったら、最近は環境に配慮して、なんとトウモロコシから作られた緩衝材が増えているのだという。見た目はこれまでと変わらないそうで、変わるのはヤツらの好物に入るということ。オーマイゴッド。
パソコン部屋を見渡すと、どれもこれもアヤシゲに見えてくるものばかり。あの棚板はコーリャンを挟んでるんじゃないか?この奥にたしか緩衝材があったけど?昔もらったポプリはどこ?…そしてはてしない探索は続く。

で、これをパソコンで書いているからには、みごと解決しました、正解はこれでした! と言いたいところなのだけど…
「…ぷちっ。…ぷちっ」
聞こえてくる、あの音。
そう、今、私はヤツらの羽音に耐えながらこれを書いているのです。
明日もまた、探索続行。どこかに虫探偵はいないのか!?
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by higurashizoshi | 2010-10-16 22:57 | 家事というか | Comments(4)

ハート・ロッカー

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2008年アメリカ
監督 キャスリン・ビグロー
出演 ジェレミー・レナー アンソニー・マッキー ブライアン・ジェラティ ガイ・ピアース レイフ・ファインズ デヴィッド・モース


今年のアカデミー賞を総なめしたのは、話題の3D超大作『アバター』ではなく、低予算で製作された戦争映画『ハート・ロッカー』だった。しかも監督のキャスリン・ビグローは『アバター』の監督ジェームズ・キャメロンの元妻。この《元夫婦対決》は元妻側が圧倒的勝利をおさめ、『ハート・ロッカー』は作品賞・監督賞ほか6部門を制した。しかも、アカデミー賞史上初の女性監督の受賞。壇上でビグローの名を読み上げるかつてのウーマンリブの闘士、バーブラ・ストライザンドが感激に震えていたのも記憶に新しい。トロフィーを手にしたビグロー監督はこうスピーチしていた。
「今もイラクやアフガニスタンで命を賭けて戦うすべての兵士にこの賞を捧げます」

そう、『ハート・ロッカー』の舞台はイラク戦争なのだ。私はこのスピーチを聞いて思った。そうするとこれは、かつて『ディア・ハンター』(マイケル・チミノ監督、1978年)がベトナム戦争に狩り出されたアメリカの若者の悲哀を被害者的に描いたように(この映画もアカデミー賞を総なめした)、その戦争の大枠は見ずにアメリカ兵士の苦悩のみを強調した作品なのだろうか? これは観てみないことにはわからない。ロードショー公開は終わっていたが、ちょうど神戸で上映があったので観に行くことにした。

2004年のバグダッド。爆死した隊員に代わって、爆発物処理班に新しい隊員・ジェームズ(ジェレミー・レナー)が赴任してくる。ジェームズは必要な防護服も身につけず、仲間の忠告もきかず、スタンドプレーすれすれの行動で鮮やかに爆発物を処理していく、命知らずの男だった。彼の存在は周囲の隊員の心を揺るがし、不協和音が生じていく。
ここまでは、まるで西部劇の筋書きである。バグダッドは西部の町で、ジェームズはそこに悪者を倒し町の人々を救うべくやってきた無敵のヒーローだ。おまけに定石どおり、彼はイラク人の物売りの少年を可愛がり、ともにサッカーに興じる。西部劇のヒーローには、現地の女か子どもが必ずなつくのである。

手持ちカメラの緊迫感ある映像と、地中に埋まった無数の爆弾の処理作業という緊張度が極限まで上がるシーンの連続で、映画は観客を強引に巻き込んでいく。この巧みなエネルギーはなかなかみごとなものだ。町の中のどこに武装勢力が紛れ込んでいるかわからない状況の中で、彼らが神経をすり減らしながら命がけの作業にあたる様子はリアルだ。
そして次第に一匹狼のジェームズと同僚たちの間に友情の絆が結ばれていくはず…なのだが、ある衝撃的な出来事をきっかけにジェームズの行動はますます過激になり、ついに彼の見境ない行動のせいで班の中で大きな破綻がおきてしまう。

彼らは任務期間が明けて休暇でアメリカに帰れる日を待ちながら、危険な作業を続けている。指折り任務明けまでの日数をかぞえ、家族と無事に再会し《普通の生活》に戻ることを夢見ている。しかし、ジェームズという男はそうではない。そのことが次第にわかってくるにつれ、観客は少しずつ背中につめたいものを感じはじめる。そして映画の冒頭に唐突に置かれたテロップ、「戦争は麻薬である」の意味が浸みてくる。ジェームズにとって、びりびりと命の震える、砂と汗と硝煙にまみれた戦場こそが《普通の生活》であり、彼はけしてそこから抜け出すことはない。イラクで戦う意味など、彼は何も考えてはいない。

かくして西部劇はゆがみにゆがんで、予想しない暗渠に観客を落としこんでいく。この映画をアカデミー会員が圧倒的に支持した理由を私は知らないが、少なくともイラク戦争というアメリカが幾度も繰り返してきた《大義》をかかげての侵略戦争のひとつに、この国が疲弊し切っていたことは確かだと思う。この映画を素晴らしい戦争アクションだとか、感動作だとかいう評を目にすることがあるが、この底冷えのするような皮相な作品に私はほんとうにぐったりした。なにか身体にとても悪いものを飲んだあとのような気分になった。
けれど観たあと日がたつにつれ、じわじわといくつかのシーンがよみがえり、あれはいったいどういう意味だったのだろう、なぜあんな場面があったのだろうと気になりはじめる。そもそもビグロー監督は何を目指してこの映画をつくったのか。そう考え込んでしまうほど、アンビバレントな要素が盛られているのだ。すくなくとも私には『ディア・ハンター』の罪深さよりはるかに客観的な映画だと思えたし、自分の中でなかなか解けない問いをもたらしてくれた作品だった。
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by higurashizoshi | 2010-10-04 23:25 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

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