ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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うちのおぼっちゃまたち

秋も深まり、寒さがやってくると、くっつきあうひとたち。

チャチャ: ぎゅうー(快楽)。
クー: むぎうー(こっちも快楽?)。
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クーは、赤ちゃん時代のノラ体験でもらったヘルペスが、いまだ治らず。
いつも涙目です。
「風邪じゃないんだよ」
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晩秋といえば、いよいよフィギュアスケートのシーズン開幕。
今年はケーブルテレビに加入したので、グランプリシリーズの放映を
追っかけるのが大変。いっぱい観られてうれしいのだけど。

「んっ?」
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「なんじゃ?」
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「ほ、ほう… 新種の虫かな?」
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ケーブルテレビのチューナーの上が放熱しててあったかいので、よくここで寝てるチャチャ。
ときどき、フィギュアの選手をつかまえようとして画面を「はしっ」と叩いてます。
がんばれ、うちのおぼっちゃまたち。
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by higurashizoshi | 2010-11-26 18:09 | 雑感 | Comments(4)

Restless

映画を観る、観た映画のことを書く、このふたつの大好きなことがこのところあまりできていない。
プライベートなことがいろいろとからまりあって、その中身についてはまたいずれ触れるとして、今はときどきパソコンに向かえるときに、これから観たい映画の予告編を探し出して観るのが小さな楽しみ。
予告編ならわずかな時間で、期待に満ちた短い旅ができる。

そんな中で見つけたのがこの映画。日本公開は未定ということだけれど、監督ガス・ヴァン・サントで主演が『アリス・イン・ワンダーランド』でアリスに抜擢されたミア・ワシコウスカ、ということだからきっと公開される…はず。
ミア(ベリーショートでとてもキュートです)の相手役の青年は、先日亡くなったデニス・ホッパーの息子、ヘンリー・ホッパー。『ジャイアンツ』に出ていた頃の若き日のお父さんに、驚くほどよく似ている。
そしてなんと、この映画には加瀬亮も出ているという…しかもゴーストの役で!?
加瀬くんは今、「SPEC」というドラマにこれまでとまったく違う役どころで出ていて、ほんとに引き出しの多い役者さんだなあと思う。

ガス・ヴァン・サント監督がこういうテイストの映画を撮るのはとても珍しい気がする。
さてどんな作品なのか、公開されたら観てみたいものだ。
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by higurashizoshi | 2010-11-18 18:55 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(4)

好きになれない町に行く

毎週金曜、実家に行って食事を作るようになって数ヶ月。大嫌いな車の運転をなんとかこなし、山道を駆ける。ここはほんまに神戸でっか?と言いたくなるような山奥に、無理やり切り開かれた住宅地。いわゆるニュータウンだったのが、今はオールドタウンと化している。まさに碁盤の目のように、ひたすら同じような規格の家、家、家が一面に並ぶ町。自分の実家に行くのでさえ、曲がり角をひとつ間違えたらわからなくなる。あたりは似たような家しかなくて、目印が何もないのだ。
正直、私はこの町がちっとも好きになれない。そもそも、町ってものは、もっと雑然としていて、歴史と暮らしがごちゃごちゃに混ざりあって、路地があったり廃屋があったり、いかがわしげな店があったりするものだ。

私が18で家を出ると同時に、両親は今の家を建てて転居した。それまで住んでいた家は、遠くに海と、目の前に広い畑の見渡せるのどかな場所にあった。路地も、おばけ屋敷と呼ばれる廃屋も、にぎやかな市場も、おじいさんのやっているよろず屋さんも、いつもふらふらそのへんを歩いてる謎のおばさんもいた。すてきな町だった。
ただし、住んでいた家は築60年というおんぼろ借家で、たった三部屋しかなかった。母は、ちゃんとした自分の家を建てるという人生の目標を達成するために、この家から脱出したのだ。母、当時50歳。貯めに貯めた資金を投入して、山奥のニュータウンに土地を買い、のどかな町を出て、人工の町に大きな家を建てた。母は満足だったのだろうと思う。父も、やっと広い書斎と書庫が持てて、満足していたと思う。

今、母の認知症は進んで、調理がむずかしくなって、ちぐはぐなものを作ってしまう。それで週に2回は宅配のおかずを頼み、週1回は私が作りに行くことになった。
母は、私が毎週行くことを忘れているし、私が食事を作った瞬間は「ありがとう」と喜ぶが、食卓につくころにはもう私が作ったことを忘れている。昔のことは明晰に話すが、今の日本の首相が誰かはわからない。
30年近くを経たかつての新居は、もうすっかり古びている。ご近所も高齢化が進み転居も多く、今では親しいつき合いもほとんどない。母の病状がさらに進み、すでに自分の身体の一部のようになっているこの家を出て、いつか別の場所に移り生涯を終えることになると考えると、私はいつも胸がちりちりする。

玄関でいつまでも手を振ってくれる両親をあとにして、このオールド・ニュータウンを抜け車を走らせていく。
どこまでもどこまでも、似たような家ばかり。道路はどこも、宅地をできるだけ多く取るために最小限の狭さで、対向車とすれ違うのもぎりぎり。さびれたショッピングセンターと、学校と、小さな病院以外、びっしりと家だけが建っている。
なんてつまらない町なんだ。ハンドルを握りながら、私はいつも涙が出そうになる。こんな町に住んで母はうれしかったのか。大きな家さえあれば、それでよかったのか。私はこんな山奥の人口の町で記憶を失っていく母が、なんともいえず悔しいのだ。母が悔しくなくても、私は悔しい。
家は大切なものだが、暮らす町が生きた町でなければ、どんな豪華な家でも私は住みたくない。心からそう思う。それにしても、なんで私は実家に行くたびにこんなに感情的になるんだろう。家に帰りついて悪夢の運転席から解放され、子どもたちの顔を見るといつも心底ほっとする。

そして実家のように広くもなく、実家のようにきちんと片づいてもなく、ごちゃごちゃの小さな家の中で、今度はわが家用の夕食を作る。
キッチンに立っていると、すぐ近くの海から霧笛がかすかに聞こえてくる。近所の店の板前さんたちがおしゃべりしながら路地に入っていくのが聞こえる。裏のお寺の鐘が、夕暮れを告げて響く。

私の心はやっと静まってきて、来週は両親に何を作りに行こうかと考えはじめる。胃を切除した父には消化のよい油気のないもの、そして少しずつの量でも味の変化が楽しめるもの。母に物足りなくないように、ちょっとボリュームのある料理も加えて。
私にとって両親の住む家は、実家ではあるがふるさとではない。そしてあの町は、私にとってずっとなじめない場所でしかない。でも両親は、たとえ年老いて病気をかかえ、記憶を失っていくとしても、私にとって変わらないもの。この年齢になって、ふた親が健在でいるだけでどれほど恵まれているかわからない。

だから、私は来週もそこへ行く。大切な父と母がいる、あのつまらない町へ。そしてきっとハンドルを握りながら、窓を閉め切った車中で、また叫ぶんだろう。
「なんでこんなに道が狭いんだ! なんでこんな家ばっかりなんだ! バカヤロー!」
今日叫んで、そのあとちょっと涙をこぼしたのと同じように。
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by higurashizoshi | 2010-11-08 23:00 | 雑感 | Comments(4)

灯台もとくらし

「ところで、アレはどうなったの?例の、あの…」
「は?」
「虫よ、虫の話」
という会話が、何人かの人との間に(メール含め)あった、この数日。
そうでした、あの虫のこと。前回の終わりに発生源について書くと言い置いて、気づけば2週間? その間にもいろんなことがあって、すでに虫に苦しんだ日々は過去へ。単刀直入にこの話をくくれば、《灯台もと暗し》ということか。パソコン部屋に大量発生していたタバコシバンムシの巣窟は、なんとも思いがけないところにあったのです。

どんどん増えてくる虫を、最初はできるだけ殺したくないなどと善人面していた私だが、虫の量が限界を超えてくるともはやそんな仮面はかなぐり捨てて、殺戮の鬼と化してしまった(思い出すとおそろしい)。一匹ずつ退治していてもまったくラチがあかないので、掃除機をかまえて天井やら壁やらにへばりついてるヤツらをどんどん吸い取る作戦に出た。こうすると一時的に虫は減る。でも、結局ヤツらの寄生する場所を探し出さないことには解決にはならず、掃除機作戦も焼け石に水。1時間もすればどこからともなくごっそり出てきて部屋はまた虫だらけ。発生源を探索しつつ、掃除機で一時的に数を減らすというやりかたを何日続けたことだろう…。

そしてある日の昼下がり。いったいヤツらの巣はどこにあるんだろう…と疲れはてた眼差しで、パソコン部屋に立てたままの掃除機をぼんやり眺めていた。
すると、「ん?」
今、目の前で掃除機のホースの先から、ヤツが一匹「ぷーん」と飛び立たなかった?
すると二匹目が…三匹めが…。
「え? え?」そして掃除機本体のすき間のあたりに眼をやると…もそもそ、もそもそとヤツらが妙に親しげにへばりついている。
最初は、吸い込んだ虫の一部が生きていて出てきたのかと思った。でも、ほんとうにそうだろうか…? もし、そうじゃないとしたら?
(以下、私の思考の順)

①そう、確かにこの掃除機、パソコン部屋にずっと前から置きっぱなしだったよね。
②いつもはハンディタイプのミニクリーナーしか使わないから、この掃除機はめったに使わず、ここに置きっぱなしだったんだよね。
③めったに使わないから、中の紙パックもずいぶん長いこと交換してないよね。
④掃除機の紙パックの中って、いろんなゴミが集まってるよね。たとえば、食べもの関係とか、粉類とか、有機物がいっぱいだよね。有機物…
「まさか、まさか…」
半信半疑ながら、私は急いででっかいビニール袋を持ってきて、掃除機をまるごと包んで密封した。そして念のため、玄関の外に出した。

それから数日のうちに、潮が引くように虫たちの数が減っていった。そして一週間後、パソコン部屋にタバコシバンムシは一匹もいなくなった。
そう、犯人は掃除機の紙フィルターだったのである。一生懸命、虫たちを退治するのに使っていた掃除機が、ヤツらのすみかだったのだ。オーマイゴッド。
で、この巣窟=紙フィルターを開けてみたときの話をくわしく!…お伝えするのは良識が許さないので(というか思い出したくないんです)、ともかく一件落着ということだけ書いておこう。

ところで《灯台もと暗し》という言葉を、私は子どものころずっと《灯台元暮らし》だと思っていた。
灯台元、という灯台守みたいな仕事の人がいて、その人の日々の暮らしぶりのことだと思っていたのだ。
子ども時代の私は想像していた。《灯台元暮らし》は、きっとひとりぼっちで淡々とした静かな暮らしに違いない。孤独だけれど大切な仕事をひとすじに守る。なかなかいいなあと思っていた。
だから、なくし物が見つかった大人が「灯台もとくらし、って言うやないのォ」と言っているのを聞くと、へんな使い方をするんだなあ、大人はわからんなあ、と思っていた。

そして成長して、本来の意味を知ったとき、なんだかとてもガッカリした。私の想像の世界から、《灯台元》の暮らすちょっといい風景がふっと消えていった。だから、灯台の足もとが暗いなんて当たり前のことを、わざわざ言わなくていいだろう!と、いまだにこの言葉にはちょっとイチャモンをつけたくなるのである。――なんて言いながら、こうやって自分で使ってはいるのだけど。私の暗い足もとには、掃除機の紙フィルターがさみしく転がっていたのですね。
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by higurashizoshi | 2010-11-04 22:57 | 家事というか | Comments(4)

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