ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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誰かをそっと

東北の、言葉にならない被害の様子を見る。原発の、先の見えない危機の連続を見る。
毎日、心がへとへとになり、病院に行く。父が二晩続けて高熱を出して、ぐったりと寝ている。たったそれだけで私は、不安になり、悲しくなる。
膨大な死と喪失が起きたこの国で、たったひとつの父の命を思って眠れない私。そのように、みんな大切な命だったのだ。誰かにとってかけがえのない人だったのだ。

病院から離れられない私に、友だちが会いに来てくれた。病院の食堂でいっしょにお昼を食べ、談話室で話をして、友だちは帰っていった。それだけで、私の心は深く呼吸できるようになった。
遠くの友だちは、父の補聴器の電池を送ってきてくれた。いつなくなるかわからない電池類。父にとって必需品の補聴器なのに、電池のことなど考えもしなかった私に、ただ黙って送ってきてくれた。
別の遠方の友だちは、私が少しでもほっとできるようにと、彼女の土地の名産のお茶やお菓子を美しく詰め合わせて送ってくれた。
みんな、ただただ、ごく自然なことのように、そうしてくれた。こんなふうに、誰かをそっとささえるような人に、私はなれるだろうか。
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by higurashizoshi | 2011-03-22 21:12 | 雑感 | Comments(0)

情報と、できること

大震災発生から明日で一週間になる。この間、日本は悪い熱病にかかったようにさまよっている。死者の数がどこまで増えていくのか、誰にもわからない。かろうじて生き残った人たちが寒さと飢えに震えている。原発は危機の連続で、福島では津波と放射能の両方に命をおびやかされる多くの人がいる。高い放射線を浴びながら現地で必死の攻防を続けているはずの作業員たち。その人たちにも家族がいる。
被災地に支援が届かない。阪神淡路のときもそうだったように、二次災害の形で倒れる人たちが増えている。報道を見続けながら、あたりまえの暮らしが自分の周りにあることに改めて驚く。
神戸もまだ傷が癒えているなどとはいえない。むしろ時がたつほどに深まる痛みというものがある。今回も、家族も家も町も失った人たちにその実感が受けとめられるのはずっと先のことだろう。本当の悲しみ苦しみはそこから始まるのかもしれない。

原発については、どのメディアの情報がどれほど信用できるのか、見きわめていかないといけないと思う。人体に影響のない程度、と発表されても、本当にそうだろうかと誰もが思っているだろう。昨日、父の入院先の食堂で、従業員の女性同士が話しているのが耳に入った。
「安全や、安全や言うてたけど、ウソやったんや。怖い、ほんまに怖い」
「そやけど、漏れてもちょっとの量なんやろ?」
「そらわからへんけど…でも怖いやん、わからへんもん」

この数日は、原子力資料情報室のHPや動画をチェックしている。それから友人に教えてもらった田中優さんのブログ。募金をどこにしたらいいか考えていたら、これも友人の情報で、宮崎から野菜を被災地に届ける活動を準備しているNGO協働センターを知って、とりあえずここに送金することにした。

壊れた原発の建物に、ヘリコプターや消防車が放水をする。もうほかに、手段がないのだ。
こんな光景がこの日本でおこなわれていることが、いまだに信じられない。
それをテレビで見ながらも、暖かい布団で眠り、家族と温かいごはんを食べられる日常がむしろ不思議だ。
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by higurashizoshi | 2011-03-17 13:49 | 雑感 | Comments(0)

二日間

その日は、朝からいつものように父の病室に行っていた。
絶食11日目の父は、首につないだ点滴から栄養をとりながら、今後の仕事のことなどをぼつぼつと私に話した。
昼、病室で必要なものを買い足しに、坂道をのぼって大きなホームセンターに行った。ホッチキス、付箋、そして翌日のタタの誕生日のため、バースデーカード用の紙を何種類か。お茶しか飲めない父のために、ほうじ茶の新しい葉も。
急な坂道を、息をはずませながら下って病院に戻った。強い冷たい風が吹いていた。
病院の休憩室で、いつものように、少し父にうしろめたさを感じながら遅い昼食をとった。朝に子どもたちにも作り置いてきたシーフードピラフを、お弁当箱に詰めてきた。もうあの子たちは食べたかな、と思い、ゆっくり食べ終わり、病室に戻ると、タタからメールが来た。

《東北で大きな地震があったらしいよ。明石も震度1》

大きな地震…。父に声をかけて、病室のテレビをつけてみた。マグニチュード8以上といっている。地震の規模のわりに被害の情報はぽつぽつしか入らない。まるであの震災のときみたいだな、と嫌な予感がした。
テレビの中では地震の専門家がいろいろなことを言っている。それから、画面に大きな川が映し出された。仙台の名取川と説明がある。ヘリコプターからの中継画面だとわかる。川を、急速に海からの波が遡上していくのがくっきり見える。ああ、津波だ…と思う。
そこからの映像は、まるで悪い夢を見ているようだった。父も私も何を言ったか思い出せない。次の数秒のうちに津波は黒い生きもののように川からあふれ出し、ひろびろとした田畑を、人家を、道路を走っている車を、次々と飲み込んでいった。今この瞬間に起きている信じられない事実を、私と父はただ茫然と見つめていた。

日本中の太平洋沿岸に津波警報と注意報が出ていた。余震が止まらない。ともかく大変なことが起きている。明石の海沿いにも注意報が出ていて、父にうながされて病院を出て、車に飛び乗り家に戻った。
さすがに瀬戸内沿岸はほとんど津波は来ず、そのあとはひたすらテレビやネットで、言葉をなくすような被害の様子を追っていくしかなかった。東日本に住んでいる親戚や友人の無事を確かめようとしても、電話はつながらない。メールも届いているのかどうかわからない。
ひとつの町ごと、村ごとがほとんど消滅するという、ありえないことがこの日本で起きている。起きていると思うのだが、心がついていかない。どれだけの命が失われたのか、多くの人が長い歳月をかけて築いてきた歴史が、暮らしが、あたりまえの日常が、あとかたもなく壊れてしまった。

翌日、タタの16歳の誕生日の朝刊は、未曾有の大見出しと凄惨な写真に埋まっていた。
テレビをつけずにはおられず、つければ見入るしかなく、けれど見続ければ心が痛く、それでいてどこか麻痺したような、なにか長い夢の中をひたすら歩行しているような感覚になる。
それから、怖れていたことが起きた。原発の事故だ。どんな地震が来ても対策は万全と、誰が言ったのだろう。《夢のエネルギー》はひとたび大事故が起きれば人間を長い年月にわたって滅ぼす凶器になる。どうか最悪の事態だけはまぬがれるようにと祈るしかない。
それでも、こんなときだからこそ誕生日を大切に祝おうと話し、家族で予定通りささやかなお祝いをした。食事のときはテレビを消して、タタのすこやかな成長を願って乾杯した。
もし地震がもっと近くで起きていたら、こんな小さな幸福の瞬間など吹き飛ばされてしまっていたのだと何度も思う。あの破壊された町や村にいたのは私や家族だったかもしれないのだ。

何かできることはないのだろうか、そう思いながらずっとむなしくもがいている。あの震災のときはお腹にタタがいて、神戸に駆けつけられなかった。今回は術後の父がいて、身動きがとれない。どちらも私にとって大切な命なのだから、以前も今も、まずそれをちゃんと守ることが私の仕事なのだと自分に言い聞かせていても、ただじっと報道を見ているしかないのがたまらなくむなしい。
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by higurashizoshi | 2011-03-13 16:10 | 雑感 | Comments(2)

父の手術

父が大きな手術をすることになって、そのための準備や手配や調べものや検査の付き添いや…そういうことをひたすらやってきた。そして父は手術を受けた。
病を治すため、という理由で、一見ぴんぴんしている人間の腹をかっさばく、というのが手術である。81歳の父はハラキリされて、すっかり弱ってしまった。見たこともない子どものようになってしまった。
しばらく時間がたてばもとの父に戻ると看護師さんは言う。経過は順調だという。でも私は父が、まるきりもとの父にはもう戻らないだろうと思った。西洋医学のリクツは合理的である。人間は合理的にできてはいない。

毎日病室に付き添っていたら、今度は私が急に熱を出した。単なる風邪のはずなのに何日も寝込んでしまってなかなか治らない。父のところに行けないので手をつくしていろいろな人に付き添いを頼んだ。これまでひとりでがんばりすぎていたんだよと何人もに言われた。布団にはいって天井を見ていると、なんと父から電話がかかってきた。どうやって携帯電話をまた使えるようになったのか。
「ああ、身体はどうや。熱下がったか」
と、しわがれ声の父が言った。術後の熱が下がらなかった父は
「こっちはもう下がったぞ」
と言う。負けた。ちょっと泣いてしまう。

やっと私が起きられるようになったら、今度は父が術後の合併症が出て、再絶食になった。付き添っていた甥が知らせてくれた。うまく乗り切れるのか、まだわからないらしい。
また父が電話してくる。
「日本語で考えるのがしんどいから中国語で文を考えとる」
だいぶアタマは回復してきたようだ。
合併症がひどくなると絶食も数ヶ月続く。再手術の可能性もある。と、そんなことはせっかく回復してきた父のアタマに入れたくない。
「明日からまた病室行くよ」とだけ言った。

一時的にひとり暮らしになった母には毎朝、訪問看護と見守りを頼んである。母はベラボーに高飛車な態度で訪問看護師さんに接しているらしく、聞くと冷や汗ものである。母は父がいなくて、ネコの世話以外やることがないのでひとりで勝手に父の病院へ行ってしまう。迷子になったら大変なので電話で止めるのだけど、
「なんでわたしが行ったらあかんのっ」
と電話の向こうで立てた青筋がくっきり見えるほど怒る。誰かが連れて行く予定の日まで、家でおとなしくしていてほしいのだが、母にはそれは不当な押しつけなのである。
でも、父の病状に母はまったく関心がない。関心というより、理解ができないのだ。
この数日も何度も電話してきて「お父さんの手術はいつなの」と聞く。終わったよと言うとそのたびに「あらー」と驚く。軽い驚きようだ。私が止めるのも聞かず父の病室に向かうとき、母は何を考えているのだろうか。

ものごとの変化を受けいれられない母は、父が無事退院してきたら、もとの父であることを求めるだろう。でも父はもう、もとの父ではないだろう。さしあたっては、あれだ。父の部屋に、ベッドを買って用意しなければ。
あまり先のことまで考えてもしかたがない。明日からまた病室へ。
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by higurashizoshi | 2011-03-04 14:00 | 雑感 | Comments(6)

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