ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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見えない雲

福島の原発事故を知ったときから、ずっと一冊の本が気になっていた。
その本は、遠いところではなく、私の本棚の中にあった。
でもすぐに手に取る気にはなれなかった。

d0153627_22591520.jpgチェルノブイリの事故のあと、ドイツでベストセラーになった小説。邦訳されて、日本でも話題になったのか、どうか。そんな記憶も定かでないほど、昔の話だ。
開いてみると、ページはすっかり茶色くなっている。奥付を見ると、「昭和六十二年十二月発行」と書いてある。昭和六十二年っていつだ? 刊行物に元号しか表記がない、そんな時代の本なのだ。
チェルノブイリ原発事故が1986年、今から25年前。昭和六十二年はその翌年、1987年だ。
この本を、当時私は買ってすぐ、一気に読んだ。それから24年間、何度引越しをしたのか忘れたくらい転々とするなかで、ずっとなくさず、身近な本棚にその都度置いてきたことになる。そしてその間に、一度は読み返した記憶がある。
数年前には、たぶんチェルノブイリから20年ということで、この小説はドイツで映画化され、日本でも上映された。そのときに題名も『見えない雲』から『みえない雲』と表記が変わり、改訂版が出たらしい。

ごく最近になって、やっとこの本を再び手に取る気持ちになった。
再び、といっても、過去とはまったく違う気持ちで。まさか、日本でこんな原発事故が起き、そのただなかでこの本を開く日が来るとは思っていなかった。
つまり、私は甘かったのだ。

主人公は、ドイツの地方都市に暮らす14歳の少女ヤンナ-ベルタ。そして時代は、チェルノブイリの事故から7、8年後。つまり、この小説が書かれたときより、未来の話だ。
チェルノブイリの大事故でも原発を停止することなく運転してきたドイツで、もっと大きな事故が起きる、という設定である。
今、この小説の中の時よりもずっと先まで来て振り返ると、実際の歴史ではドイツでこのような事故は起きなかった。ドイツは脱原発に向かっていった。
事故はドイツではなく、地震の多発する狭い国土に52基もの原発を作り、さらに増やそうとしていたアジアの国で起きた。つい3ヶ月前に。

今、福島で起きていることと、ヤンナ-ベルタの周囲で起きていくことは、もちろん違いはさまざまにあるけれど、時にどきりとするほど重なっている。たとえば、高濃度の汚染地と、その外側との温度差。発生する差別。妊婦や赤ちゃんを持つ人の不安。
実際、ついこの前、福島に行ってきた人たちからこんなことを聞いた。「妊婦さんが産むのが怖いと言っていた」「もう子どもを持つのはやめます、と言っている若い女性に会った」「事情があって避難できない妊婦さんが泣く泣く中絶した」…。
小説の中でも、ヤンナ-ベルタの叔母は待望の初めての子を堕胎する。24年前にこれを読んだときも、その後再読したときも、こんなことが現実に起きるとは考えもしなかった。考えもしなかった自分が悔しい。24年もずっとこの本を持ち続けてきた意味はどこにあったのかと思う。

ヤンナ-ベルタの周囲にはさまざまな大人が登場する。反原発運動を続けてきた両親と母方の祖母。対照的に、政治に無関心で保守的で、息子夫婦の運動を軽蔑してきた父方の祖母。保身のために弱いものを平気で犠牲にする大人もいれば、身を挺して子どもを守り、社会を変えようとし続ける大人も出てくる。
まだ14歳のヤンナ-ベルタに次々と降りかかる状況はあまりに過酷で、読み進むのがつらい。それでも希望が見えるのは、彼女が自分の意志をしっかりと持っていてそれを曲げないこと。偽りをごまかさない眼を持っていることだ。

作者のグードルン・パウゼヴァングさんは1928年生まれ。少女時代はナチスの青少年組織で活躍し、熱烈にヒットラーを信奉していたそうだ。戦後は教師になり、小学校で教えるかたわら小説を発表してきた。もう83歳になるわけだが、今回の福島の事故について考えたことを、ドイツの新聞に寄稿していたと読んだ。

今は、私の持っている版はもう古本でしか手に入らないが、小学館文庫の新装版が出ている。映画化された『みえない雲』もDVD化されてレンタルにも出ていると思う。こちらはだいぶ原作とは設定やストーリーが変わっているようだけれど、観てみようと思っている。
小説を未読の人は、ぜひ読んでみてほしい。私たちが経験していること、これから経験しなければいけないことについて、深く考えるきっかけを与えてくれると思う。
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by higurashizoshi | 2011-06-18 23:06 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

覚悟

6月のあそぼうかいは晴れて、またお抹茶を点てた。お茶をいただきながら、友人が「ここに来るとき思いついたんだけどね…」と話し出した。
福島の子どもたちに、あそぼうかいに来てもらう、という提案だった。

明石公園の中には宿泊施設があって、そこはこれまで「ふりー!すくーりんぐ」という関西一円のフリースクール等のネットワークの、一泊交流会の場所として何度も利用してきた。
「宿泊はそこにしてもらって、公園で一緒にあそんだり、近場に連れて行ったり…。短期間でも放射線量の少ないところに身を置いて、リフレッシュしてもらうのはどうかな」と友人。
ちょうどこの日は、姫路の奥のデモクラティックスクールの代表の方や、いつも学生さんたちを連れて来てくれるコーディネーターの方なども集まっていたので、しばらく話し合った。
「資金の調達と、福島側の窓口をどうするかが問題」
という話になった。学校単位でなく、希望者をつのり、子どもだけでも親と一緒でも参加できるようにする。夏休みはもう近すぎて無理かな?学校が休みの期間でないと、学校に行ってない子ども限定になってしまう。福島の知り合いのNPOが窓口になってくれるかもしれない。まずは先方をリサーチして、希望を聞かなければ…など、いろんな意見が出た。

友人の提案を聞いたとき、ひさしぶりに、「それだ!」と心がくっきりした。
とりあえず、何人か集まって再び話し合い、なんらかの形で実現できたらと思う。
福島の親たちが文科省へ意見を伝えに行った映像を見て、もし自分がこのお母さんたちの立場だったら、日々子どもが被曝していく現実に、いてもたってもいられないだろうと改めて思った。微力でも、ともかくできそうなことを探していく。それしかない。

そして今日は、神戸で小出裕章さんのお話を聴いてきた。
元町に新しくできた気鋭のミニシアター「元町映画館」で、上関原発に反対する祝島の人たちを描いた映画「祝の島」が上映されて、午後から近くのホールで監督の纐纈(はなふさ)あやさんと京大原子炉実験所の小出裕章さんの講演があったのだ。
今日はTHINK FUKUSHIMAのパレードも三宮~元町であり、かなりの人が来るだろう…と予想はしていたものの、映画館に着いたのは上映30分前だったのにものすごい行列。
結局、定員をはるかに超えるお客さんを詰め込んだにもかかわらず、私たちは入場できず。
これは午後の講演会も大変な人になると思って、映画をあきらめてすぐにホールに行って並んだ。こちらも最終的に、プロジェクターで講演を見せる別会場を作ったうえ、ホールも別会場も立ち見ぎっしりの超満員になった。全部で何百人くらいだったのだろう?
主催者の方が、去年小出さんを呼んで同じような講演会をやったときの参加者は4、50人で、あまりの変化に対応しきれなかったと謝っておられた。

纐纈監督のお話で印象に残ったこと。
実際に祝島に行くまでは、島をあげて原発反対運動をしている人々、という険しいイメージがあった。ところが行ってみるとじいちゃん、ばあちゃんはみんな人懐こく、すごく明るかった。
何人ものお年よりに話を聞いたが、みんなが一様に話してくれたことは、自分の親や祖父母、ご先祖さまなど、もうこの世にない命のこと。そして、これから島に生まれてくる命のことだった。命がずっと続いていく。だから原発という、生きる糧をくれる海を台無しにするものには絶対に反対するのだと。
これだけ反対運動が持続してきた理由のひとつは、ここが小さな島だということ。山にしたこと、海にしたこと、人間のしたすべてのことは、かならず自分に返ってくる。自分でなくても自分の子孫に返ってくる。その実感が強いのだと思う。
でも本当は地球も同じ。わたしたちはどこにも逃げられない。わたしたちが海や山にしたことは、かならずわたしたちに返ってくる。次の世代に返ってくる。監督は、やさしいけれどまっすぐな口調でそう話した。

小出裕章さんは、長年原子力の研究の現場に身を置きながら、反原発の立場をつらぬいて発言してきた方にふさわしく、おだやかだが気迫に満ちた人だった。
話されたことの中からいくつか。

○地震大国に50を越える原発を作ってしまったことの愚かさ。なぜそうなってしまったのか、日本の電力会社は何を隠してきたのか。大企業が原発を作り続けるために、次々と立地が計画されるという逆転。

○トータルで見れば膨大なコストがかかり、埋蔵不可能な放射性廃棄物=死の灰を生み出し続け、いったん大きな事故が起きれば世界中が汚染される。どこからどう考えても、原発というのは理不尽なシステム。それを作り、動かし続けていられるのは、現実から目をそらしているから。

○原発を止めるとたちまち電力不足になるというのは誤りで、原発を動かし続けるために休止させている多くの火力発電所を稼動させれば、実は十分電力はまかなえる。

○福島の事故で、チェルノブイリのとき強制移住の対象になった地域の基準を今回の現地に重ねると、厳密にいえば福島県全域がすっぽり入ってしまう。そのくらいの被曝を、今福島にいる人たちは現にしているということ。

○しかし、すべての大人には、原発を止められず、また原発の電気を使ってきたという責任がある。福島の経済を破綻させないためにも、大人は積極的に福島の野菜や魚を食べるべきだ。逆に、子どもには食べさせない方法を考えなければいけない。

小出さんは、「原発は廃絶しなければならない」とはっきりと言っておられた。自分の存在をかけてそれを目指している人の、鋭い気迫が伝わってきた。
今日の講演はユーストリームにアップされているので、ぜひ多くの人に見てもらいたい。

今日は、タタとミミも一緒に講演を聴いた。二人とも、「聴いてよかった。」と言っていた。
帰り道、私は子どもたちに話した。
「私は学生のとき原発について学んで、その仕組みも、危険性も、廃棄物の処理法がないことも知ってたのに、その後原発に反対する運動を続けるでもなく、ここまで生きてきた。
原発はずっと怖いと思ってた。いつか事故が起きたら大変なことになる、と思ってた。
でもそう思う間にもどんどん原発は作られていって、日本中がそれを認めていって、私もいつのまにか、あきらめたような気持ちになってた。そしていつのまにか、そんな大事故は起きずにすむんじゃないかと目をくらまされてた。
そして、こんな事故が起きてしまった。私は、自分には責任があると思う。だからもう逃げないでいようと思う。」

あの日から3ヵ月。小さいけれど、新しい覚悟が私の中に生まれた。
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by higurashizoshi | 2011-06-11 23:26 | 雑感 | Comments(0)

バラと電報

今朝、新聞を見ながらミミが、
「管さんが首相になって一年たったね」
と言った。「よく憶えてるねぇ」と私。ミミはひとこと、
「だっておかあさんの誕生日だったでしょ」。

そうだ、そうでした。すったもんだの果てに管首相が誕生したのが、私の去年のバースデーだった。月日は流れ、あれから一年。菅さんはもう、辞めるとか、辞めないとか言っている。こんなときに、こんな状況なのに、政治家のみなさんたちは自分の世界しか見ていない。
鳩山さんは「ウソはいけません」「ペテン師」と息巻いている。普天間移転問題でさまざまな約束をホゴにして、いきなり政権を放り出した自分の過去はもう忘れたらしい。ニュースを見ていると腹立ちを通り越して、こっちが恥ずかしくなってくる。

一年前、誕生日記念にと子どもたちと乗った、たこフェリーも今はない。
累積赤字でついに倒産、フェリーは全部タイに売り払われてしまった。明石のタコがタイにって、できすぎた話じゃありませんか。
そもそもの原因は民主党政権の目玉のひとつ、高速料金値下げによって明石海峡大橋の通行料金が下がったことだ。フェリーの客は当然激減。それでもけなげにキャラクター作戦やイベント作戦でがんばってきたのだが…。
誕生日に乗ったあと、家族や親せき大勢で淡路島の岩屋までハモを食べに行ったときに乗ったのが最後になってしまったなあ。
しばらく前に、解雇された従業員の方たちのデモが明石の町であった。この前当選した明石の新市長は、たこフェリーの復活も公約のすみっこに入れていたけど、なんとか実現してほしい。

さっきニュースを見たら自民党の谷垣総裁も(うちでは『歯みがき総裁』といわれている)すごく息巻いていた。民主党はだめだから、今すぐ菅さんはやめてウチに政権返しなさい等といっているのだろう。こちらも、自分たちが電力会社や官公庁と一体になって原発をガンガン推進してきて今の惨状が起きたことを忘れているらしい。
そして朝刊の一面を見ると、トップ記事はまるで私の誕生日を祝うかのように、大阪府議会で君が代起立条例が可決。永田町周辺の泥仕合に国民がうんざりしているとき、まるでその機をうまくつかむようにいろいろなことが進行している。注意一秒、ケガ一生。今を「戦前」にしないために、アンテナをしっかり張っていないといけない。

と、頭の中は晴れない思いでいたら、ピンポーン。
「電報です!」
電報って何だっけ…?と一瞬思ったほど、「電報」は昔の響きのコトバである。
今はこんなおしゃれな電報があるんですねぇ。誕生日おめでとうって綺麗なバラ。
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いったい誰がこんな粋なことしてくれたんだろうと思って、差出人を見るとなんと実家の両親。
びっくりしてお礼の電話をしたら、父が
「これ発案したのは、お母さんや。」
と言うので二度びっくり。母はどこでこんなものを知ったのだろう…?
母に代わってもらって「ありがとう」と言ったら、母はもう私にそれを送ったことを忘れていたけど、何となく話の文脈はわかった(のか?)、「今日はお天気もいいし、気持ちよく過ごせたらいいねえ」と言ってくれた。

よたよたの低空飛行二人暮らしを続ける父と母。娘はもうこんな歳になってしまいましたよ。生きていると嫌なことも哀しいことも腹の立つこともややこしいこともいっぱいあるけど、生きていることはほんとうにそれだけで素晴らしい。そんなふうに思って今日は過ごそう。
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by higurashizoshi | 2011-06-04 14:13 | 雑感 | Comments(4)

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