ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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アヒルと鴨のコインロッカー

d0153627_12314274.jpg昔、友だちが、海外青年協力隊で1年間、ブータンに住んでいた。
彼女はブータンに、キノコの栽培法を伝授しに行ったのだった。
行ってみると、勤務地のそばの山にはマツタケがうじゃうじゃ生えていた。
驚愕して現地の人たちに知らせると、皆「そのキノコはうまくない」とこともなげに言う。
彼女は人々にシイタケやシメジの栽培指導をしながら、毎日せっせとマツタケを採ってはひとりで網焼きや鍋にして食べまくった。
「あの1年で一生分のマツタケを食べた…」帰国後、遠い眼をして彼女は言ってたっけ。
写真で見せたもらったブータンの人たちは日本人にとてもよく似ていて、彼女いわく「日本人よりずっとおおらかで優しい」とのことだった。

『アヒルと鴨のコインロッカー』を観ながら、そんなことを思い出していた。
この映画の中にはブータン人が出てくる。ブータンの文化もいくつも出てくる。
しかしそんなのんびりした思い出にひたっていられたのは最初のわずかな時間だった。
これはずいぶんとんでもない映画だったからだ。
私は何の予備知識もなくこの映画を観た。伊坂幸太郎の原作も読んでいない。というか私はひねくれものなので、売れっ子の伊坂幸太郎の小説を読んだことがない。
原作を読んでない人は、ぜったい何もあらかじめ知らずに、まっさらな気持で観たほうがいい、そういう作品だ。
まっさらで観ることのできる人は、冒頭になごんだあと、どんどん予想しないところへ引き込まれていくだろう。
そして映画を観終わったあと、ボブ・ディランの「風に吹かれて」が頭から消えなくなるだろう。
仙台といえば「笹かまぼこ」だと思っていたが、今は仙台といえば「牛タン」なのだということも知るだろう。
そしてひっそりとした場所でひとりで、胸しめつけられている自分を見つけるだろう。

瑛太も松田龍平も関めぐみもとてもいい。なにより、濱田岳が最高にナイーブ。
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# by higurashizoshi | 2008-04-01 12:35 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(2)

キャンディ

d0153627_1342952.jpg恋をしているさなかに、相手と完全に《とけあいたい》と願う。
ちがう人間同士だから、完全にとけあうことはできない。けれどそれでもはげしく、《とけあいたい》と、それだけを願う。

とけあう、ということは、自分をなくす、ということでもある。
お互いに、自分をなくして、ひとつになる。
ずっとずっとそんなふうに、とけあって、ただとけあって、いっしょにいたいと願う。
それだけを夢見たふたりの、行方を描いた物語だ。

詩人志望の青年ダンと、画家志望の若く美しいキャンディ。
ふたりは出会った瞬間から恋におちて、ずっといっしょにいるようになる。
ダンが自作の詩を読み聞かせ、キャンディがふたりの絵を描く。
このうえなく幸せな時間は、けれど長くは続かない。
いっしょにいるために必要な金が、ふたりにはないのだ。
ダンはジャンキーだった。キャンディはすぐに、ダンと同じになるために、自分からすすんでドラッグに手を出す。
ふたりが幸せに、とけあっているために、ドラッグはかかせないものになる。
急速に、急速に、ふたりは堕ちていく。《地獄》へと。

ダンは家族と縁を切り、定職にもつかず、きままに生きてきた男だ。
キャンディと出会わなければ、ほどほどのジャンキーとして、のらりくらりと人生を送っていたかもしれない。
一方キャンディは、こぎれいな中流家庭で育ったひとり娘。母親との深い確執をかかえている。
「6歳のときからずっと拳を握りしめている」というキャンディの言葉。そして、堕ちていく娘を見る母親のきびしく容赦ない眼が、この母娘の関係をあらわしている。
父親のほうは、娘に対し、無条件にひたすら優しい。キャンディは気づいていないが、実は彼女の父親とダンはよく似ている。一見、堅実で温厚な紳士と、いいかげんなジャンキー。まったく違うふたりだが、ふたりとも、キャンディを溺愛し、そして無力だ。
「彼女は俺のすべてだった。彼女のためなら何だってできた」
そのダンの独白はうそではない。ダンは《ロクデナシ》だけれど、心からキャンディを愛した。たぶん彼の人生で初めて、誰かと喜びを分かち合い、重なって生きることをのぞんだ。

「この美しい娘に何をしたの!」やつれ荒れ果てたキャンディを前に、母親はダンに向かって叫ぶ。
けれど、ダンがキャンディを陥れたのではない。引きずり込んだのでもない。
キャンディが自分から選んだのだ。ダンとただとけあうためにドラックを打ち、必要なものを手に入れるために体を売った。決めて進んできたのはいつもダンではなく、キャンディだった。

ふたりが歩んでいく道はあまりにも残酷で、ふたりはどうしようもなく未熟で、おろかだ。
そんなふたりをずっと見ている人物がいる。変わり者の中年男キャスパー。
キャスパーは薬学の教授でありながら自身もジャンキーで、ダンが唯一頼る相手だ。
彼はダンとキャンディを暖かく見守るが、地獄から救い出す手助けはしない。
それはキャスパーが自分の無力さを自覚しているからだ。彼自身が深くドラッグにとらわれ、もはや魂を売り渡して、あともどりができないことを自覚している。

映画の冒頭、キャンディとダンは、遊園地の回転型遊具に乗る。天井のないドームのような室内に、何人かの子どもたちといっしょに入る。
キャスパーが、遊具の上から笑顔でふたりを見守っている。
遊具は回転を始め、遠心力で人々は壁にはりつけられる。
キャンディとダンは、笑いながら抱きあい、回転をつづける。
ふたりはきらきらと輝いて、幸福そのものだ。ただお互いだけを見つめ、とけあっている。
いつまでもいつまでも、ふたりはこの遊具に乗っていたかったのだ。大人になることも、現実と折り合って生き抜くこともせずに、ただ愛し合い、とけあっていたかった。

遊具を降り、地獄を抜け、ふたりが失い、そして得たもの。

キャンディを演じるアビー・コーニッシュがほんとうに美しく、しかも魂のつよさを感じさせる。か弱くつぶされていく女性ではなく、愛する人と必死で生きようともがくキャンディを、気品をうしなうことなく表現していてすばらしいと思った。
ダン役のヒース・レジャーは、おろかで無責任、同時に無垢で純粋な青年をていねいに、ナイーブに演じている。どうしようもない男なのに憎めない、ダンをそう感じさせるのは、ヒースならではの魅力なのかもしれない。
彼にとってこの作品はオーストラリアでの8年ぶりの映画出演。そして最後の母国映画への出演作となった。
映画の中で、意識を失ったキャンディの体を揺すり、ダンが「オーバードーズ(薬物の過剰摂取)だ!」と叫ぶシーンには、やはり胸をさされてしまった。ヒースが生きた軌跡がこんなふうにも残っていることに。
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# by higurashizoshi | 2008-03-30 13:50 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(0)

ポリス インサイド・アウト

生れてはじめて買ったCDはスティング「Nothing like the sun」だった。
そのとき、ただCDってものを買ってみたくて店に行ったのだった。
で、目にとまった一枚のカバー写真のスティングがすごくかっこよかったので、中身も知らずに買った。

d0153627_22212445.jpgそんな偶然からスティングのファンになり、さかのぼってポリスも聴くようになった。
といっても、そのときすでにポリスというバンドは実質的には消滅していた。
ベース&ボーカルのスティングがソロになってヒットを飛ばし、ギターのアンディ・サマーズ、ドラムスのスチュワート・コープランドはそれぞれ写真や映画音楽の世界へ去っていた。
あーこんなすごいバンド、なんで現役のときに聴かなかったんだろう?と後悔したけど、まあもとから音楽オンチなのでしかたがない。
ポリスのライブ映像はけっこう見たけど、とにかくメチャクチャかっこいい。曲も今でも少しも古さを感じない。ほんとうに時代の先の先を行ってたバンドなんだなと思う。

その後スティングの来日コンサートには行ったし、新しく出るたびアルバムも買った。ポリスのアルバムもだいたいそろえて、どっちもよく聴いていた。
でも、近年のスティングの楽曲にそんなに魅力を感じなくなったというのもあって、気がつくといつしか遠ざかっていた。

ポリスが再結成、という話題も、「ふーん」と聞いた。
だいたい、バンド再結成ばやりだけど、今さらねえ?という気持ちになることが多い。
失われた過去を、オジサンになったロッカーが集まって再現しようというのに、あまり共感できない。
なんてうそぶいてたわりには、再結成したポリスが来日、大阪公演もあり、という記事を見て、思わず新聞を裏返したりして。
「行けるわけないやん…」と心の中でつぶやいてたりして。

まあ大阪公演はともかく、ではこれはやっぱり観ないとね、と思ってコトブキに借りてきてもらった「ポリス インサイド・アウト」(2006年)。
ドラムスのスチュワート・コープランドが自分のビデオカメラで撮りためた、ポリス現役当時の映像を編集した映画だ。
結成直後の78年ごろから84年の活動停止までの映像だから、どうしてまたこんなに時間がたってから映画にしたのだろう?
これが映画になって公開されることがきっかけで再結成が実現したとかいう話も聞いた。

まったくの素人カメラ、機材も当然ホームビデオ程度のものだから、画面はすこぶる不鮮明だし手ブレだらけの連続なのだけど、ポリスが好きな人にはなんとも貴重な映像がいっぱいだった。
コープランドがいろいろなライブで、もうスティングもアンディも演奏始めてるのにステージの後ろから撮りつづけていて、バンドの背後からウワアーっと盛り上がる客席をなめるように撮る、そしてやおらビデオカメラをドラムスのすぐ後ろに固定して、マシンガンのようにドラムを叩き出す自分が写りこむ…という、ワクワクする映像。
オンボロモーテルを泊まり歩き、機材も全部自前で運んでいたインディーズ時代の初々しい様子から始まって、ある時期を境にあれよあれよとスターに化けていく3人の若者たちの高揚と、困惑と、疾走感。

海外ツアーの様子もいくつかあるが、特に面白かったのは日本ツアーのときの映像だった。
イギリスやアメリカでも空港などで女の子のファンが熱狂して押し寄せてくる映像があって、それはすさまじい勢いでどの子も「あたしを見て!見て!」とアピールしている。
ところが、日本でポリスを取り囲むファンの子たちは、キャーキャー言うのは同じだけど、サインをもらったり握手してもらったりしても、ポリスのメンバーを見ないでうつむいているのだ。そして「キヤァー!」などと叫んで逃げるように行ってしまう。
コープランドの映した画像の中で、日本の女の子たちはとても従順で、どの子も妙に均質で、似ているように見える。
その光景は、ある意味ミステリアス。東洋の神秘?に見えなくもない。
今から25年くらい前のティーンエイジャーだから、彼女たちは今…
って考えるとおよよ!私と同世代じゃないか。

それはともかく、やっぱりポリスは抜群にかっこいい、そして質の高いバンドだったんだなあ…とあらためて思った。
そして、短期間で頂点にのぼりつめたあと、次第に煮詰まって、はじきあって、離れていくようになるその「空気」みたいなものが感じられた。
才能と才能が出会って疾走がはじまって、ポリスは竜巻みたいなものだったんだなと思う。
そんなふうに駆け抜けるバンドはたくさんあるけれど、ポリスは誰よりも高くにのぼり、最高の音楽を奏で、消えた。

再結成のツアーのDVDなんて、出るんだろうなあ。
ああ、それを観るべきがどうか。
絶頂期の彼らの姿をとどめたこの映画だけでやめにしておこう。
いやしかし…。
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# by higurashizoshi | 2008-03-26 22:23 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(4)

春の海

二週間ほど前、明石海峡で船の衝突事故があった。
ベリーズ船籍の一隻の貨物船が沈没し、フィリピン人の船員1人が亡くなり、3人が行方不明になった。
場所は、わが家からほんの5分の海岸から、東へ少し行ったあたりの沖合だ。

この一隻の船が沈んだために、今このあたりの漁協は大変な状況になっている。
今はイカナゴ漁、そして海苔漁の最盛期だからだ。
海苔といえば有明海が知られているが、実は海苔の生産量日本一は明石海峡なのだそうだ。

ちょうど私が大騒ぎでくぎ煮を炊いた日が事故の数日後で、中止されたイカナゴ漁はそのときはいったん、再開されていた。
ところが、沈んだ船から燃料の油がもれ続け、それがイカナゴに付着しているのを漁師が見つけ、イカナゴ漁は全面自粛になった。
イカナゴのシンコの季節はほんのひと月あまり。漁をやめている間にシンコはどんどん成長し、4月に入ればもう商品にはならなくなる。
そう思っていたら、数日前、とうとう今年のイカナゴ漁は打ち切りが決まったというニュースを見た。
大変な打撃だ。地元の漁師だけでなく、この時期シンコを扱って多くの売上を見込んでいた商店や企業などにとっても。

ところが打撃はそれだけでなく、明石沖で養殖している海苔が一番大きな被害を受けた。
事故後すぐに海苔養殖は全面中止。ほんの微量でも油の汚染がある海苔は扱えないということで、漁の最盛期だった海苔の、大量廃棄が始まった。
苦労して育てた海苔を捨てる。黒々としたあふれんばかりの海苔を沖合の養殖場から船に乗せ、港に戻り、焼却処分にする。
そんな映像が何度もニュースに映った。ここからほんの近くの漁港で行われていることだ。

今回の事故で中止された海苔漁の被害総額は、40億円超と報道された。
40億円。とほうもない金額にぼうぜんとしてしまう。
たった一隻の貨物船が沈んだことで、沿岸の人たちの生活が、もしかしたら人生さえ、変えられてしまうのだ。

今のところわかっているこの事故の原因は、タンカーと砂利運搬船が二隻ともに不注意航行により衝突、そのあおりを受けて、正常な航行をしていた貨物船が沈没したというやりきれないもの。
遠い異国の海で行方不明になった3人のフィリピン人船員は、まだ見つかっていない。
油が流出している沈没した船体の引き揚げも、手がつけられていないそうだ。

毎年、おだやかな春の恵みを感じさせてくれるこの海。
今年はにがい思いがつまった春の海になってしまった。
思いもかけず、希少価値になった今年のイカナゴで炊いたくぎ煮。
せめて心から大切に味わっていただこうと思う。
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# by higurashizoshi | 2008-03-23 14:07 | 雑感 | Comments(4)

窮すれば通ず

冷蔵庫を開けた。
ひゅーるるるぅ…
心の中を吹き過ぎる風の音。
食材が…ない。

冷凍室には、肉、魚など、いくつか入っているのだが、野菜室はガラガラ。
冷蔵室のほうは、佃煮、キムチ、味噌…。

今のわが家は、毎週土曜日の生協の宅配で、一週間の食材全部をまかなっている。
今日は木曜日。苦しくなる時期だ。
ちょっと考えなしに野菜を使いすぎたらしい。
ときどき、母鳥のように食材を届けてくれるコトブキも、現在長期出張中。

冷蔵庫の前にたたずんでる私にタタが声をかける。
「どーしたのぉ?」
「食料が、にゃい」ガラガラの野菜室を見せる。ネギがひと束。
「えええー!!」
バタバタと走って、タタがミミを呼びに行く。
「ミミ、たいへん、たいへん!食べものがないんだって!」
いや、呼んでもどうなるもんでもありまへんがな…。

食べものがない? なんの、そんなことはないのだ。
ほらツナ缶とか、乾燥ひじきとか、昆布とか。
野菜だって、玉ねぎ、じゃがいもなら箱入りのストックがある。
だいじょうぶだ、タタ、ミミ!
あと二日がんばれば、生協のお兄さんが一週間分の食材を持ってきてくれるんだから、なんとかしのごう。

足りないものは買いに行けばいい、という生活があたりまえだったころ。
思えば、ずいぶんぜいたくしていたんだなぁと思う。
ぜいたくといっても、別に豪華な食生活をしてたわけじゃない。
ただ、必要なもの以外に、余分なものもずいぶん買ってた気がする。

などと謙虚な気持ちになっていても、今日のあさ・ひる・ばん、明日のあさ・ひる・ばん…と献立を考えていると、これが足りない、あれがない…じゃあこの料理はやめてだな…とだんだん頭がぐるぐるしてくる。
でもまあ、窮すれば通ず、と昔の人はうまく言ったもので、今の生活で私はずいぶん「アリモノでっち上げ料理」の腕が上がってきた。
かなりありえないものを組み合わせて一汁三菜をこしらえる。
そのうち、『食材を使わない豪華おかず』なんてレシピ本を書けるようになるやもしれぬ。

昔、テレビでプロの料理人が普通のおうちに突然行って、そこの冷蔵庫にあるものだけですごい料理を何品もこしらえる、という番組を見たことがある。
その当時は、どうやったらこんなことが?と口を半開きにして見ていたが、今なら私は「できるぞ、これくらい」などと思いそうである。
だってほら、その冷蔵庫には食材があるんだから!
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# by higurashizoshi | 2008-03-20 17:26 | 家事というか | Comments(4)

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