ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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ポリス インサイド・アウト

生れてはじめて買ったCDはスティング「Nothing like the sun」だった。
そのとき、ただCDってものを買ってみたくて店に行ったのだった。
で、目にとまった一枚のカバー写真のスティングがすごくかっこよかったので、中身も知らずに買った。

d0153627_22212445.jpgそんな偶然からスティングのファンになり、さかのぼってポリスも聴くようになった。
といっても、そのときすでにポリスというバンドは実質的には消滅していた。
ベース&ボーカルのスティングがソロになってヒットを飛ばし、ギターのアンディ・サマーズ、ドラムスのスチュワート・コープランドはそれぞれ写真や映画音楽の世界へ去っていた。
あーこんなすごいバンド、なんで現役のときに聴かなかったんだろう?と後悔したけど、まあもとから音楽オンチなのでしかたがない。
ポリスのライブ映像はけっこう見たけど、とにかくメチャクチャかっこいい。曲も今でも少しも古さを感じない。ほんとうに時代の先の先を行ってたバンドなんだなと思う。

その後スティングの来日コンサートには行ったし、新しく出るたびアルバムも買った。ポリスのアルバムもだいたいそろえて、どっちもよく聴いていた。
でも、近年のスティングの楽曲にそんなに魅力を感じなくなったというのもあって、気がつくといつしか遠ざかっていた。

ポリスが再結成、という話題も、「ふーん」と聞いた。
だいたい、バンド再結成ばやりだけど、今さらねえ?という気持ちになることが多い。
失われた過去を、オジサンになったロッカーが集まって再現しようというのに、あまり共感できない。
なんてうそぶいてたわりには、再結成したポリスが来日、大阪公演もあり、という記事を見て、思わず新聞を裏返したりして。
「行けるわけないやん…」と心の中でつぶやいてたりして。

まあ大阪公演はともかく、ではこれはやっぱり観ないとね、と思ってコトブキに借りてきてもらった「ポリス インサイド・アウト」(2006年)。
ドラムスのスチュワート・コープランドが自分のビデオカメラで撮りためた、ポリス現役当時の映像を編集した映画だ。
結成直後の78年ごろから84年の活動停止までの映像だから、どうしてまたこんなに時間がたってから映画にしたのだろう?
これが映画になって公開されることがきっかけで再結成が実現したとかいう話も聞いた。

まったくの素人カメラ、機材も当然ホームビデオ程度のものだから、画面はすこぶる不鮮明だし手ブレだらけの連続なのだけど、ポリスが好きな人にはなんとも貴重な映像がいっぱいだった。
コープランドがいろいろなライブで、もうスティングもアンディも演奏始めてるのにステージの後ろから撮りつづけていて、バンドの背後からウワアーっと盛り上がる客席をなめるように撮る、そしてやおらビデオカメラをドラムスのすぐ後ろに固定して、マシンガンのようにドラムを叩き出す自分が写りこむ…という、ワクワクする映像。
オンボロモーテルを泊まり歩き、機材も全部自前で運んでいたインディーズ時代の初々しい様子から始まって、ある時期を境にあれよあれよとスターに化けていく3人の若者たちの高揚と、困惑と、疾走感。

海外ツアーの様子もいくつかあるが、特に面白かったのは日本ツアーのときの映像だった。
イギリスやアメリカでも空港などで女の子のファンが熱狂して押し寄せてくる映像があって、それはすさまじい勢いでどの子も「あたしを見て!見て!」とアピールしている。
ところが、日本でポリスを取り囲むファンの子たちは、キャーキャー言うのは同じだけど、サインをもらったり握手してもらったりしても、ポリスのメンバーを見ないでうつむいているのだ。そして「キヤァー!」などと叫んで逃げるように行ってしまう。
コープランドの映した画像の中で、日本の女の子たちはとても従順で、どの子も妙に均質で、似ているように見える。
その光景は、ある意味ミステリアス。東洋の神秘?に見えなくもない。
今から25年くらい前のティーンエイジャーだから、彼女たちは今…
って考えるとおよよ!私と同世代じゃないか。

それはともかく、やっぱりポリスは抜群にかっこいい、そして質の高いバンドだったんだなあ…とあらためて思った。
そして、短期間で頂点にのぼりつめたあと、次第に煮詰まって、はじきあって、離れていくようになるその「空気」みたいなものが感じられた。
才能と才能が出会って疾走がはじまって、ポリスは竜巻みたいなものだったんだなと思う。
そんなふうに駆け抜けるバンドはたくさんあるけれど、ポリスは誰よりも高くにのぼり、最高の音楽を奏で、消えた。

再結成のツアーのDVDなんて、出るんだろうなあ。
ああ、それを観るべきがどうか。
絶頂期の彼らの姿をとどめたこの映画だけでやめにしておこう。
いやしかし…。
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# by higurashizoshi | 2008-03-26 22:23 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(4)

春の海

二週間ほど前、明石海峡で船の衝突事故があった。
ベリーズ船籍の一隻の貨物船が沈没し、フィリピン人の船員1人が亡くなり、3人が行方不明になった。
場所は、わが家からほんの5分の海岸から、東へ少し行ったあたりの沖合だ。

この一隻の船が沈んだために、今このあたりの漁協は大変な状況になっている。
今はイカナゴ漁、そして海苔漁の最盛期だからだ。
海苔といえば有明海が知られているが、実は海苔の生産量日本一は明石海峡なのだそうだ。

ちょうど私が大騒ぎでくぎ煮を炊いた日が事故の数日後で、中止されたイカナゴ漁はそのときはいったん、再開されていた。
ところが、沈んだ船から燃料の油がもれ続け、それがイカナゴに付着しているのを漁師が見つけ、イカナゴ漁は全面自粛になった。
イカナゴのシンコの季節はほんのひと月あまり。漁をやめている間にシンコはどんどん成長し、4月に入ればもう商品にはならなくなる。
そう思っていたら、数日前、とうとう今年のイカナゴ漁は打ち切りが決まったというニュースを見た。
大変な打撃だ。地元の漁師だけでなく、この時期シンコを扱って多くの売上を見込んでいた商店や企業などにとっても。

ところが打撃はそれだけでなく、明石沖で養殖している海苔が一番大きな被害を受けた。
事故後すぐに海苔養殖は全面中止。ほんの微量でも油の汚染がある海苔は扱えないということで、漁の最盛期だった海苔の、大量廃棄が始まった。
苦労して育てた海苔を捨てる。黒々としたあふれんばかりの海苔を沖合の養殖場から船に乗せ、港に戻り、焼却処分にする。
そんな映像が何度もニュースに映った。ここからほんの近くの漁港で行われていることだ。

今回の事故で中止された海苔漁の被害総額は、40億円超と報道された。
40億円。とほうもない金額にぼうぜんとしてしまう。
たった一隻の貨物船が沈んだことで、沿岸の人たちの生活が、もしかしたら人生さえ、変えられてしまうのだ。

今のところわかっているこの事故の原因は、タンカーと砂利運搬船が二隻ともに不注意航行により衝突、そのあおりを受けて、正常な航行をしていた貨物船が沈没したというやりきれないもの。
遠い異国の海で行方不明になった3人のフィリピン人船員は、まだ見つかっていない。
油が流出している沈没した船体の引き揚げも、手がつけられていないそうだ。

毎年、おだやかな春の恵みを感じさせてくれるこの海。
今年はにがい思いがつまった春の海になってしまった。
思いもかけず、希少価値になった今年のイカナゴで炊いたくぎ煮。
せめて心から大切に味わっていただこうと思う。
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# by higurashizoshi | 2008-03-23 14:07 | 雑感 | Comments(4)

窮すれば通ず

冷蔵庫を開けた。
ひゅーるるるぅ…
心の中を吹き過ぎる風の音。
食材が…ない。

冷凍室には、肉、魚など、いくつか入っているのだが、野菜室はガラガラ。
冷蔵室のほうは、佃煮、キムチ、味噌…。

今のわが家は、毎週土曜日の生協の宅配で、一週間の食材全部をまかなっている。
今日は木曜日。苦しくなる時期だ。
ちょっと考えなしに野菜を使いすぎたらしい。
ときどき、母鳥のように食材を届けてくれるコトブキも、現在長期出張中。

冷蔵庫の前にたたずんでる私にタタが声をかける。
「どーしたのぉ?」
「食料が、にゃい」ガラガラの野菜室を見せる。ネギがひと束。
「えええー!!」
バタバタと走って、タタがミミを呼びに行く。
「ミミ、たいへん、たいへん!食べものがないんだって!」
いや、呼んでもどうなるもんでもありまへんがな…。

食べものがない? なんの、そんなことはないのだ。
ほらツナ缶とか、乾燥ひじきとか、昆布とか。
野菜だって、玉ねぎ、じゃがいもなら箱入りのストックがある。
だいじょうぶだ、タタ、ミミ!
あと二日がんばれば、生協のお兄さんが一週間分の食材を持ってきてくれるんだから、なんとかしのごう。

足りないものは買いに行けばいい、という生活があたりまえだったころ。
思えば、ずいぶんぜいたくしていたんだなぁと思う。
ぜいたくといっても、別に豪華な食生活をしてたわけじゃない。
ただ、必要なもの以外に、余分なものもずいぶん買ってた気がする。

などと謙虚な気持ちになっていても、今日のあさ・ひる・ばん、明日のあさ・ひる・ばん…と献立を考えていると、これが足りない、あれがない…じゃあこの料理はやめてだな…とだんだん頭がぐるぐるしてくる。
でもまあ、窮すれば通ず、と昔の人はうまく言ったもので、今の生活で私はずいぶん「アリモノでっち上げ料理」の腕が上がってきた。
かなりありえないものを組み合わせて一汁三菜をこしらえる。
そのうち、『食材を使わない豪華おかず』なんてレシピ本を書けるようになるやもしれぬ。

昔、テレビでプロの料理人が普通のおうちに突然行って、そこの冷蔵庫にあるものだけですごい料理を何品もこしらえる、という番組を見たことがある。
その当時は、どうやったらこんなことが?と口を半開きにして見ていたが、今なら私は「できるぞ、これくらい」などと思いそうである。
だってほら、その冷蔵庫には食材があるんだから!
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# by higurashizoshi | 2008-03-20 17:26 | 家事というか | Comments(4)

夜のパパ

d0153627_2174487.jpg図書館でこの本の背表紙がふと眼にとびこんできたとき、不思議な題名にひかれた。
手にとって、表紙の絵を見た。
ほっそりした青年が、頭にふくろうをのせている、繊細な線の銅版画。
「ああ、この本は私の本」
と思った。
そんなふうに直感することはめったにない。
すぐに借りて帰って一気に読んだ。もう返したくなくなっていた。

夜のパパ。
なんのことだろう、と想像がめぐるタイトルだ。
思春期手前の少女ユリアは、シングルマザーの母とふたり暮らし。
看護師の母は、夜勤の間ユリアと家にいてくれる人を、広告で募る。
応募してきたのは、予想に反して若い青年だった。

スウェーデンでは、夜間に子どもをみてくれるシッターのことを、「夜のママ」というらしい。
だから青年は、夜のパパ。
この夜のパパは、かなり風変りな青年だ。スムッゲルというふくろうが相棒で、本に埋もれた部屋に暮らしている。石の研究をしているらしい。
いっぽうユリアは、かなり頑固で、まっすぐな性格の少女。
学校では女の子同士のいじめの標的になり、家では無理解な母とぶつかってばかり。
相当に不機嫌な人生を送っていた。

一緒に夜をすごすようになっても、いっこうに心を開かないユリアに、夜のパパはお互いに手紙を書き合うことを提案する。
この本はその、ユリアと夜のパパの往復書簡で成り立っている。

誰のことも心から信用することができなかったユリアは、夜のパパとの間に、不思議なつながりを育てていく。
恋の感情でもなく、父親代わりの愛情でもなく。
夜のパパは、べたついた優しさとは無縁の、けっこう自分勝手で気分屋なところもある青年だ。
ただ、ユリアのことを、一人の人間として、きちんと尊重する。
ユリアがつたない表現であらわすこと、ひとつひとつに、ちゃんと向き合う。
子どもだから、大人だから、などということと関係なく、批判もし、共感もする。
そうしながら、ユリアと夜のパパは、いつしかいろいろな問題にふたりで立ち向かっていく。
ふくろうのスムッゲルが、そのとぼけた行動で、ときには離れかけるふたりの気持ちを結びつけてくれる。

ユリアと夜のパパ。ふたりはよく似ている。頑固で、孤独で、嘘がない。
ふたりの結びつきは、とても強くなっていくが、そのつながりは単純に名前のつけられないものだ。

この本を読んでいると、とても澄んだ気持ちになっていく。
人と人が、その結びつきの名前にーーたとえば家族とか恋人とか友人とかという名前に縛られて、ほんとうの感情が見えなくなることは多い。
年齢や、上下関係などでも、同じことが起きる。

でも、ほんとうに大切な一対一の関係というものは、何にも支配されない。
ユリアは、夜のパパとの関係で、そのことを知る。
だからユリアは傷つきながらも、少しずつ世界に対して心を開いていくのだ。


この本の作者マリア・グリーペは、スウェーデンではとても著名な児童文学作家とのことで、たくさんの著書がある。
ほとんどの作品の挿絵を、夫の画家ハラルド・グリーペが描いているそうだ。
この「夜のパパ」もそうで、物語にぴったりと寄りそうような、やわらかく繊細な絵がほんとうに魅力的だ。
この本には続編「夜のパパとユリアのひみつ」があり、少し大人になったユリアと、少し人間くさい夜のパパに出会うことができる。

二冊とも、そばにそっと置いて、何度も読み返したい大好きな本だ。
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# by higurashizoshi | 2008-03-16 21:11 | 観る・読む・書く・聴く | Comments(5)

贈った本

d0153627_15123848.jpg誕生日に贈った「アンネの日記」を、タタがもう読んでしまったという。
たった一日半。それはそれはすごい集中力だった。
どんなことを感じたのか、タタはまだ簡単には言葉にしない。

アンネ・フランク自身、13歳の誕生日に日記帳を贈られ、その日から「アンネの日記」は始まっている。
アンネが生まれたのは1929年。
私の両親と同い年だ。
15歳の夏で、アンネが書きつづった日記は終わった。
そしてアンネは、人間の尊厳をはぎとられる場所で短い人生を終えた。

でも、タタはそういうことを聞きたくないという。
たぶん、タタは日記の中の13歳から15歳のアンネの「今」を感じていたいんだろう。

かつて、わたしも13歳の誕生日に、母から「アンネの日記」を贈られた。
そのことを、タタのためにこの本を注文してから、急に思い出した。

私の両親は平和教育に熱心だった。
母はナチス・ドイツの行ったことについていろいろ教えてくれたうえで、「アンネの日記」を私に贈った。
だから私は、本の中のアンネの写真を見るのが怖かった。
日記の中の、知性とユーモアの輝くアンネに魅せられながら、虐殺の被害者だということが鉛のように重く苦しかった。

タタは、ただ13歳の少女同士として、アンネに会いたかったのだろう。
隠れ家を一歩も出られず、息をひそめて暮らす毎日の中で、たくさんのことを感じ、考え、学び、成長していくアンネ。
今、家から出ない暮らしを続けるタタにも、たくさんの学びと、成長がある。
タタは、アンネに出会って、どんなことを感じただろう。
もう一度、私も、タタに借りてこの本を読み返してみよう。
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# by higurashizoshi | 2008-03-14 15:18 | 雑感 | Comments(11)

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