ひぐらしだより
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
学びについて、思うこと
タタが通信制高校に入って4ヶ月近く。ようやく一年次の前期が終了した。
小1のなかばから、まったく学校に行かずに育ったタタにとって、《学校》と名のつく場所はなんと9年ぶり。通信制とはいえ、どんどん押し寄せるレポートの〆切り、月2回のスクーリングは朝から夕方までびっしりの授業。体育なんてものもあるのだ。毎回へとへとになりながら、とりあえず夏休みまで何とかよく乗り切ったものだと思う。
これまでの険しい道のりを考えると、ただ元気になってくれただけで十分すぎるほどで、私にはそれ以上のことを望む気持ちはない。
昨秋、突然タタが「わたし、高校行ったほうがいいと思う。」と言い出したときは驚いた。
タタの気持ちがこの先に向けて動き出したことはうれしかった。ただただ、回復し、生きていく方向へタタがむかっていくことがありがたかったし、私にとっては、それが高校進学である必要はなかった。でもタタは自分なりに考えて、高校に行き、この先の自分の道を考えてみようと決めたようだった。《学校》!…思ってもみなかった展開に、私のほうが戸惑ってあたふたしていた。
4月、スクーリングに行きはじめた最初のタタの感想は、
「学校って、疲れるー」だった。そりゃ、そうだろう。学校は不自然で、疲れるところなのだ。学校には、学校にしかない不条理がある。私は毎回、狼の群れに羊をそっと放つような気持ちでタタを送り出した。タタは小さなころから、自分で決めたことはやる人である。私は私の心配でその邪魔をしないように、アッケラカンと笑顔で送り出し、出迎えるようにした。スクーリングの回数をかさねて、少しずつタタも慣れ、やっと小さなお弁当を食べ切って(最初はまったくのどを通らなかったらしい)帰れるようになった。
次の難関はレポート。各教科細かく〆切が決められていて、出かける日が続いたり何かに熱中したりしていると、アッという間にどれかの〆切を過ぎてしまう。これまでは自分の時間をたっぷり自由に使えていたタタが、初めて《追われる》状況におちいってしまった。
しかも内容は思いっきり学校勉強である。家じゅうの大人の本を片っ端から読破してきたタタが、国語の設問につまづく。『このときの主人公の心の動きをあらわす言葉を文中から十五文字で書き出せ』。そんなの文中にないよと言う。私が読んでもそんな十五文字はない。きっと著者にも見つけ出せないだろう。「こんな問題、どんな意味があるの?」とタタ。
数学は3けたの足し算引き算の世界から、一気に短期間で因数分解や二次方程式にたどりつかなければならなかった。階段を三段飛ばしで駆け上がる勢いで、ぐんぐんタタはのぼっていった。当然、息切れはするし、疲れもする。何度もへたりつつ、またのぼる。私はサポートしようにも、数学なんてすでに中学1年くらいの段階で記憶がとぎれているので、教えるなんてものじゃなく、一緒にウンウン考えて答にたどりつく繰り返し。因数分解がわからなくても、平方根を忘れても、日常生活には何の不便もないよなあと思いながら…。
一方、ちょうどタタが高校に行きはじめて間もなく、ミミが「英語やりたい」と言い出した。
洋画大好きのミミは、せりふを聴きとれるようになりたい、かっこよく英語を話せるようになりたい、筆記体をさらさらと書いてみたい、とあこがれ一杯。もともときちんと日課をこなすのが好きで根気づよい人なので、「毎日やる」と自分で決めると、もう一日もかかさない。今日まで休むことなく毎日続けている。といっても、ラジオの中学生向け英語講座は「ノリがいや。」人気の『リトルチャロ』も「声がいや。」…で結局、つたない母が教えることに。
さびついた英語の口をがんばって覚醒させつつ、アルファベットから始まって、今は簡単な会話や身近な単語の書き方などをやっている。ミミの学習意欲はすさまじいもので、一時間以上勉強して、「今日はこのくらいで終わりに…」と言うといつもさびしそうな顔でテキストを閉じようとしない。とにかく新しい言葉を覚えて話すのが楽しくてしかたがないらしい。
学校とちがって、いつまでにどこまで進まなければいけないという制限はないから、「じゃあもうちょっとやるかね?」となってあちこち興味のおもむくままにムダ話もまじえて楽しく英語散歩をする。これが私にもずいぶん発見があっておもしろい。ああ、私もミミの年頃に、強制じゃなく、こんなふうに勉強できてたら英語が好きになってただろうにな…とふと思う。
学校勉強の世界に飛び込んで、追われる身になったタタと、自分から学びはじめて、楽しく進むミミ。
タタは自覚的にチャレンジしているので、苦労も引き受けてがんばっている。りっぱだと思うけれど、学ぶ楽しさという点では、これまでの自由なありかたとはまるで違う。見ていて思うのは、やらされるより、自分からやりたくてやるほうが確実に学びの力は伸びる、ということ。
タタも今の《階段飛ばし上り》から一息ついたら、世の中のへんてこな法則も身につけつつ、また学ぶ楽しさを新たに見つけてほしいなと思う。で、何十年ぶり?で数学や英語に毎日触れることになった私も、サビを落としてちょっとましな頭へと成長するべし、ということなのか…? ぼちぼち、がんばります。
ふー。
小1のなかばから、まったく学校に行かずに育ったタタにとって、《学校》と名のつく場所はなんと9年ぶり。通信制とはいえ、どんどん押し寄せるレポートの〆切り、月2回のスクーリングは朝から夕方までびっしりの授業。体育なんてものもあるのだ。毎回へとへとになりながら、とりあえず夏休みまで何とかよく乗り切ったものだと思う。
これまでの険しい道のりを考えると、ただ元気になってくれただけで十分すぎるほどで、私にはそれ以上のことを望む気持ちはない。
昨秋、突然タタが「わたし、高校行ったほうがいいと思う。」と言い出したときは驚いた。
タタの気持ちがこの先に向けて動き出したことはうれしかった。ただただ、回復し、生きていく方向へタタがむかっていくことがありがたかったし、私にとっては、それが高校進学である必要はなかった。でもタタは自分なりに考えて、高校に行き、この先の自分の道を考えてみようと決めたようだった。《学校》!…思ってもみなかった展開に、私のほうが戸惑ってあたふたしていた。
4月、スクーリングに行きはじめた最初のタタの感想は、
「学校って、疲れるー」だった。そりゃ、そうだろう。学校は不自然で、疲れるところなのだ。学校には、学校にしかない不条理がある。私は毎回、狼の群れに羊をそっと放つような気持ちでタタを送り出した。タタは小さなころから、自分で決めたことはやる人である。私は私の心配でその邪魔をしないように、アッケラカンと笑顔で送り出し、出迎えるようにした。スクーリングの回数をかさねて、少しずつタタも慣れ、やっと小さなお弁当を食べ切って(最初はまったくのどを通らなかったらしい)帰れるようになった。
次の難関はレポート。各教科細かく〆切が決められていて、出かける日が続いたり何かに熱中したりしていると、アッという間にどれかの〆切を過ぎてしまう。これまでは自分の時間をたっぷり自由に使えていたタタが、初めて《追われる》状況におちいってしまった。
しかも内容は思いっきり学校勉強である。家じゅうの大人の本を片っ端から読破してきたタタが、国語の設問につまづく。『このときの主人公の心の動きをあらわす言葉を文中から十五文字で書き出せ』。そんなの文中にないよと言う。私が読んでもそんな十五文字はない。きっと著者にも見つけ出せないだろう。「こんな問題、どんな意味があるの?」とタタ。
数学は3けたの足し算引き算の世界から、一気に短期間で因数分解や二次方程式にたどりつかなければならなかった。階段を三段飛ばしで駆け上がる勢いで、ぐんぐんタタはのぼっていった。当然、息切れはするし、疲れもする。何度もへたりつつ、またのぼる。私はサポートしようにも、数学なんてすでに中学1年くらいの段階で記憶がとぎれているので、教えるなんてものじゃなく、一緒にウンウン考えて答にたどりつく繰り返し。因数分解がわからなくても、平方根を忘れても、日常生活には何の不便もないよなあと思いながら…。
一方、ちょうどタタが高校に行きはじめて間もなく、ミミが「英語やりたい」と言い出した。
洋画大好きのミミは、せりふを聴きとれるようになりたい、かっこよく英語を話せるようになりたい、筆記体をさらさらと書いてみたい、とあこがれ一杯。もともときちんと日課をこなすのが好きで根気づよい人なので、「毎日やる」と自分で決めると、もう一日もかかさない。今日まで休むことなく毎日続けている。といっても、ラジオの中学生向け英語講座は「ノリがいや。」人気の『リトルチャロ』も「声がいや。」…で結局、つたない母が教えることに。
さびついた英語の口をがんばって覚醒させつつ、アルファベットから始まって、今は簡単な会話や身近な単語の書き方などをやっている。ミミの学習意欲はすさまじいもので、一時間以上勉強して、「今日はこのくらいで終わりに…」と言うといつもさびしそうな顔でテキストを閉じようとしない。とにかく新しい言葉を覚えて話すのが楽しくてしかたがないらしい。
学校とちがって、いつまでにどこまで進まなければいけないという制限はないから、「じゃあもうちょっとやるかね?」となってあちこち興味のおもむくままにムダ話もまじえて楽しく英語散歩をする。これが私にもずいぶん発見があっておもしろい。ああ、私もミミの年頃に、強制じゃなく、こんなふうに勉強できてたら英語が好きになってただろうにな…とふと思う。
学校勉強の世界に飛び込んで、追われる身になったタタと、自分から学びはじめて、楽しく進むミミ。
タタは自覚的にチャレンジしているので、苦労も引き受けてがんばっている。りっぱだと思うけれど、学ぶ楽しさという点では、これまでの自由なありかたとはまるで違う。見ていて思うのは、やらされるより、自分からやりたくてやるほうが確実に学びの力は伸びる、ということ。
タタも今の《階段飛ばし上り》から一息ついたら、世の中のへんてこな法則も身につけつつ、また学ぶ楽しさを新たに見つけてほしいなと思う。で、何十年ぶり?で数学や英語に毎日触れることになった私も、サビを落としてちょっとましな頭へと成長するべし、ということなのか…? ぼちぼち、がんばります。
ふー。
by higurashizoshi
| 2010-07-30 13:29
| 不登校とホームスクーリング