ひぐらしだより
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
伊藤俊吾完全ひとりツアー2015「ひとりにしないで」in大阪
2008年に活動休止したバンド、キンモクセイのボーカルであり、多くの曲を作詞作曲してきたイトシュンこと伊藤俊吾のソロライブ、大阪。
キャパ70くらいだろうか、ほんとに小さな、アットホームな会場でのライブ。
期待以上のすばらしい3時間だった。
レトロな癒し系サウンドといわれていたらしいキンモクセイの楽曲だけれど、伊藤俊吾の作品はその中において、背景に哀しみや虚無、別れや死の影がしばしばつきまとっていたと思う。
私がキンモクセイを聴き出したのは最近なので、すでにかなり過去に作られた楽曲ばかりを聴いていたわけだけど、伊藤俊吾がソロとして本格的な活動を始めたこの数年の曲をきちんと聞いたのは今回のライブが初めてだった。
キンモクセイは大がかりに売り出されてヒット路線をばく進した時代があり、その後なかなかヒットに恵まれず、メンバーそれぞれが持ち場に散って活動休止にいたり、4年前の震災時に一度だけ再結成したあとは、またそれぞれに戻っている。
といってもたぶんメンバー同士の関係は今でも悪くなく、伊藤さんも去年はキンモクセイの佐々木良さんとふたりでライブをいくつかしたりしていた。
今回のライブはキンモクセイの曲も入れながら、ソロになってからの曲、客席からのどんなリクエストにもこたえるコーナー、他アーティストへの提供曲のセルフカバーと本当に盛りだくさん。
伊藤さんの、音楽を楽しみたい、自分の歌を愛するファンと喜びをわかちあいたい、という気持ちがあふれたライブだった。
生で聴いてうなったのは、伸びのある強く美しい声とアコースティックギター・エレクトリックピアノの演奏力の高さ。そして初めて聴いた提供曲やソロの曲のすばらしさだった。
最近の曲は歌詞もメロディも、キンモクセイ時代よりさらにシンプルになっているので、ちょっと聴いただけだとシンプルすぎて耳を通り過ぎてしまう人もいるかもしれない。
でも私はそんな曲の中に、伊藤さんの人生でこの何年もの間に経験したこと、愛する人の死や、愛するものの誕生や、日々のちいさなことを静かにいとおしむ心、じっと内面を見つめるまなざし、そんな無数の重なりを感じて、胸がいっぱいになった。
今も毎日車の中で、ライブのときに買ったCDを繰り返し聴いては胸しめつけられてしまう。
そして新曲「僕がいなくなっても」を聴くたび、私がいなくなっても世界は続くのだ、と思って安堵する。
ソロライブをライフワークにしたいといっていた言葉、信じていいのかな、伊藤さん。
楽器も機材も物販も全部ひとりで運んで、チケット管理も宣伝も全部ひとりでやって、自宅の四畳半の防音室でひとりで演奏して録音してCDに焼いて、それをライブ会場で手売りして、ひとりひとりとお話ししてサインして握手して。
そんな伊藤さんを見ていると、「そうなのか、そうなのか」と私の心は言う。
ヒットを飛ばして紅白にも出たキンモクセイのころと、全部手作りでひとりの今と、それはどちらも輝いているだろうけど、きっと静かであたたかくて楽しいのは今のほう。自由なのは今のほう。
余分なものをそぎおとして、どんどんほんとうになっていくんだな。勝手にそう思う。
11月にまた大阪に来てくれるのを楽しみに。新曲を楽しみに。待ってます。
キャパ70くらいだろうか、ほんとに小さな、アットホームな会場でのライブ。
期待以上のすばらしい3時間だった。
レトロな癒し系サウンドといわれていたらしいキンモクセイの楽曲だけれど、伊藤俊吾の作品はその中において、背景に哀しみや虚無、別れや死の影がしばしばつきまとっていたと思う。
私がキンモクセイを聴き出したのは最近なので、すでにかなり過去に作られた楽曲ばかりを聴いていたわけだけど、伊藤俊吾がソロとして本格的な活動を始めたこの数年の曲をきちんと聞いたのは今回のライブが初めてだった。
キンモクセイは大がかりに売り出されてヒット路線をばく進した時代があり、その後なかなかヒットに恵まれず、メンバーそれぞれが持ち場に散って活動休止にいたり、4年前の震災時に一度だけ再結成したあとは、またそれぞれに戻っている。
といってもたぶんメンバー同士の関係は今でも悪くなく、伊藤さんも去年はキンモクセイの佐々木良さんとふたりでライブをいくつかしたりしていた。
今回のライブはキンモクセイの曲も入れながら、ソロになってからの曲、客席からのどんなリクエストにもこたえるコーナー、他アーティストへの提供曲のセルフカバーと本当に盛りだくさん。
伊藤さんの、音楽を楽しみたい、自分の歌を愛するファンと喜びをわかちあいたい、という気持ちがあふれたライブだった。
生で聴いてうなったのは、伸びのある強く美しい声とアコースティックギター・エレクトリックピアノの演奏力の高さ。そして初めて聴いた提供曲やソロの曲のすばらしさだった。
最近の曲は歌詞もメロディも、キンモクセイ時代よりさらにシンプルになっているので、ちょっと聴いただけだとシンプルすぎて耳を通り過ぎてしまう人もいるかもしれない。
でも私はそんな曲の中に、伊藤さんの人生でこの何年もの間に経験したこと、愛する人の死や、愛するものの誕生や、日々のちいさなことを静かにいとおしむ心、じっと内面を見つめるまなざし、そんな無数の重なりを感じて、胸がいっぱいになった。
今も毎日車の中で、ライブのときに買ったCDを繰り返し聴いては胸しめつけられてしまう。
そして新曲「僕がいなくなっても」を聴くたび、私がいなくなっても世界は続くのだ、と思って安堵する。
ソロライブをライフワークにしたいといっていた言葉、信じていいのかな、伊藤さん。
楽器も機材も物販も全部ひとりで運んで、チケット管理も宣伝も全部ひとりでやって、自宅の四畳半の防音室でひとりで演奏して録音してCDに焼いて、それをライブ会場で手売りして、ひとりひとりとお話ししてサインして握手して。
そんな伊藤さんを見ていると、「そうなのか、そうなのか」と私の心は言う。
ヒットを飛ばして紅白にも出たキンモクセイのころと、全部手作りでひとりの今と、それはどちらも輝いているだろうけど、きっと静かであたたかくて楽しいのは今のほう。自由なのは今のほう。
余分なものをそぎおとして、どんどんほんとうになっていくんだな。勝手にそう思う。
11月にまた大阪に来てくれるのを楽しみに。新曲を楽しみに。待ってます。
by higurashizoshi
| 2015-09-03 01:48
| 観る・読む・書く・聴く