ひぐらしだより
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思い出のパン、今日のパン
子どものころの、思い出の味のひとつに、母の焼いたパンというのがある。
当時、家庭でパンを焼くのは、まだめずらしかったと思う。
そのころ住んでいた家はとても小さくて、台所も2畳分くらいしかなかった。
その狭い狭い台所の、ちっちゃなテーブルの上で、母はパン生地をこねた。
母の定番は、デニッシュだった。薄い層を何度も折り返してつくる、厚手のパイのようなパンだ。
生地をシートに打ちつけて、のばしては、たたみ。打ちつけて、のばしては、たたみ。
何度も何度もそれを果てしなく繰り返して、暑がりの母は汗だくになりながらデニッシュ生地を作った。それをそばで見ながら、お母さんはちっとも楽しそうじゃないなあと思ったものだ。
でも、ごっついガスオーブンで焼き上がったパンの味は、絶品だった。私はこれまで、母の焼いたデニッシュよりおいしいパンを食べたことがないと思う。
バターの香りが高く、ほんのりと黄色みをおびた生地が幾重にもかさなって、香ばしくこげめがついている。そのはじっこを口にふくむとホロリと層をなしてくずれ、甘くて繊細な味がいっぱいに広がる。今でもはっきりとおぼえているあのデニッシュの味。
あるときお弁当がわりに学校に持って行ったら、友だちが取り合って大騒ぎになって、その後はリクエストがばんばん来た。母は笑って、またいっぱい焼いては持たせてくれたものだ。ああ、今思い出しても母はなんて気前がよかったんだろう。友だちにあげてしまったたくさんのデニッシュ。あれを未来に取っておけたらよかったなあ…といじましく考える私。おとなになってから、何度もう一度食べたいと思ったことか。
おいしいパンの宝庫である神戸の有名なパン屋でも、東京のパン屋でも、デニッシュと見れば買い求めて食べてみた。どれもそれぞれにおいしかった。でも、母のあのデニッシュの味とはぜんぜんちがっていた。
それなら自分で作るというのはどうだろう? というのも考えた。母にレシピを再現してもらって…。
でも母は、気がつくとぱったりとパンを焼かなくなってしまっていた。もはやパンのパの字も焼かない。そして作り方もすっかり忘れてしまったという。あんなに汗水たらして作り続け、あんなに絶賛されたパンを、こうもアッサリ過去に流してしまえる母はいさぎよいというか、執着がない。なさすぎる。もはやまぼろしのデニッシュは、母の背中の遠くへと消えてしまった…。
自分で料理をするようになってから、ずっと、パンを焼いてみたい、と思っていた。家で手作りパン、にあこがれていた。
でも、いつも《あの母のデニッシュみたいなパンは、作れない》と思って、二の足をふんだ。おまけに今の私にはガスオーブンはなく、簡易なオーブンレンジがあるだけ。
そして汗だくの母の姿を思い出しては、パン作りはすごくたいへんで、楽しいことでない、というイメージにしばられていた。
外に出ない生活が始まって一年。簡単に買物に行けないから、自然に何でも気軽に作るクセが身についた。食生活は週に一度まとめて生協から届く食材でまかない、それで間に合わないものは、作る。食パンが切れたら、パンケーキやスコーンやナンを焼いた。小麦粉にベーキングパウダーやプレーンヨーグルトをまぜて生地にした《パンもどき》もいろんなバリエーションをしょっちゅう作った。でも、本格的なパンはどうしても敷居が高くて、作ったことがなかった。
ここまで書いてきて、ん? と思う。
にもかかわらず、なんで私はこのたび初めてパンを作ろうと思ったのだろ?
なんだか、ふっとその気になった、それだけのことだったような。その気になれたということは、何かが自分の中で変わったということなんだろうか?
ともかく、今日私は初めてパンを焼いた。
インターネットで初心者向けのHPをいろいろ調べたら、なんだ、家にあるものばかりでできるんだ。強力粉、バター、砂糖に塩にドライイースト。
一次発酵、二次発酵、ベンチタイムにフィンガーテスト。そういうすてきなことばがいっぱいの工程をどきどきしながら進んでいった。
一番の発見は、《パン作りは気持ちいい》ということだった。発酵してふくらんだ生地は、さわると人肌のあたたかさで、ふわふわの赤ちゃんのおしりみたいなのである。さわるだけでほわんと幸せな気持ちになる。
できあがるまで時間がかかるだけで、思っていたほどたいへんなことは何もなかった。なあんだ! と私は思った。デニッシュまでは遠いけど、ここからはじめたらいいんだ。
小さな丸いパンが8個、りっぱに焼き上がった。
ほんのり甘く、かみしめるとしみじみとやさしい味がした。
当時、家庭でパンを焼くのは、まだめずらしかったと思う。
そのころ住んでいた家はとても小さくて、台所も2畳分くらいしかなかった。
その狭い狭い台所の、ちっちゃなテーブルの上で、母はパン生地をこねた。
母の定番は、デニッシュだった。薄い層を何度も折り返してつくる、厚手のパイのようなパンだ。
生地をシートに打ちつけて、のばしては、たたみ。打ちつけて、のばしては、たたみ。
何度も何度もそれを果てしなく繰り返して、暑がりの母は汗だくになりながらデニッシュ生地を作った。それをそばで見ながら、お母さんはちっとも楽しそうじゃないなあと思ったものだ。
でも、ごっついガスオーブンで焼き上がったパンの味は、絶品だった。私はこれまで、母の焼いたデニッシュよりおいしいパンを食べたことがないと思う。
バターの香りが高く、ほんのりと黄色みをおびた生地が幾重にもかさなって、香ばしくこげめがついている。そのはじっこを口にふくむとホロリと層をなしてくずれ、甘くて繊細な味がいっぱいに広がる。今でもはっきりとおぼえているあのデニッシュの味。
あるときお弁当がわりに学校に持って行ったら、友だちが取り合って大騒ぎになって、その後はリクエストがばんばん来た。母は笑って、またいっぱい焼いては持たせてくれたものだ。ああ、今思い出しても母はなんて気前がよかったんだろう。友だちにあげてしまったたくさんのデニッシュ。あれを未来に取っておけたらよかったなあ…といじましく考える私。おとなになってから、何度もう一度食べたいと思ったことか。
おいしいパンの宝庫である神戸の有名なパン屋でも、東京のパン屋でも、デニッシュと見れば買い求めて食べてみた。どれもそれぞれにおいしかった。でも、母のあのデニッシュの味とはぜんぜんちがっていた。
それなら自分で作るというのはどうだろう? というのも考えた。母にレシピを再現してもらって…。
でも母は、気がつくとぱったりとパンを焼かなくなってしまっていた。もはやパンのパの字も焼かない。そして作り方もすっかり忘れてしまったという。あんなに汗水たらして作り続け、あんなに絶賛されたパンを、こうもアッサリ過去に流してしまえる母はいさぎよいというか、執着がない。なさすぎる。もはやまぼろしのデニッシュは、母の背中の遠くへと消えてしまった…。
自分で料理をするようになってから、ずっと、パンを焼いてみたい、と思っていた。家で手作りパン、にあこがれていた。
でも、いつも《あの母のデニッシュみたいなパンは、作れない》と思って、二の足をふんだ。おまけに今の私にはガスオーブンはなく、簡易なオーブンレンジがあるだけ。
そして汗だくの母の姿を思い出しては、パン作りはすごくたいへんで、楽しいことでない、というイメージにしばられていた。
外に出ない生活が始まって一年。簡単に買物に行けないから、自然に何でも気軽に作るクセが身についた。食生活は週に一度まとめて生協から届く食材でまかない、それで間に合わないものは、作る。食パンが切れたら、パンケーキやスコーンやナンを焼いた。小麦粉にベーキングパウダーやプレーンヨーグルトをまぜて生地にした《パンもどき》もいろんなバリエーションをしょっちゅう作った。でも、本格的なパンはどうしても敷居が高くて、作ったことがなかった。
ここまで書いてきて、ん? と思う。
にもかかわらず、なんで私はこのたび初めてパンを作ろうと思ったのだろ?
なんだか、ふっとその気になった、それだけのことだったような。その気になれたということは、何かが自分の中で変わったということなんだろうか?
ともかく、今日私は初めてパンを焼いた。
インターネットで初心者向けのHPをいろいろ調べたら、なんだ、家にあるものばかりでできるんだ。強力粉、バター、砂糖に塩にドライイースト。
一次発酵、二次発酵、ベンチタイムにフィンガーテスト。そういうすてきなことばがいっぱいの工程をどきどきしながら進んでいった。
一番の発見は、《パン作りは気持ちいい》ということだった。発酵してふくらんだ生地は、さわると人肌のあたたかさで、ふわふわの赤ちゃんのおしりみたいなのである。さわるだけでほわんと幸せな気持ちになる。
できあがるまで時間がかかるだけで、思っていたほどたいへんなことは何もなかった。なあんだ! と私は思った。デニッシュまでは遠いけど、ここからはじめたらいいんだ。
小さな丸いパンが8個、りっぱに焼き上がった。
ほんのり甘く、かみしめるとしみじみとやさしい味がした。
by higurashizoshi
| 2008-10-24 22:43
| 家事というか