ひぐらしだより


人生はその日暮らし。  映画、アート、音楽、フィギュアスケート…日々の思いをつづります。
by higurashizoshi
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カテゴリ:雑感( 176 )

嵐のち晴れ

いつもは「もう、やめとき」というくらい食欲旺盛なうちの息子(茶色くて四本足)。
異変が始まったのは2週間ほど前だった。…ん?あの子がなんだかこのごろあんまり食べない?
でも、うちは四本足の息子が2人いるので、ごはんをどちらが食べたか判然としないことが多く、なんとなく見過ごしていた。
と、みるみるうちに明らかに食欲が落ちて、びっくりするほどやせてきた。
いつもは、食卓の上で寝ていたら思わず「いただきまーす!」とみんなが言うくらい、ふくふくまるまるしてるのに。そしてとにかく元気がない。のっそり、しんどそうに動いている。なんだか息も速い気がする。これはおかしい、どう考えてもおかしい。

急いで動物病院に連れていって検査してもらったら、なんと胸水が330mlもたまっていた。そのせいで肺が小さくなるくらい圧迫されて、相当苦しい状態になっていたので食欲もなくなったのだろうとのこと。
胸水のたまった原因は、今のところはっきりしないのだけど、抜いた水分にリンパ球が多いので、どこかに腫瘍ができている可能性もあるそうだ。半日入院して、毛も四角く剃られて、あばらの間に針を刺したままの状態で帰宅。
胸水を抜いて楽になったかと思いきや、まったく食べず飲まず、ひたすらぐったりと横になったまま。この数日の間にたちまち背中が骨ばり、ふわふわの毛もガサガサになり、「あーこれはまずいな」という、見るからにまずいなという状態に突入した。

とにかく食べないと死ぬ。飲まないと死ぬ。胃腸に問題はないようなので、入れれば食べられるはず。
というわけで、病院でもらった高カロリー療養食と水を、注射器で口にねじこむという戦いが開始された。
絶対に食べさせる!というこちらの迫力と、ぜったいこんなもん食べんぞ!という息子の固く閉じた口。がっちり羽交いじめにして、なにくそとその口をこじあけて注射器を突っ込む。敵は決死の力であばれまくる。そのへんにレバーペースト状の療養食が飛び散るわ、せっかくぶちこんだ貴重な食べ物を吐き出すわで大混乱。
出すなら入れてやるとばかりに注射器を持って追いかけまわす私。ヨロヨロと逃げまどう息子。食べものだけでなく、さらに口をこじあけて薬も飲ませにゃならん。苦しいときにこんな嫌な思いさせたくないと思いつつ、半泣きでそんな戦いを何度も繰り広げた。

病院にも連日通って、レントゲンで胸水や肺の様子を見てもらい、いろいろと検査もした。諭吉が隊列を組んで出ていくのを見送り、軽いお財布を胸に、重いケージを車に積んだ。運転中に浮かぶのは「ネコの葬式はどこに頼んだらいいのだろう」などという、例によって悲観的な考えばかり。夜眠っていても「今、息が止まってるんじゃないか」と夢の中で思っては飛び起きて、忍び足で様子を見にいく繰り返し。娘たちもひどく心配していたが、彼女たちは今猛烈に忙しくて世話をしている余裕がない。

胸水がたまらなくなって思いがけずすんなり針がはずれ、それでもぐったりは続き、丸一日たった。
そのとき初めて、手のひらに乗せた流動食を、やわらかい舌でぺろ、となめた。あたたかい舌の感触。
なでてさすって、それから何とかさらに食べさせようとあれこれ手のひらに載せた。「あんたはチャングムの王様か…」と言いつつ、これがお口にあいますか、それともあちら?と奉仕これ務め、もちろんそれだけでは足りないので王様タイムが終わるとまた注射器で療養食を口にぶちこむ、という高度なプレイの連続。
そんなこんなの毎日を過ごすうち、ガサガサだった毛がまた少しずつふんわり、つやめいてきた。
階段を少しずつ、またのぼれるようになった。お皿から食べものを食べた。水を自分で飲んだ。ひとつひとつがきらきらして見える。深呼吸を忘れていた身体が、やっとたくさんの空気を入れられるようになった気分だ。
ああ、もう大丈夫だ、と思うまでに長い長い時間が経った気がした。

原因によっては、また胸水がたまる可能性もあり、油断はできないと言われているけど、ともかく今は、こんなに元気になりました。
あさってから例年通り、被災地の子どもを招くキャンプが始まり、私は怒涛の12日間に突入する。その前に回復してくれてほんとによかった。しっかり働いてくるよ。もう、ごはんはちゃんと自分で食べるんだよ。
(すっかり口が肥え、前にもまして甘えん坊になってる息子近影)
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by higurashizoshi | 2016-07-27 01:41 | 雑感 | Comments(4)

誕生日雑感

書けないまま、あれよあれよと日は過ぎて。

このひと月ほどに何があったかというと、父の半年目の月命日の集まりがあり、不登校とホームスクーリングについて大学の授業にお話しに行き、今年も夏の保養キャンプの準備が始まり、そのためにリーフレットの編集作業をし、参加者の募集受付作業をし、映画や芝居を観に行き、今月末のコンサートに向けて合唱の練習に通い、そして十数年ぶりにお給料をもらう仕事を始めるという、わたくし的には画期的な出来事もあり。
職場はNPO経営の地域カフェ。まだまだ美味しいコーヒーが淹れられないし、レジもあわあわ。でもとてもいい空気の流れるお店で、スタッフのみなさんもお客さんもフレンドリーで助けられている。

ここまで書くとなんだかすごく活動的で前向きな、世間の人から私がよく言われるイメージ通りの多忙な日々だけど、ブログが書けなかったのは例によってアレですよアレ、《むなしい病》。
むなしいむなしいっていいながらよくこれだけいろんなことができるねと言われそうだけど、父が亡くなって半年というひとつの節目を迎えてから、どーっといろんなことがよみがえってきて、眼をそむけきれなくなったというか、自己否定の要素がひとつひとつやってきて、パワーをはしから奪われる。振り向かずにすめば、考えずにすめば、いいのになあ…と思う。

で、やっとこブログに向かったのは、今日は私の誕生日で、この歳になるとお祝い気分はないんだけど何か残したい気になるのかな。とどめておきたいというか。
こんな年齢になっていながら、いつもいつも生きている意味について考えているというのもどうなんだろうと思う。もはやこの世にいない人についても、その意味を考え続けてしまう。
この世に存在できるごく短い期間に、できるかぎりのことをして生き抜きたいという思いと、いつもこの世を出ていくことについて考えて地に足がついていない自分と。
そうこうしながら、さて今日は誕生日だからこの前友だちのワークショップで習ったオリジナルスパイスのカレーを作ろうかな…なんて考えていたりもして。明日は家族でお祝いしてくれるというので、手巻き寿司をリクエストしてみたりして。なんなんだろねえ…

フィギュアのことも、ワールドについていまだ書いてないし(文章はかなりできてるのだけど)、シーズンオフの話題(新プログラムとか、引退解散・再編とか)はちゃんと追いかけていて、あとは気力なんだけどなあ。
すいません、ひさびさに書いたのにまったく覇気のない文章になってしまいましたです。
おわび代わりにうちの息子のとっておき写真を載せておこう。


タイトル 「ぼくなあ、名前書けるねん。」
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次回はもうちょっと元気のある感じできっと。



***
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by higurashizoshi | 2016-06-04 17:56 | 雑感 | Comments(4)

ネコと仙台

ネコを連れて仙台に行ってきた。
といっても、ネコを抱いて旅をしてきたわけではありません。
正確には、実家にひとりぼっちになったネコを、引き取ってくださる方のもとに連れて行った。その引き取り先が、仙台だったというわけ。
話せばあまりに長くなる、涙と汗の大奮闘。捕獲のためにネコ保護のプロフェッショナルにお出まし願い、実家のご近所はじめ、実に実に多くの方に助けていただいての、一大ミッションでありました。
かくて、ネコは無事に仙台郊外の広々した素敵なおうちに引き取っていただいた。ああ、めでたしめでたし。といっても、本人、というか本ネコにとっては難行苦行のすえに未知の場所に連れて行かれて「はい、住んで。」と言われたのだから不安と混乱のきわみであろう。
ネコに言葉が通じたら懇切丁寧に説明できるのに、とは思うものの、もし彼(オスです)に対してそれができたとしても、ぜったいに「なるほど、相分かった。ほなそうするわ」とは言ってくれないだろうな。「オレ、ひとりで元の家住むから。おかまいなく」と言うだろう。

そんな彼の意志をまったく無視しての仙台行。
ひらたくいえば、いきなりふんづかまえて袋ごとキャリーケースに入れて、新幹線に飛び乗って、仙台まで6時間の恐怖の旅。
これ以上ないほどネコにとってはすばらしい環境のおうちに放たれ、固まりまくっていたのがちょっとずつほぐれてきたところがこの写真。
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ごめんよ。どうか新しい環境に少しずつ慣れて、元気に新しい暮らしを送ってほしい。
きみの長年なじんだあの家には、もうきみにごはんをあげたり、膝の上に乗せて眠らせたり、名前を呼んでなでたりする人間は誰もいなくなってしまったから。

父と母以外のどんな人にも心を許さず、なでるどころか近づくことすらさせなかった彼。
新しいおうちには、先住ネコが5匹いて、これからはその仲間たちと、心優しい飼い主さんとともに生きていくことになる。
いつか、このおうちでゆったりとくつろぐ姿を見られたら。その姿を見に、また仙台に行けたなら。


翌日、仙台は雪。
思いがけない東北への急ぎ旅、それでもこの日は塩釜や松島をめぐって雪景色をながめ、重いキャリーケースを案じて一緒に行ってくれたタタと母娘の時間を味わってきました。

アートと社会性が融合した、なんとも居心地のいい仙台のブックストア、
大好きになった「火星の庭」
オーナーご夫妻とも、被災地の話、保養の話などしてきた。
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その「火星の庭」で紹介された「塩竈市杉村惇美術館」
雪の中、静かな静かな時間が流れる忘れがたい場所になった。
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5年目の3月11日が近づく。
たくさんの死とかなしみの記憶が打ち寄せてくる。
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by higurashizoshi | 2016-03-08 19:29 | 雑感 | Comments(0)

アカン状況

ごぶさたしております。
1.17の阪神淡路大震災21年目のことも書けず、あれよあれよという間に2月も上旬が過ぎようとしてます。
せめてもということで、当日、神戸市長田区の追悼会場での写真です。
この日は、福島から来られた方のお話を長田で聴き、ふたつの震災が心の中でつながった感覚で追悼の時間を迎えました。
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さて。
フィギュアに限っても、全米選手権、ヨーロッパ選手権と大きな大会が続き、もちろん全部観てはいるのだけどいまだ何も書けず。
映画も、すっごくたくさん観てるのに(ベルイマン特集とかいろいろ)、いまだ何も書けず。
本も読んでるのに、音楽も聴いてるのに、いろんなことしてるのに、
アカンのです。
私に定期的にやってくる《むなしい病》みたいなやつ、そのかなり強力なやつに現在やられております。

父が亡くなってもう少しで3か月。
たぶん、常に遅延反応な私はようやく頭と心にこの事実が沁みてきたのでしょう。
ちょうど時期をおなじくしてプライベートでもほかにもいろいろ転機があって、徐々に力が入らなくなってきて、気づくと「かなしい、むなしい、なにもできない」(といいつついろんなことをしてるのですが)、ひたすらにアカン状態に突入。

まあ、振り返ればこれまでにも何度も何度もこういうことはあったよな。
でも今回はちょっとこれまでとは深度がちがうのかも。
しばらく底で膝を抱えたりうろうろしたりしながら、浮上を待つことにします。

新しい文章を読みに来てくださった方には、ごめんなさい。
四大陸選手権くらいでプワッと浮いてこられたらいいなあ。
いや、その前に映画のことは書きたいなあ。と思っています。
ときどき、のぞいてやってください。
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by higurashizoshi | 2016-02-09 19:14 | 雑感 | Comments(2)

早くも七草を過ぎ

遅ればせながら、2016年最初の更新です。

お正月祝いをしない、不思議な三が日を過ぎ、あっという間に七草でした。
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今年はちょっとおしゃれにしてみた七草がゆ。



人間のかわりに、新年のごあいさつをしていただきます。
「今年もよろしくおにゃがいします!」
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みなさんにとって、心おだやかで、あかるい一年になりますように。
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by higurashizoshi | 2016-01-08 23:54 | 雑感 | Comments(2)

どこかへ

ひさしぶりに、日常の買いものをしに大型店舗に行った。
たくさんの食料品、日用品、クリスマスのお菓子、お正月用品も並んでいる。
ぐるぐる、ぐるぐる売り場を回る。買うべきものを手に取る。棚に戻す。
ふと気づくと、またぐるぐると売り場を回っている。
何を買ったらいいのかわからない。
何もかもが、何かを思い出させ、何もかもが、やわらかに深く、胸を衝く。

父が突然亡くなってから一週間が過ぎた。
最後まで現役で仕事をしていた父の急逝は、多くの人に衝撃を与え、そして多くの人が心から父のことを悼んでくれた。
たくさんの人に愛し愛され、幸せな父だったと思う。
やるべきことをやり終えたかのように、ある夜、音もなく旅立っていった。
父らしい最期だとみんなが言う。歳を重ねた方々からは、かくありたいと、口々に言われる。

あの日から、幾人に対して、父の死を、その現場を、その前後のことを、繰り返し説明したかわからない。
何の予告も予感もなく、はたりと止まってしまった父の心臓。
私たちを何ひとつわずらわせることなく、きれいに逝った父。
それはもう、ひとつの物語のようになってしまって、私はまるで糸車を回すように、その物語を語って聞かせているような気がする。
人にも、自分にも。

残された父の肉体に別れを告げ、見送った。
父を愛した人たちと、悲しみを共有した。
そのあとのさまざまな仕事に追われ、さらに何日かが過ぎた。
そしてふと私は思う。
父はどこにいってしまったのだろう?
まるで、雲隠れの術のように、父は消えた。

ひとりでいると、ときどきあふれてくる涙には、特に意味はない。
たぶん父の肉体を見送った記憶が、よみがえるだけなのだ。
何十年も着ていた服を脱ぎすてるように、父はあの肉体を置いて消えた。
私たちの知らない、どこかへ。
そのことの意味を、私はまだ見つめているだけで、理解していない。



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by higurashizoshi | 2015-11-24 16:21 | 雑感 | Comments(3)

《よろこび》について

日々仕事をし、自分の中の課題を追いかけ、好きなものを追いかけ、そうやって忙しく生きている。生きている中には、しんどいことも嫌なことももちろんたくさんあるけれど、《好き》を追求する心はたぶん、私は人一倍強いと思う。本を読み映画館に通い、絵画を求め、芝居を観にいき、旅にも出る。いろんな人たちに会い、時間をともにする。
そう考えてみると、私には、何かに夢中になる、という経験は多い。熱中すると周囲が視界から消えるほど何かに没入する。それはたしかによろこびであるといえる。
けれど、何もかも忘れてよろこびにひたる、ということはまずない。
いろいろな事情に取り巻かれている大人であれば誰しもそうだろう、とも思うけれど、どんなときも心のどこかに確実なブレーキ機能があって、常にそれを意識している。

病気の家族をいつも抱えてきたこの数十年、もはや習い性になった不安と、あきらめへの準備。
そして私自身の奥につねにある、安心して何かに身をあずけきってはいけない、それは危険であるというサイン。
よろこびを感じはじめた瞬間、かならずどこかから立ちのぼってくる昏い声のようなものがある。

おそらく、私の場合は《詩や小説を書く》という作業だけが、ほぼそこから離れて過ごせる唯一の場で、それは創作することによって別の世界を自分の中に構築できるからなのだと思う。
ただしそれは当然、解放された楽しいだけの時間ではなく、《書く》ことは、ときにつらい道程でもある。
それなくしては生きていけないけれど、しんどさともつねにつき合っていかなければならない。
つまり、これもまたアンビバレントで、《ただ、よろこびに満ちる》こととは遠い作業なのである。

という、毎度たいへんめんどくさい自分を抱えて、この夏の終わりにある駅にいたとき、ふと目にとまったポスターがあった。
それは、日本の暮れの風物詩、ベートーベンの第九を地元の大ホールで歌いましょうというポスターだった。
ベートーベンの中で第九はそんなに好きじゃないし、これまで歌いたいと思ったことはなかったはず。
はず、というのは、なぜかそのポスターを見た瞬間、「あ、私、これやる」と思ったからだ。
合唱は高校時代、コンクール志向の体育会系合唱部でガンガンやって、あとは大学で演奏会に出来心で一度出て以来、まったく縁がない。
歌うことは好きで一時ボイストレーニングを受けたこともあったけど、ぜんぜんうまいわけじゃない。
いや、そもそも合唱っていう集団行動は、ヘンクツな孤立人間に成長した自分にとってはまったくの逆指向である、と思い定めていたはずなのに。

だのにだのに、なんでかわからないけど「これやる」と思い、申し込み、先月から練習に参加している。
最初はとっても戸惑った。
周りは第九経験者ばかりの中、ドイツ語歌詞どころかメロディすらまるでわかってない私。
聴いても聴いても、やっぱり楽曲として大して好きになれない第九。
モソモソとみなさんのあとをついて練習して、家でも楽譜を見て覚えて、うーんこれ楽しいのかな? なんで私これやるって思ったんだろ? とハテナだらけの日々だった。

それが、練習を始めて一ヶ月半、初めての本番ホールでの合同練習も終えて、少しずつ楽曲の輪郭が見えてきた気がした先日。
少人数での練習中、自分の中でなにかがふわりとなって、歌いながらちょっと空中にいる感じがした。
おお、なんだこれは?

その直後、声楽家である先生がこんな話をされた。
「音楽なんて、世の中の効率や金儲けから一番遠いところにある。何かあれば一番に切り捨てられてしまうもんですよ。でも、生きていく中で、これこそが大切なものじゃないですか? 音楽という美しいもの、よろこび、これが生きるって、生きてるってことだと僕は思う。それを少しでも人に伝えたくて僕はこの仕事をしてるんです」

あー。
先生!
そのとき私は理解した。あの「ふわり」と「空中にいる感」の名前を。
あれは、どんなうしろめたさとも、不安とも無縁な、とても単純な《よろこび》だったんだと。
身体を楽器にして音を鳴らす、そして人と共鳴する。
大昔に書かれた楽譜をなぞりながら、無心に歌を響かせる。
まだほんとに少しの滞空時間だったけれど、確実にあのとき、私は《よろこび》の中に浮いていた。

それは、なんというか、《ただ、ある》とか、《ただ、いる》という感じだった。
熱も帯びていなければ、情緒的でもない。
理屈立ってもいないし、うしろも前もない。
ああ、こういうことだったのか。
なんてシンプルで、そしてなんて私にとっては難しいことだったろう。

ほんのちょっと味わったその《よろこび》に、また会えるだろうか?
なかなか上達しない中で、このあとどんどん《よろこび》が増えていくという都合のいいことにはならないだろうけれど、もう一度、いやできれば何度かは、会いたい。
そう思って12月末の本番までの練習を過ごしたい。
先生がいつも言っている、「よろこびをお客さんにも届けてあげる気持ちで歌うんですよ」というところまでは、とてもとてもいかないだろうけど。



***
「Japan Open」昨日でした。いよいよ競技シーズンが本格的に始まっています。
次回から、またフィギュアスケートのことをぼちぼちと書こうと思います。
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by higurashizoshi | 2015-10-04 12:48 | 雑感 | Comments(0)

今夜、国会で起きること

この三日間、国会議事堂前のデモに参加し続けている友だちから、ずっと断続的に現場のレポートが届いている。
年齢も立場もさまざまな、数えきれない人たちがそこへ向かい、立ちつくし、声をあげ、歌い、発信している。
国会前だけでなく、日本中のいくつもの町で、この《安保法案》への反対の動きが激しく起きている。

私じしんは、東京に飛んで行くこともできず、地元の集会にわずかに参加するくらいしかできないけれど、もうずっと心が、痛くて痛くてたまらない。
この国がかろうじて守り続けてきた立憲政治が今、崩れ去ろうとしている。

憲法を守るべき政府が、憲法違反であると多くの憲法学者が、そして国民が認識している法案を、数の力だけで通す。
このパラドックスを誰か、正しいことだと証明してみせてほしい。
こんなことがまかり通る国を、私たちの愛する国だと、どうやったら言えるのか教えてほしい。

私たちの代表である政府が、私たちの国の規範である憲法を、殺そうとしているのだ。

永久に戦うことを放棄した、私たちの国。
70年前のその宣言は、無数の戦死者と、人生を傷つけられた人びとの苦しみとひきかえに放たれた。
その意味を、その重さを、私たちがほんとうに大切に大切にはぐくんできたなら、今夜これから起きることは、
たぶんなかった。
少なくとも、たった70年後には。
私たちはたった70年しか持ちこたえられなかった。

今夜これから、私たちは、自分たちが持ちこたえられなかったことの結果を見る。
そしてそののち、それがどんなことにつながっていくのかをつぶさに知る。

きれいな後戻りは、もうできない。
でも、ここからまた新たに踏みこたえること、舵を切ることはできる。
その方法をひたすらに考えながら、参議院での採決を見届けよう。
賛成票を投じた議員の姿を、名前を、決して忘れないように刻みながら。
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by higurashizoshi | 2015-09-19 00:08 | 雑感 | Comments(0)

夏が過ぎゆく

ほぼ一か月、ここをお留守に。

その間にあったこと、

5回目の保養キャンプ。体力限界の2週間、被災地から来たかわいい子どもたち。
娘たちの試験ラッシュ。
実家方面でまた重病が発覚。
そのほか、いろいろ、いろいろ。

というわけで現在、

みずからの体力回復途上にして、キャンプの事後作業もろもろ没頭。
試験終わって解放された娘たちとちょっとだけあそぶ。
治療方針を模索しすぎて頭と心が痛い。
そのほか、いろいろ、いろいろ。

気づけば、広島、長崎の日、終戦の日、お盆が終わり、
夏は過ぎようとしている。
今夜は雨。

映画のこと、フィギュアスケートのこと、そろそろ書けるかな。
短く、気楽に、メモ程度なら?
時間的な余裕がないのが問題ではなくて、
これは私じしんの気持ちの問題なんだろう。

ここにしばしば来てくださる方には申しわけないけれど、
書けるときによちよちと綴っていきまする。
がっつり書きたい自分になるまで、しばらくこんな感じで。


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by higurashizoshi | 2015-08-17 00:42 | 雑感 | Comments(2)

ある日の空

ずっと昔から、私の人生の課題は、はっきりしていた。
虚無との戦い。

むなしさというものは、生きていくなかでつねに、つきまとう。
どんなに楽しいことがあっても、
どんなに誰かを愛しても、
どんなに夢を描いても、
それらすべては終わる。

人は、たったひとりで生まれてきて、そしてたったひとりで死んでいく。
誰からもほんとうに理解されることなく。
そんなさびしい、人生というもののなかで、ほんのすこしだけ意味があるとしたら、
それはいったい何だろう?

いつも、しびれるようなむなしさに追いかけられ、
愛する人と笑っていても、
汗を流して働いていても、
誰かのためにつくしていても、
あるときふと、立ちつくしてしまう。

むなしさは私の胸にみち、腹にみち、眼の奥にみちる。
けれど次の日もまた次の日も、私は生きる。
何かをさがして。
あきらめながら、それでも何かをさがして。

ときどき訪れる、信じられないほどうつくしい空の景色。
あてどない、のぞみのない、この世界の中で、
ある日の空にうつるものを私は見つめる。

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by higurashizoshi | 2015-07-18 01:27 | 雑感 | Comments(2)
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